出勤!中間管理職戦隊ジェントルマン 第1話 攻撃と対立 【5,6】
逆噴射小説大賞2019へのエントリー作品を連載化しました。1話を10のシークエンスに区切っており、5日間で完話します。
【 5 】
黒い霧に包まれた異形は、三人に向かって一歩前進した。その体躯からみれば拍子抜けするほどに軽い、振動も地響きもない静かな一歩だった。
「ちょちょちょ、来る来る!」
「押さないで、押さないで!」
「また逃げましょう!」
異形の一歩に対して、三人は十歩さがった。
『逃げるのはお勧めしません。またそこに転送すれば済む話ですから』
「い、いや、でも」
『皆さんが逃走しているあいだに、犠牲者がふたり増えましたよ。そういう意味でもお勧めしません』
「え?」
『タクシーの運転手と乗客ですよ。そのあたりに見えませんか』
確かに異形の向こう側に、さきほどまでなかった緑色の車体が見えた。フロントガラスには鋭く穴が空いている。運転手と乗客の姿は見えない。
「いや、でも、戦うって言っても」
「そうですよ。そもそも、この化け物はいったい」
『人間ですよ。元人間です』
「これが?」
『エスエナジーを強く浴びた人間はときおりそのようになります。もっとも、姿形はさまざまです。元になった人間がどんな欲望を強く持っているかで性質も変わります。目の前のそいつは、実にわかりやすいですね。破壊欲です』
「破壊欲?」
『ええ。破壊欲を抑えきれなくなった人間が、エスエナジーを大量に浴びて仕上がったのがそいつです。私たちはその状態のことをアルケウスと呼んでいます』
「アルケウス?」
『そのとおりです。そいつは”攻撃と対立のアルケウス”です。求めるのは破壊だけ。実にシンプルです。初陣としてはベストマッチでしょう』
そのときアルケウスが動いた。しかしその動きに抑揚がなく、なにが起きたか瞬時にはわからなかった。まるでズームインしたかのように大きくなり、それが一気に距離を詰めてきたからだと理解できたころには、間合いに入ってしまっていた。
アルケウスの右腕の一振りが、アゲダシドウフを捉えた。
「ぐぼっ!」
鉤爪に掻き出されるように、アゲダシドウフの身体は宙を舞い、直後にビルの外壁に叩きつけられた。周辺のガラスが砕け、陽光を反射して輝きながら、アゲダシドウフの背中に降り積もる。
トリカワポンズはその場にへたり込んだ。もともと小柄な彼が地面と仲良くなったため、アルケウスの視界から消えたのだろう。意識はナンコツに注がれた。
ナンコツは呆然としたまま、アルケウスの一閃を腹に受けた。まるでテーブルの埃を払うかのような動作だった。鉤爪の背で弾かれたナンコツは、隣接するテレビ局の十階あたりに激突し、意識を取り戻す間もなく落下した。
そのとき、トリカワポンズは、失禁していた。
【 6 】
『ああ、漏れちゃってますよね。ねえ、漏らしちゃいましたよね』
サングラスを通じて白衣の男の声がする。が、トリカワポンズには聞こえていなかった。
『あちゃー。スーツに失禁対策はしてなかったなぁ。まあいいか』
へたり込んだままのトリカワポンズには目もくれず、アルケウスは背を向けた。路地から現れた黒いミニバンを次の標的にしたのだ。
トリカワポンズは胸を撫で下ろした。おそらくミニバンを破壊する間のわずかな時間を得られたはずだ。しかし次の光景が、彼を戦慄させた。停車したミニバンのスライドドアが開き、後部座席の女性の顔が見えたのだ。
「……うそだ」
トリカワポンズは両手を地面についた。
『知り合いですか?』
「知り合いだなんてとんでもない。あなたは、日曜深夜一時から”美咲の真夜中メリーゴーランド”を聴いてないんですか?」
抑揚のない動きで、アルケウスはミニバンに近づいていく。
『聴いたことないですね』
「彼女は、メインパーソナリティのエレオノーラ美咲ですよ」
アルケウスがさらに距離を詰める。ミニバンの運転席から男が転がり出て、這うように逃げていった。
『なるほど。ラジオの収録でもあったんでしょうか。それにしても不運な』
「不運?」
エレオノーラ美咲が恐怖の悲鳴をあげる。
『ええ。もう手遅れでしょう』
「……なんだと、クソガキ」
トリカワポンズは立ち上がった。
『え? クソガキって私のことです?』
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ! 白衣メガネ! 手遅れじゃねぇ!」
トリカワポンズはその小さな身体をさらに丸めて、一気に跳躍した。スーツの補助を受け、弾丸のように加速した彼は、アルケウスの背中に右拳を叩き込んだ。
トレーラーのタイヤを殴ったような硬い弾力だった。アルケウスの背中に取りついたトリカワポンズは続けて拳を繰り出した。左拳、右拳、左拳、右拳、そのたびにアルケウスは振動する。包んでいた黒い霧がざわめくように鳴動した。
『いいですよ! トリカワポンズ! その調子』
「うるせぇ! 白衣野郎! てめぇもこっちこいや!」
『その相手なら、三人いれば十分です』
「こっちはもう二人やられてんだよ!」
『やられてる?』
「見てねぇのか!」
『見てますよ。例の美咲ちゃんはすでに、アゲダシドウフとナンコツが確保しています』
気づけばミニバンには誰もいなかった。トリカワポンズが打撃をやめ、背後に視線を送る。確かにそのとおりだった。愛するエレオノーラ美咲は、ブラックスーツのふたりに保護されていた。
『あ、打撃やめちゃダメですよ。せっかく優勢だったのに』
連打から解放されたアルケウスはその体躯を一瞬震わせた。次の瞬間、アルケウスの背中に眼球のない顔面が現れた。それはちょうど、しがみついているトリカワポンズの眼前だった。
アルケウスの背中は、正面になった。
つづく
電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)