見出し画像

シカゴひとり旅のあれこれ


以下の文章は、私が2023年3月13日から3月17日までの5日間、シカゴを1人で旅行した際につけていた記録をそのまま貼り付けたものです。所々、その時に撮った写真も挿入しています。


1日目(3/13)

飛行機の中で読む村上春樹『一人称単数』はなかなか良い。彼の文体とか、書く世界が好きだけれど(それしか知らないと言っていいかもしれないが)、短編にこそ良さが出る気がする。その不思議さとか、固有名詞とかがまさに。
Arctic monkeysの『the car』も聴いた。何度か聞き始めてやめたアルバムだったけれど、こんなに短かったなんて。

シカゴ着。
ブルーラインに乗って、ダウンタウンへ向かう。鉄道の中は、アメリカらしくボロくて、治安も悪そう。日本の鉄道の綺麗さっぱり感はどこから来るのだろう。日本にいるときは考えもしなかったけれど、あの良い意味でも悪い意味でも整理された小綺麗さは、近未来的なのかもしれない。

鉄道に乗って、ひとまずダウンタウンの駅に着いた。降りると雪がちらついている。寒い。

川が流れていて、それに沿うように摩天楼が連なる。すこし東京の風情を感じなくもない。低めの高架を走る列車は新鮮。
「ラーメン・サン」というラーメン屋へ。昼に辛めのインド料理を食べていたからか、似非であっても日本食は欲しかった。ついでにアサヒビールも。ラーメンは、リンカーンのよりは100倍良い。なんかゆずハイボールも追加で頼んじまった。まあ良いでしょ。旅だし。うまい。

全く知らない都市の、全く知らない店のバーカウンターでひとり。これからの旅はこういう空間というか時間を増やしてもいいかもね。結婚できなそうだな私。

11時過ぎにホテルにチェックイン。いつものように相部屋だけど、今回のは割と良さそう。ベッドもちゃんとしてる。
ベッドに横になった途端に疲れがどっと来た。そろそろシャワーを浴びて寝なくては。明日はどこにいこうか。早起きして散歩、からのスタバのリザーブロースタリーに行ければ最高。

珍しく寝つきが悪い。喉も渇いたから自販機を探したけどない。ホテルの人に聞いたらそもそも自販機ないってさ。仕方なくホテルから歩いて3分のサークルKへ。深夜の2時、パジャマの上にジャケット羽織っただけの格好で外出とか怖すぎ。


2日目(3/14)

結局あんまりよく眠れなかった。
8:30頃起床、9:00行動開始。
スターバックスリザーブロースタリーに来た。一コーヒーチェーン店がここまで観光地かできるって凄い。

クロワッサンと一番ベーシックなブレンドコーヒーを注文。スタバで飲んだコーヒーの中では一番飲みやすい。どこもかしこもスタバのコーヒーは深煎りすぎて苦すぎて、自分はそれが最近あまり得意ではなくなってしまったのだけど、これは程よい苦味で抑えられていて良い。

Navy Pierへ散歩。ミシガン湖でかい。湖側から見る摩天楼は綺麗だったけれど、ニューヨークの見ちゃってるからか、そこまで感動はなかった。

その後はリバーウォークと呼ばれる川沿いの歩道をひたすら散歩。感覚的には、隅田川沿いって感じ。でも、川とビルの距離感が近いからそびえ立つ物をひたすら見上げるような気持ち。
DuSable Bridgeの上でカップルに写真を頼まれたので撮った。私もお願いしようかと思ったけど、背景にはでかでかと「TRUMP」の文字。トランプ・インターナショナル・ホテル&タワーの圧倒的存在感。ここで笑顔で写真を撮れない余計な政治信条が働いてしまったので、頼むのはやめた。ニューヨークのトランプタワーにも少し入ったことはあるけれど、そこで感じたのはなんともいえない「成金感」。ピカピカの内装、室内で謎に流れる滝、極め付けにトランプショップ。壁面の「TRUMP」も似たようなものがあると思う。

