見出し画像

【元日産ケリー事件】司法取引と保釈

2022年3月3日、日産元代表取締役のグレッグ・ケリー氏の金融商品取引法違反事件で、東京地裁は懲役6月・執行猶予3年を言い渡しました。
しかし起訴された大部分の事件は無罪となりました。
ケリー氏は一部有罪を不服として控訴、東京地検も一部無罪を不服として控訴しました。

この裁判では、元秘書室長ら2名が司法取引で免責を受けた上で証言していましたが、東京地裁は、その証言の信用性を、慎重に判断した模様です。
判決文はまだ入手できていないので、ざっくりと司法取引に関する意見を述べたいと思います。

1 日本版司法取引とは

正式には「協議・合意制度」といいます。
刑事訴訟法改正により2018年から導入されました。

「協力者」が他人の事件に対して捜査・公判協力を行うことを約束し、検察官は、当該協力者に対する起訴を見送ったり、起訴したとしても求刑を引き下げるなどの見返りを与えるものです。

日本では、海外のような、自分の罪を認める代わりに刑を軽くしてもらうという司法取引(「自己負罪型」といいます。)は創設されていません。
あくまで「他人の事件」に対する捜査協力・公判協力なのです。

2 司法取引に否定的な裁判所

下記の記事のとおり、日本版司法取引は、制度導入から4年でわずか3件の適用例しかありません。
私が2020年3月に共編著を出したときも3件だったので、そこから変わっていません。

限られたケースの中で、裁判所は、司法取引に協力した証人の証言の信用性を、かなり慎重に判断しています。
たとえば、会社代表者の業務上横領事件で司法取引が適用された事件では、第1審の東京地裁判決(2021(令和3)年3月22日、井下田英樹裁判長)は冒頭で次のとおり述べています。

なお、本件は、後記のとおり、捜査の過程で、共犯者である判示のJ(以下「J」という。)と捜査機関との間で証拠収集等への協力及び訴追に関する合意(以下「司法取引」という。)がなされた事案であり、本件公判においても、Jの供述や、Jを通じて収集されたり存在が明らかにされたとうかがわれる各種の証拠が、取り調べられている。このような経緯を踏まえ、Jの供述のうち、客観的な裏付けを欠き、争われている部分については、信用性判断に際して相当慎重な姿勢で臨む必要があると考えられ、極力、争点における判断材料として用いないこととし、以下では、客観的な裏付け証拠があるか、当事者間で争いがないなど、動かし難い事実関係を中心にして、争点を検討することにした。

事案の結論は有罪なので、「慎重」とは言っても証言を用いることはあるのでしょうが、かなり否定的な論調です。

なお、最近出た、同事件の控訴審判決でも有罪は維持されました。
東京高等裁判所 2022年(令和4年)3月1日判決(細田啓介裁判長)です。
こちらの判決は、裁判所サイトで入手できます。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=91015

東京高裁も、司法取引協力者の証言は慎重に判断せよと言っています。
(※ 下記の仮名Bは、地裁判決でいう仮名Jのことでしょう)

なお、原判決は、捜査の過程においてBと捜査機関との間で証拠収集等へ
の協力及び訴追に関する合意がなされていることから、Bの供述のうち、客観的な裏付けを欠き、争われている部分については信用性判断において相当慎重な姿勢で臨む必要があると述べているが、このような考え方に基づく証拠評価を含め支持することができるものである。

3 尻込みする検察

裁判所がこのように厳しい態度であると、捜査側・検察としては、司法取引を用いる意義が感じにくいことでしょう。
司法取引の実例・運用がまだまだ少ない中、協力を得て起訴にこぎ着けても、裁判所にはかなり否定的に判断されてしまう。
あえて「チャレンジ」するメリットが、現場の検察官には乏しいというわけです。

下記の記事でも、匿名検察幹部の「使った人が少なすぎて使ってみようと思わず、全然広がっていない」という発言が紹介されています。
(※「使おうと思っても偽名ばかり」の部分は、残念ながら有料)

4 裁判所の矛盾が「裏取引」を加速させる?

