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読みたい本を読みきれずに死んでいくことについて

世界には読みたい本が溢れている。

その中にはタイトルすら知らないけれど、もしもタイトルと書籍紹介を読んだら読みたくなるものもあるだろう。

過去の名作もあるし、これから新たにも店頭には本が並び続ける。

僕は本屋さんを徘徊するのが好きで、何か読みたくなるような本が見つかればその場で買いたい思う。

それでも僕は読みたい本のうち99%を読めていないし、この先も読まないものがどんどん出てくる。今現在読みたいと思っているのに読まないままになる本もたくさんあるだろう。

ふと、読みたい本のほとんどを読まずに死んでいくんだなと思い、虚しさがこみ上げてきた。

これは映画でも、音楽でも、とかく「鑑賞して楽しむ」もの全てに起こりうる。

そんな「読みたいものを読まずに死んでいく」虚しさについて、同じ虚しさを感じたことがある誰かにこのnoteが届けば嬉しいです。

死ぬまで好奇心がくすぐられ続ける世界

「読みたい本がずっとあるし、死ぬまでにほとんどを読めないということは、この世界には死ぬまで好奇心がくすぐられものがあるということ」だと、いつも本屋の徘徊に付き合ってくれる彼女が教えてくれた。

幸い僕はAmazonの使い方を覚えたし、これからもっとすごいテクノロジーが生まれたとしても、少なくとも紙で読みたい本を家に届けてもらったり、Kindleで読みたい本をスマホですぐに読めることも知っている。目がしんどくなったらAudibleで読み聞かせしてもらう方法も知っている。

いつか歩けなくなっても本は読み続けられるということだ。

死ぬまで読みたい本がある、そう思うだけで僕はだいぶ救われた。

速読には走らない

映画を倍速で見たり、音楽を倍速で聴いたりしないのと同じだ。

たくさん読むために速読をしようという考えは一度は思い浮かぶ。が、【速読を身につけて読める本】の数は、【既存の読みたい本】と【これから生まれる読みたい本】の合計に、到底追いつけるものではない。

しかも僕がしたいのは速読ではなく「味読」「遅読」。本を読むために読むのではなく、読みながら何かを学んだり、何かを感じたり、学んだ内容を実践したりする⦅時間⦆を楽しみたいのだ。

「時の試練」をくぐり抜けた本を読む

本の⦅情報⦆だけを知りたい場合もある。例えば自己啓発やライフハックといった実用書は速読してもいいだろう。

一方、実用書の最も大切な部分は、「本を読んでいる時間」ではなく、そのあと「実践する時間」。読んでからもかかる時間のことも考えると出来るだけ質の高い本を読みたい。

「時の試練」をくぐり抜けた本には、時代を超えて人々の人生を豊かにしてきた「普遍性」が隠れている可能性が高い。だから、自己啓発本やライフハック本は数年前に売れて、今なお売れ続けているものだけを読むようにしている。

むろん、誰かの最新作を読みたい、誰かと語りたい、など「最新作を読むこと」自体に価値があるものは発売と同時に買って読めばいいと思う。僕が言いたいのは全ての読書には「機会費用」がかかるということ。「何かを読む」ということは「何かを読まない」ということだ。

あとは任せた

僕が死んだ後も、生きていたら読みたかったであろう本が次々出版されるに違いない。

そういう本を作る作家さんや出版社の方々、流通チャネルやそれを楽しむ読者も次々と生まれて、世界を豊かな場所にし続けてくれることは、とても喜ばしいことだと思う。

すでにある本で僕が読めなかった本も、きっと誰かが読んで、そこから学んだことや感じたことでその人の人生は豊かになり、世界全体も豊かになっていくだろう。

僕が死んだ後の本はその時代を生きる人々に任せて、今はただ、自分が読み手として読書を楽しめる時間を噛みしめたい。


keijas


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