メモリアルパークのビーンを鑑賞。思ってたより光沢ある。でも、まあ感想はそのくらい。

そこから徒歩でシカゴ現代美術館へ。徒歩2〜30分なら行けちゃう思考回路は嫌いじゃない。受付のお姉さんがえらくハイテンションだった。クレカの手続き中に鼻歌歌ってる人初めて見たよ。

美術館の中では適当なベンチに座って絵なり映像作品なりをただぼーっと眺めている時間が好き。程よく回復される足の疲労と、少し共振できる作品が一緒になれば尚更。

その後はミシガン湖沿いのビーチを歩きながら一旦ホテルへ戻る。流石に疲れた。現時点で2万2千歩歩いてる。

部屋に戻ると相部屋の2人が談笑していた。お、今までドミトリー同部屋でもこういうのあんまりなかった。1人はメキシコ人で今はポートランドに住んでるらしい。もう1人とも後で話せれば良いな。

夜ご飯は友達がおすすめしてくれたPortillo hotdogs のイタリアンビーフ。ホットドッグのバンズの中に牛丼の具みたいな肉が入ってる。馬鹿でかい、が、美味い。

ご飯を食べ終え、再びメモリアルパーク方面へ散歩。ビーンは、昼間に見るより夜に見た方が段違いで良いことに気づく。滑らかな曲面に映る都市の光の鮮やかさ、外に行くほど歪んでいく景色、そこに映る小さな自分。無力感を覚える静かな存在感があった気がする。あと、この時歩きながら聴いていたカネコアヤノ『タオルケットは穏やかな ひとりでに』がとても沁みた。
就活を始めたはいいものの、正直留学中ではどうしようもならないくらい何もできない。試しに受けてみた2つの出版社は一次面接こそ通ったけど二次とか筆記試験とかが対面必須で仕方なく選考辞退だったし、ラジオ局に関しては面接楽しかったのに一次で落ちた(実質通っていたとしてもこれまた対面の筆記試験があるからまあ無理なのだけど)。今後の進路をどうしようか、まともな就職もできずに日本に留まるのは嫌だ。出来れば都内で職に就きたい。でも、10ヶ月間アメリカにいて感じたこの空気感は好き。若いうちにもう少し海外にいるのもアリな気はする。とはいえ、もう親の脛は齧れないので自分で稼いで自分で生活するしかない。例えばワーキングホリデービザとかでカナダ辺り、1年間生活することは可能。私の英語力なら少なくとも語学学校とか通わずに働けるはずだけど、まあそもそもそんなんで一年費やしたところで不確定な将来を先延ばしにしているだけな気もする。日米問わず大学院進学も魅力的だけど、米の場合はとんでもない学費を自力で払えんのか問題(奨学金をゲットできたとしても)、日本の場合はどちらにせよ半年後くらいには就職の問題が再燃するわけで、結局状況とか将来に関する漠然とした不安は消えない。はてさて、どうしましょうかね。
とは言え、やっぱり東京が好きなんですよね私は。食も文化も景色も好き。あと、アメリカに来て気づいたけど、日本には大好きな人がたくさんいる。遠い異国で独りぼっちになってやっと気づくのは遅過ぎるけど、素敵な人たちに囲まれていたんだと気付かされる。

看板が良さげだったピアノバーに入る。クラシックとかジャズとかかと思ったら選曲はポピュラー音楽。まあそれも良し。試しに頼んでみたシカゴ産のビール、グースアイランドが美味い。めっちゃフルーティー。おかわりも頼んじゃったくらい美味い。
『一人称単数』の中の「ヤクルトスワローズ詩集」を読んで野球が見たくなる。テレビじゃダメ。ボールパーク一択。でもカブスもホワイトソックスもオフシーズンマッチはアリゾナでやってるみたい。帰ったらハスカーズのゲームでもまた見にいこうかな。


