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ローグライクゲームに思うこと

 かつてPC-8801用の『ローグ』を死ぬほどプレイしていたことがある。当時、アスキーネットで『ローグ』というゲームが遊べるという話を聞いて、いつかパソコン通信をやるぞ、と思っていたのだが、結局パソコン通信を始めるより前に、自分の家のパソコンで『ローグ』が遊べるようになってしまったわけだ。

 フロッピーディスクのラベルが(比喩じゃなくて本当に)擦り切れるまで遊んだ元祖『ローグ』だが、イェンダーの魔除けを無事持ち帰った頃から、興味がなくなってというか、純粋にやることがなくなって徐々に遊ばなくなってきた。オンラインじゃないので、スコアを競う相手もいないから仕方ないことであろう。

 PC-8801用『ローグ』から7年後、スーパーファミコン用ソフトで『トルネコの大冒険』が発売される。前情報で、明らかに『ローグ』のリメイクとわかるゲームシステムに飛びついた僕は、このゲームも、続編の『風来のシレン』シリーズも、かなりハマってプレイした。『ローグ』の要素を取り込みつつ、武器と盾を強化していくシステムなど、やりこみに値するゲームシステムが備わっていたからだ。

 しかし、時代が進むとともに、ローグライクゲームにも変化が訪れる。死んだら終わり。一回勝負の緊張感あふれるゲームスタイルが『ローグ』の真骨頂であったはずが、いつの間にか、「死んでもレベルは残りますよ」「1回だけ復活できますよ」「救助に来てもらえますよ」など、様々な救済措置が実装されるようになってきたのだ。

 もちろんゲームをプレイする層のターゲットや、よりユーザーフレンドリーなゲームを作ろうという考えがそうさせるのであろうが、これがまったくもって物足りないのである。死んでも何も失わない。強化した武器を持ち込める。なんなら、他のプレイヤーが助けに行ってもOKですよ。そんなのは僕の求める『ローグ』ではなかったのだ。

 思えばこの傾向は、最初の『風来のシレン』が登場したときに、すでに始まっていたのかもしれない。『風来のシレン』では、死ねばすべてのアイテムを失い、レベルも1に戻ってしまうものの、合成を重ねて強化した剣と盾は次回のプレイでダンジョンに持ち込める。それを足がかりに、さらに攻略を進めるのが基本なのだが、このシステムがより親切に、手厚くなっていった結果、死亡ペナルティが限りなく小さいローグライクゲームが出てくるようになったのだ。

 ゲームは難しければよいというものではないだろう。プレイヤーがより快適に遊べるゲームシステムを提供しようとするのは、ゲームデザイナーのサービス精神に他ならない。我々ユーザーもそれを求めている。しかし、こと『ローグ』に関しては過剰なサービスはいらないのだ。死ねば終わり。次回は改めて挑戦してねという姿勢でプレイヤーに挑んでもらってかまわないのだ。

 今、ローグライクと呼ばれるゲームは、それこそ山のように存在する。Steamで「ローグライク」をキーワードに検索すれば、何らかのランダム要素を基幹としたゲームが星の数ほどヒットする。しかし、そこにかつての本物の『ローグ』はない。単なるダンジョンランダム生成のシステムがすなわちローグライクと呼ばれ、幅を利かせているだけだ。

 我々はすでに『ローグ』という原初のRPGを経験してしまっている。今から元祖『ローグ』と同じものを作ろうというデベロッパは皆無である。そんな時代に、僕たち元祖『ローグ』世代は何を頼りに生きていけばよいのだろう。

 まあ、単なるわがままな年寄りの戯言である。


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