片桐ヒメカに看えるもの 【1】
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片桐ヒメカは驚いた。その男児の持っている天賦の才に。
海辺に近いその公園には、ささやかな遊歩道がある。自宅からコンビニに向かう道に並行しているため、別に近道になるというわけではない。それでもときおり、木々の葉の下を歩きたくなる日はこの遊歩道を行くことがある。今日のように。
男児は、遊歩道の真ん中にしゃがみこんでいた。なんらかの昆虫を見つけたのだろうか、様子を観察しているように見える。
「ほら。たっくん。お姉さんが来たから、邪魔になるよ」
近くに立っていた母親が男児に話しかけるが、その声はまるで届いていない。
ヒメカは男児を避けて通ろうとした。舗装された道のそとへ踏み出すと、靴の裏の感触はふわりとして、細い枝がぽきりと折れた。
その音に反応したわけでもないだろうが、男児が顔をあげた。ヒメカと視線が合う。その瞬間、ヒメカは動けなくなった。
男児の瞳の奥。そのさらに奥。心を映し出す部分。
名前がついてないその部位を、ヒメカは看ることができる。
それがあまりにも美しい青磁色に輝いていたのだ。
ここまで純粋な光は、ヒメカの長い人生においても看たことはなかった。
古来から神の遣いをつとめる一族がいる。ふだんは人間に紛れて生活を送っているが、黒猫に身を変えたり、鴉や蜘蛛に変化したり、ときには樹と一体化することもある。そうして、人々の暮らしにそっと寄り添ってきた。
ヒメカもまた、その一族の末裔なのだ。
男児はすぐに視線を昆虫へ戻してしまった。もうすこし看ていたい。また視線が合うまで待ってみようかと思ったが、母親が「すみません。邪魔しちゃって」と駆け寄ってきたので、会釈をしてその場を離れた。
ヒメカは神が人間にあたえた才能を看ることできる。
男児には、天才的な医者の才能があたえられていた。
その言葉は心を癒し、その指先は身体を治す。病の苦しみから人々を救い、そして人々は彼を愛するだろう。後進たちはこぞって彼を師と仰ぎ、薫陶を受ける喜びに酔うことは間違いなかった。
天の配剤の妙と、偶然の出会いに可笑しみをおぼえたヒメカは、口元を緩めながら木漏れ日のしたを歩いていった。
*
「おにいさんたち、大学生? 次行くとこ決まってるの?」
「いや、まぁなんか、ひとり遅れてるヤツいて、時間もてあましてるんすよ」
「飲みながら待ったらいいじゃん。席空いてるよ」
片桐ヒメカは知っていた。その男児が医者にならなかったことを。
男児の父親は、彼が中学一年生のとき、メーカーの中堅幹部の職を失った。真面目で忠誠心の高い人柄だったから、上司を支え続け、そしてそれが裏目に出た。上司は検査結果を改竄し、それが明るみに出て、罰せられた。男児の父親も連座するかたちで会社を去らざるを得なかった。
不祥事で解雇された人間の情報は同業他社に共有される。父親を雇おうとする企業はなく、異業種での非正規雇用となった。
母親が働きに出ることにしたが、彼女の経験は十五年前で止まっており、そんな古びたスキルを求める企業は容易に見つからなかった。
男児は学習塾を退塾し、高校は安上がりな公立を選び、大学進学は諦めた。高校卒業してすぐ働きに出て、職場を転々としながら、三十歳を迎えたいまもなんとか生活を維持している。
「最初の一杯目サービスしちゃうから。どう?」
「どうするか」
「まぁ、いいんじゃね。一時間近くあるし。お兄さん頑張ってるし」
「そうするか。じゃあ、お兄さんに免じて入ります。2名いいっすか」
「もちろんっすよ。どうぞ!」
ふたりの大学生は二階へ続く階段を上っていく。客引きの男は、フロアスタッフに、新規客の入店を無線で伝えた。
片桐ヒメカは、ときおり黒猫の姿でここへやって来て、客引きの男を看ることにしている。
あの瞳の奥。青磁色の輝きがまだ失われていないことを願いながら。
おわり
現在連載中の作品はこちら。ヒーローものパルプ小説です。
こども向け短編小説です。読み聞かせにいかがでしょう。
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