3日目(3/15)

朝9時頃起床。昨日散々飲んだ割に二日酔いはない。

Field Museumという自然博物館に来た。本当はその横にある水族館に行こうとしていたのだけれど、入館料が$50近くして、引いたのでやめた。とは言えこちらも$30近く入館料を取られたのだけれど。$20の差額は見れるものが生物か静物かの違いに発生していると考えた。
思えば上野の科博にも長いこと行っていない。こんなに沢山の剥製を眺めたのはおそらく小学校か中学校以来。やけにリアルだけれどピクリとも動かないこの違和感。少し怖い。
アリクイは英語でもanteaterと言うことを知った。彼らは主食だけで名付けられる運命なのか。私だったら納得できない。仮に名前が「ニホンコメクイ」とかだったら嫌だ。

昼はシカゴ出身のクラスメイトが教えてくれたshake shackというバーガー屋へ。肉肉しい、美味い。店員のおばちゃんも優しい。

午後は適当なカフェでコーヒーを飲んだり、適当な服屋を物色したりして終わった。もう少し行くべきところを下調べしておくべきだったかも。

夜はメインイベントのNBA。ユナイテッドセンターでのブルズ対キングス。MJ像の前で写真を撮った時、そういえば父親はたまに「ジョーダンが現役の時にアメリカでNBAを見ておくべきだった」みたいなことを言っていたと思い出した。ジョーダンは遥か前に現役を引退したけれど、父親の行きたかった場所に自分が行くことの感慨はあった。

試合はあまり締まりのないものだったけど、デローザンは凄かったしそれ以上にフォックスが凄かった。隣に座ってた人も1人で観に来たとのこと。テキサス出身なのに、ブルズファンだと。私は日本生まれネブラスカ住みのヒューストン・ロケッツファンですよ…。

夜11時頃、腹が減ったのでホテルの近くのマクドナルドへ。店内の席はもう閉められていたので、端の方にある椅子(と言うより座りやすい高さに設定された板)に座って食べていると、店員のおじさんから「もうdine-inは閉まってるから、外で食べて」と言われる。仕方なく外へ出る。寒空、雑な作りのハンバーガー、冷め冷めのポテト、ドクターペッパー(唯一ちゃんと美味しい)。シカゴまで来て何やってるんだろう、と思ったが、何故かこの経験は自分を強くさせている、とも感じた。シカゴの深夜、気温5度の野外でマック食べていけるんだから、この先何があっても大丈夫そう、という謎理論。「泣きながらご飯食べたことがある人は、生きていけます」くらいの説得力が欲しかったところ。

部屋に帰る。ベッド脇に挿してあったはずの充電器がない。探す、が、ない。換えのコンセントとかはあるけど、Apple Watchの充電コードとか替えがないから不便だなー、凹むなー、と思っていると、横のベッドのやつが「ごめん使わせてもらってたわ」みたいな感じで笑顔で私の探し物(というか私物!!!)を差し出してきた。
なんか、持ってきたコンセントの穴がアメリカのとは違ったんだと。「盗まれたかと思ったわ」「別に使うのは良いけど、次は先に言えよな」となるべく険悪にならないように伝えた私は偉い。


4日目(3/16)

9時頃起床。朝ごはんは2日目にも行った豪華版スタバ。店内BGMでノリノリなバリスタさんがいた。こういう感じで働いてみたい。
今日のメイン、the art institute of Chicagoへ。割と混んでる。やっぱり私は印象派の時代の作品が好きなんだな、と実感。特にモネから感じる風とか、ゴーギャンの湿度とか、スーラの色彩とか。