ところで、裁判所が、司法取引に限らず、いわゆる共犯者の証言全般に慎重な態度を示しているかというと、そうではありません。

ある事件の共犯者とされる者が『主犯は××だった』『利益は××が独占した』などと供述し、他の共犯者に責任を転嫁することは、よくあります。
このような共犯者供述には、他の共犯者への「巻き込み」あるいは「引っ張り込み」の危険性があると言われています。

しかし、共犯者供述の信用性に対する裁判所の判断は「慎重」と言えるものではありません。
たとえば、検察官がいちど共犯者の供述調書を取ると、裁判でその共犯者が調書の内容を否定しても、検察官の作成した供述調書の方が信用できる、という有罪判決がなされてきました。
裏取引どころか、取調官の脅迫がなされていてもおかしくない「密室」で作成された調書の方が信用できる、という判決が出ていたわけです。

司法取引に協力した者の証言は、免責という「報酬」に引き換えてなされたものだから、極力、証拠の裏付けがあるもの以外は採用しない。
今回の裁判所の発想は、正しいと思います。
しかし、裁判所には、司法取引以上に不公正・不透明な過程で得られた供述を、大量に採用してきた過去が、あるのです。

裁判所の矛盾を、検察と警察は、見抜いているでしょう。
あえて無理して「司法取引」する必要はない。
『今まで通り』、取調室の中で、参考人や共犯者と駆け引きして供述調書をとれば良い。
そういう風に受け止められている可能性は、十分にあると思います。

捜査機関による「裏取引」のリスクは、現実に存在するものです。
刑事弁護をそれなりにしている弁護士は、捜査に協力したと思われる人物に対する不起訴処分や寛大な求刑を、いくらでも見ています。
先の河井元法務大臣の公職選挙法違反事件でも、東京地検は、元法務大臣から現金を受領した広島県内の政治家を、一斉に不起訴としていました。
それが、今年1月の検察審議会での不起訴不当議決等を受け、受領した金額等に応じて一部の政治家を起訴したことは、広く報道されています。

司法取引に対する裁判所の厳しい姿勢は、一見好ましいように見えますが、これが司法取引に限定されたままだと、「裏取引」の時代に戻るリスクがあります。
つまり、司法取引の事例に限定せず、共犯者の供述全般に対する厳しい姿勢が打ち出される必要があるのです。

5 過酷な保釈条件

最後に保釈の点について。
ケリー氏は2018年11月に逮捕・勾留され、保釈は同年12月末のこと。
保証の条件として、7000万円の保証金の納付、裁判が終わるまで妻と都内で同居し、日本からの出国禁止という制限が付されたとされます。

今回の執行猶予判決で、勾留自体が失効しました。
その結果、ケリー氏には保証金が返還されるほか、国外出国禁止などの保釈条件も終了しました。同氏と妻は、既に3月7日、日本を出国しました。
(なお、控訴審には被告人本人が出頭する義務はないので、ケリー氏が日本に戻らなくても開廷可能です。)

改めて異常に思うのは、保釈条件とその期間です。
裁判が終わるまで母国に一切帰れない、というだけでもかなり制限です。
そして裁判が3年半近くに及んだことで、制限が同じ期間続いたのです。
検察官のケリー氏に対する求刑は「懲役2年」だったようですから、いかに過酷なことかが分かると思います。

ケリー氏の事件は、複雑で難しい事件でしたが、事案の内容からして、仮に全部有罪になったとしても、それほど重くならないことも明らかでした。
保釈条件は、事案の性質と制限とのバランスを欠いたものとなりました。

先に述べた「共犯者供述の信用性」に対する姿勢も含めて、刑事裁判所の変化こそが、何よりも必要なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?