ゲーム条例は現代に蘇った焚書である - 香川県が無為のうちに行おうとしていることの恐ろしさ

 今年の1月から香川県が『香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)』について募集していたパブリックコメントの、9割が賛成意見だったという数字が発表された。

 ついさっきまで、ネット上でも、その数字の信憑性を疑う声などが流れていたが、おそらくそこを突いても、真実は出てこない。

 この話の一番の問題点は、すでに半世紀の歴史を重ね、MoMAにも芸術品として収蔵されるほどの文化に成長したゲームというメディアに対して、非常に粗雑なプロセスで、それに触れる機会が著しく阻害される条例が可決されそうになっているということだ。ちなみに、その素案は香川県のサイトで見ることができる。

 当初香川県は、スマホとゲームの時間を制限することを盛り込んだ素案を準備していたが、これに対して批判が多く寄せられたため、すぐに「ゲームのみ」をターゲットとする案に変更されている。

 この風見鶏的な素案決定プロセスを見ているだけでも、そのいい加減さが透けて見えてくる。さらに、ねとらぼの記事には、香川県議会の高田よしのり議員の「ガチャ」を社会問題とする私見のようなブログについての記事が掲載された。高田議員は、「ガチャ」の集金システムが問題だと断じている。

 ここで述べられている、「ガチャで集めたお金は何も生産しない」という論理も、意味がよくわからないところであるが、それを差し引いても、だからゲームの時間が制限されるという流れがよくわからないのだ。「ガチャ」を禁止することが営業妨害だから、ゲームを禁止する。この論理展開こそ稚拙の極みではないだろうか。あまりに雑すぎるのだ。

 一方で、個人的には、今回のパブリックコメントに賛成意見が多く寄せられたという発表には、一定の真実があるのではないかと考えている。子どもがスマホのゲームに興じ、一向に勉強しない。そのコントロールができないという親が増えていることは想像に難くない。しかし、親とすれば、「県で決まったことだから」と言えば、堂々と子どもに「やめなさい」と言えるわけだ。いわば、子どもからゲームを取り上げる御旗の錦が今回の『香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)』なのである。

 そこには、ゲームをやめて勉強すれば、すべての子どもが素晴らしい能力を身に着けて、将来の未知が約束されるという、親の、いや社会全体の幻想がある。それは、選挙のときに教育行政を票集めの餌とする政治家の存在につながっていくわけだが、その話はここでは割愛する。

 とにかく、拙速な条例素案に、安易に飛びついてしまった(子を持つ親の)世論。それが、稚拙な条例を生み出そうとしているのが、今回の話だ。冒頭にも述べたように、今やゲームは、ときとして芸術の一分野として認められる、文化的価値の高い存在に昇華している。そして、ゲームを作る人間はもとより、それをプレイして見せる人たちすら、今は職業として成立しているのである。文中に登場した「ガチャ」の経済効果も、我が国において無視できない産業である。さらには、ゲーミフィケーションが、その親たちが求める教育の分野にも有効な方法論であることはいまさら言うまでもない。

 こういうものをすべて乱暴に差し置いて、すべてを悪と断じる『香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)』。あまりに粗暴で、知性の欠片もない、幼稚な条例ではないか。何のエビデンスにも基づかず、データなき理論で暴走する県議会。そんなものは文化の何たるかを理解しない、田舎の年寄り達による茶飲み話レベルの戯言に過ぎない。

 こんなことがまかり通るなら、それは、ゲームという文化を踏みつけ、破壊する、現代の焚書と言わねばならないのだ。それでいいのか、香川県。



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