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POST/PHOTOLOGY #0001/多和田有希《歌う船》×POST/PHOTOLOGY by 超域Podcast 北桂樹

▷POST/PHOTOLOGY by 超域Podcast 北桂樹



多和田有希「歌う船」@空蓮房

4月28日まで、台東区蔵前の「空蓮房」にて開催されていた多和田有希の展覧会「歌う船」から《歌う船》について。
台東区蔵前の「空蓮房」長応院内にある現代写真を展示するギャラリーで、定期的にすばらしい展覧会が行われている。完全予約制で、展示会場内にはひとりだけで入り鑑賞をする。まさに「写真というもの」と向き合う瞑想の空間となっている。

今回は、4月28日まで展示がされていた多和田の展覧会「歌う船」から《歌う船》について。多和田はアーティストであり、京都芸術大学・大学院の教員ということもあり、交友がある。
おそらく、はじめて作品を拝見したのは、21_21 DESIGN SIGNTで2018年に開催された「ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」という展覧会で展示されていた作品で、本展「歌う船」にも同名作品の《I am in You》であったと記憶している。

多和田は「個人的神話」というキーワードを使いながら「写真」というイメージがのったオブジェクトに物理的な介入をしていく。

その後も浜松での展覧会、高崎での展示、京都のアンテルーム、MtK Contemporary Art、東京都写真美術館、アートフェア東京、日本橋のアナーキー文化センターとさまざまな場所へ展示を観にいき、一連の京都芸術大学 写真・映像コース選抜展「POST/PHOTOGRAPHY」展では2回展示をご一緒させてもらっている。

博士課程の2年目の紀要論文「シャーロット・コットン『写真は魔術』の再検討による「POST/PHOTOGRAPHY」論」では「写真の物質性」というテーマを検討するにあたり、研究対象のアーティストとして作品について書かせてもらった。さらに言えば、この論文の本当のスタート地点は、2021年3月に開催した「写真は変成する MUTANT(S) on POST/PHOTOGRAPHY 京都芸術大学 写真・映像コ ース選抜展 KUA P&V」展に向けた特講に、学生として参加していた時に耳にした

「今ならばまだマテリアルに語らせることができる」

という教員多和田の「ことば」がその後、「写真の物質性」をキーワードに書いた「シャーロット・コットン『写真は魔術』の再検討による「POST/PHOTOGRAPHY」論」という論文の方向性を決めたと言ってもいい。

↑京都芸術大学大学院紀要 2号「シャーロット・コットン『写真は魔術』の再検討による「POST/PHOTOGRAPHY」論」

この論文の中で、「写真は変成する MUTANT(S) on POST/PHOTOGRAPHY 京都芸術大学 写真・映像コ ース選抜展 KUA P&V」で展示された多和田の作品である《THEGIRLWHOWASPLUGGEDIN》を取り上げた。

多和田有希《THEGIRLWHOWASPLUGGEDIN》@写真は変成する MUTANT(S) on POST/PHOTOGRAPHY 京都芸術大学 写真・映像コ ース選抜展 KUA P&V 筆者撮影

《歌う船》検討

今回紹介する、《歌う船》がPOST/PHOTOLOGYとして考えるうえで、極めて重要な作品であるというのもこの点に関わる問題である。

展覧会「歌う船」は前述した《I am in You》、磁器作品へ転写作品である《blue on  bule》、京都芸術大学でのワークショップ参加者との共作で、今回の展示を変化させつづける仕組みの一端を担っていた小さな涙壺作品である《lachrymatory》と今回取り上げる《歌う船》という4作品から構成された展示であった。

多和田有希《歌う船》@空蓮房 筆者撮影

《歌う船》はくしゃくしゃにされた星空のイメージがプリントされた写真作品を壁面に固定した壁面オブジェ作品である。

数千年も前から、わたしたち人類は夜空に浮かぶ、点と点である星の並びに線を引き、それをイメージに変換をして、意味や物語を創り出し、そこに価値を創り出してきた。星座は、ゼロ次元の無から価値を生み出すわたしたち人類の「思考」のメタファーそのものである。

一方で、チェコの思想家ヴィレム・フルッサーは写真術の登場を世界の抽象化を「文化的コミュニュケーションの発展」の中の第三段階の抽象として示し、わたしたちは世界を計算思考にて理解するゼロ次元へと達してしまったと述べる。

抽象性をめざしてもう一歩脱却することは、もはやできない。ゼロ次元をさらに遡ることは、できない相談だから。だから、われわれは回れ右をして、はやりゆっくりと、苦労をしながら(生活世界の)具体性に立ち返る歩みを進めてゆくしかないのだ。