昼ご飯はシカゴピザ。まあシカゴに来たからには必須なんだろうけれど、正直、重すぎる。あんなに食べるのが負担な料理だとは思っていなかった。1人分だったのに。

それに加えて、その後はやや腹を下す。コーヒーの飲み過ぎか、不安定な食生活か、何が原因なのだろう。Damenという友達がお勧めしてくれたエリアも行ったのだけれど、正直体調があまりよろしくなくて、どこにも行けなかった。ホテルに帰って少し休んだ。
夜は少しでも健康的なものを!という意識で韓国料理屋でビビンバ(的なアメリカナイズドされた何か)を食べる。野菜大事。

小雨が降っていたけれど、シカゴの夜はこれで最後なので散歩。体調も少しは回復してた。聴いていたのは小沢健二の『我ら、時』。旅行に出るたびに、このライブアルバムは聴き返していて、その度に新たな発見だったり、いつでも最高な雰囲気になれる多幸感を兼ね備えている。『天使たちのシーン』が流れていた時、ちょうど私はシカゴの街を南北に分ける川にかかる橋の上にいて、そこからはビル群の光がカーテンのように見えた。「生きることを諦めてしまわないように」。最近の悩みとか、忙しさとか、辛さとか、そういう類のものは決して消えないのだろうけど、諦めてしまわないようにする、それだけで良いのかもしれないと思った。

ホテルに併設されているバーで「フリーバード」という名前のビールを飲む。美味しい。APAと呼ばれるものが私は好きらしい。


5日目(3/17)

9:45頃起床。10時チェックアウトだと勘違いしていたため焦ったが、本当は12時だった。

昨日あまり楽しめなかったDamenを再び訪れる。古着屋、レコード屋、本屋などが並んでいてとても良い雰囲気の街。レコード屋のワールドミュージアムコーナーに日本のシティポップコンピレーションアルバムと並んでネバヤンが置いてあった。
古本屋で村上春樹『羊をめぐる冒険』英訳版を購入。隣のカフェで少し読んだ。一度日本語版を読んだことがあるが、英語版もやはり言葉自体は平易なんだな、と思った。
立ち寄った古着屋に良いナイキのキャップがあったので購入。今までネブラスカ大のものとロケッツしかなかったので、普段使いしやすいものになれば良いな。

余裕を持ってオヘア空港に着いた。空港でたまに日本語が聞こえてきて、どきりとする。なぜだろう。そりゃあ日本への直行便も出ている空港なのだから(実際に2ヶ月後に私も帰国のために使う空港でもある)当たり前なのだけれど、話されている言葉が細部まで「分かってしまう」ことの怖さ、とでも言うのだろうか。

飛行機の座席は窓際。夜のフライトならこれは得をした。私の座る横一列は夫婦らしき白人男女2人と、その子どもらしい10歳以下くらいの子たち4人(うち1人は乳幼児で父親の膝の上)。私の左隣には大体5歳くらいだろうか、おとなしめの男の子。
なんとなくだが、子どもを持つってこういう感じなのかな、と思った。自分の隣に、小さな他人がちょこんといる感覚。絶対にそれだけではないのだろうけど、不思議な他者感がある。

空港でリフトを拾う。運転手はインド系のおっちゃん。今回はリフトでアムトラックの駅まで行って、それでリンカーンまで帰るという方法。正直だいぶ面倒くさいけど、$100近くタクシーに払うよりは節約になる(と思う)。
「デンバーまで行くの?」と聞かれたから「いや、リンカーンまでだよ」って答えたら「は???wwwすぐそこじゃんwww」みたいなこと言われた。分かってるよそんなん。金節約したいし、ちょっとアムトラック乗るのにも興味あったの!!!

アムトラック、来ねえ。いや、知ってた。アメリカの鉄道なんてこんなもんよ。10分くらい遅れたところでって話よね。でもさ、駅員さんが「あと10分で来るよ」的なこと言ってたのに既にそこから25分は経ってますよ…。

結局30分遅れてアムトラックは来た。その頃にはオマハ駅は雪がちらつき始めていた。3月ってもう少し春だと思ってたよ。
車内は意外と快適。寝台特急的に使ってみるのもアリだったかもしれないね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?