ヴィレム・フルッサー『サブジェクトからブロジェクトへ』
村上淳一訳、東京大学出版会、1996年、p. 19
多和田有希《歌う船》@空蓮房 筆者撮影

多和田は本作にて、人類の思考をなぞるように、「イメージ」上の星と星を印画紙を折りたたむという物理的介入により印画紙上、つまり「物質世界」のシワで繋いでみせている。つまり、イメージ(星)と物質(シワ)を同一平面上で接続させ、不安定ながらも「一時的」に形を留めさせるために、壁面にステープル(ホッチキス)にて固定されている。印画紙が「歪められる」ことによって、「イメージ」には「一時的」に「物質」となり、物質世界とのつながりが生まれるということだ。これによって、写真の中のイメージを物質とし、マテリアルと同様に扱うことが可能になっている。

私たちは多くの時間をネットに繋がって過ごし、すでに身体が意識の中から無くなり始めるトランジションの時代に生きています。

多和田有希「歌う船」ステイトメントより

とステイトメントに示す、多和田はフルッサーが示した計算思考の世界において、わたしたちが無に向かっており、その間を揺れ動く現在に対して自覚的だ。その行ったり、来たりを示して「トランジション」ということばを選んでいる。この「トランジション」が極めて重要な概念だと考える。

そうなってくると、この「歪める」というイメージへの物理的介入、そしてこの《歌う船》の作品の形状が不安定に「一時的」なものということの意味が際立ってくる。「トランジション」というのは切り替わりだ。多和田はこの「トランジション」をイメージを「歪ませる」ことで実現する。《歌う船》においては、前述したように「歪ませる」ことによって「イメージ」と「物質」という別次元同士に接点を作り出す。多和田の作品に対する思考の極めて特筆する点はさらにこれが「一時的」であるということだ。

多和田有希《歌う船》@空蓮房 筆者撮影

今回展示された、この形状はこの展示のための「一時的」な形としてこの壁面に固定されたものだ。だからこそ、印画紙はクシャとされたままにステープルで乱暴に壁に仮固定されている。

多和田有希《歌う船》@空蓮房 筆者撮影

この「一時的」ということが加わることで、この作品の強度は圧倒的に増す。つまり、「歪まされ」、物質化されたイメージは展示が終わると、またイメージへとトランジションし、戻るということだ。単に写真を物質化させるのではなく、常に「トランジション」し続けることを作品の構成要素の一部として取り込んでいること。これこそが、この作品の特筆する点である。

軽やかに「トランジション」する様をアーティストの思考とも考えられが、イメージ世界と物質世界を知らず知らずのうちに何度も「トランジション」させられ、クタクタになっていくわたしたちの姿とも捉えられもする。しかし、そういったゼロ次元の難しい時代にゼロ次元から価値を作ったのがわたしたち人類の思考だったということもこの作品は示している。

勝手な憶測ではあるが、多和田にとってこの「歪める」というイメージへの物理的介入は今後も彼女の作品理解において、かなり重要なポイントであるということを今回改めて感じた。紀要・博士論文でも取り上げさせてもらった、「写真は変成する MUTANT(S) on POST/PHOTOGRAPHY 京都芸術大学 写真・映像コ ース選抜展 KUA P&V」で展示された多和田の作品である《THEGIRLWHOWASPLUGGEDIN》もよくよく思い出してみれば、ポイントとなる物理的介入は「歪み」である。歪まされるとイメージはその位相を獲得し、その立ち位置を変えるのだ。

多和田有希《THEGIRLWHOWASPLUGGEDIN》@写真は変成する MUTANT(S) on POST/PHOTOGRAPHY 京都芸術大学 写真・映像コ ース選抜展 KUA P&V 筆者撮影

近年多和田がよく作品制作に用いる磁器というメディアの特徴はまさに手作業による形状の「歪み」であり、もともと歪んだ表面に、イメージが転写されている。

多和田有希《blue on  bule》@空蓮房 筆者撮影

さらには、今回展示にもあった多和田の代表作とも言える印画紙を焼くという物理的介入によって制作される《I am in You》であるが、今回メディウムに焼かれたインクジェット・プリントとともに、塩化ビニル樹脂というものが入っており、当初は「床置きのため」のものと思ったが、今思えば、これもプリント表面に「歪み」の形状を作るためのものだったのではないかと考えられる。

多和田有希《I am in You》@空蓮房 筆者撮影

まとめ

  1. 「イメージ世界」と「物質世界」ということに対して自覚的である。

  2. 現代におけるわたしたちのリアルとバーチャルの関係を「トランジション」という概念で捉え、イメージへの「歪ませる」という物理的介入を手段としてイメージ世界と物質世界を自在に行き来する作品を制作している。

  3. 作品に「一時的」という仮固定の方法論を持ち込み、「トランジション」の概念を実現するとともに、写真概念を大きくゆさぶる作品を提示している。

↑京都芸術大学リポジトリ
「POST/PHOTOGRAPHYの2020年代の展開を論考する」

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