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第111弾「アリエル」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

111曲目はこれ。アリエル。作詞はベースの保科さん。Tシャツは、鹿児島「いづろ」で公開秘密基地(秘密基地だけど公開!)をやっているK様から、譲り受けたものになります。視聴者少なすぎてあれだけど、毎回色々なTシャツを着て動画を取ったら、服に困ることはないのだろうか。あるいは、顔面(あるいはマスクとか)に油性ペンで広告書いたら、スポンサーとかつくのだろうか。こういう広告を出す企業(個人)は、非常に粋だと思う。エガちゃんをCMに起用した中古車アラジンを、あたしは粋だと思う。

「アリエル」 作詞 Ryota Hoshina 作曲 Keigo Sakatsume

僕は檻に閉じ込められたライオンさ 大あくびして 目を瞑る
肉が欲しいと たまには吠えて 三度の飯だけ求めて生きる

僕は王に飼いならされたライオンさ 適度に演じて 人を騙す
不具でもないのに駆けやしない 半分 フリで 半分 寝てる

どうやら夢ってやつを見たらしい 地平線を往くあの太陽と
風に吹かれ黄金(きん)に輝く草 踏んだ大地は火より赤く

肚の底から咆えたくなって 生きてるな 生きてるぞ 意気揚々
エモノは 己で獲るんだな 駆け出して 駆け抜けて 空になる

息が苦しい傷が絶えない これが生きるってことなのか
百獣たちよ 待たせたな 流れた 涙が 答えのようだ

僕は夢から醒めたライオンだ 誰の期待にも応えない
その餌には 誘われないぜ 断食中さ 頭が 冴える

はじめて願いを持ったんだ 水平線から昇る眩しい光
雷鳴とどろく荒野の雨に かかる虹を見てから死のう

心の臓から震えてくるな 勇んでるな 挑んでるぞ 闘ってるぜ
機会(チャンス)は自分でつくるもの 血が流れて 嬉しくなって 倒れちまった

身体が鉛にもう動けない なんだ 空ってこんなに青く
百十回目の 敗けがつく だけど 気分は 晴れていた

死に方よりも 生き方だろう どこにぶち当たるのかわからない
わからないけれどここではない ここではないからまず飛び出す

腹の底から湧き上がってくる 生きてるな 生きてるぜ 意気揚々
エモノは 己で掴むもんだ 懸け出して 駆け抜けて 駄目になれ

ああ愉しかった そう言いたい 遠い夜空に笑顔浮かべ
百十個目の 星 となって 闇の中へ 流れて 消えた

僕は檻に閉じ込められたライオンさ 大あくびして 目を瞑る

いい曲でしょ!!詞が!!ストーリーが!!夏。甲子園がはじまりました。名場面特集とか見ていると、感動する反面「感動しているだけのあたしってなんなんだ」ってなる。なにかをしている若者たちと、なにもしてない自分。このコントラストに胸を抉られる。自分は、彼らのように命を燃やせるものをもっているだろうか。と。ただただ一方的に「応援する」ってことができない。彼らはやっている。だが、自分は、どうだ。そんな感じで、常に矢印が自分に向く。そして、いてもたってもいられなくなり、動画を消す。深い呼吸をする。一度だけ目を瞑る。悔しさが消えない。人生、合理的になったら終わりだ。どれだけガッツポーズをできたか、どれだけハイタッチを交わせたか、どれだけ最高の笑顔を浮かべ、どれだけ涙を流したか。だと。

そんな気持ちになるから、あたしはスポーツ観戦に行かない。誰かのライブに行っても「観客席から見ているだけの俺ってなんなんだ」とか思っちゃう。場合によっては「俺に代われ」とか思っちゃう。お客さんでいることができない。だから、これは皮肉でもなんでもなくて、一方的に感動できる人が羨ましい。無邪気にヤジを飛ばせるひとの鈍感力も図々しさも、自分にはない。誰かが打ったホームランも、決して、自分が打ったホームランではない。だから、スポーツで感動することに警戒をしてしまう。だけど、この曲の作詞をしたベースの保科さんは、高校野球マニアで連日観戦をしている。だけど、保科さんは、どうやら「日々の鬱憤を晴らすためにスポーツを見ている」ように見えない。なにかが違う。別に、ホームランに熱狂するためでも、代理満足を得るためにも、足を運んでいるわけではないように思った。

それで、冷静に保科さんを観察していたら、ひとつの洞察に至りました。この洞察にいたったとき、あたしの背筋は凍りつきました。そう。保科さんが高校野球を見に行くのは「散り際を見届けるため」だと思ったのよ。盛り上がるためではなく、散りゆく者を、見届けるために球場に足を運んでいる。彼は、敗者を見るために球場に足を運んでいるのよ。滅びの願望を抱える保科さんは(あたしにも結構ある)、いかに生きるかと同じくらい、常に『いかに死ぬか』という問いを抱えている。そんな武士のような男。保科さんの動物占いはライオンで、数ヶ月前に購買したアコースティックベースの名前が『アリエル』という名前です。だから、多分この詞ができたのだと思う。

「人魚と全然関係ねえじゃねーか!」と思ったあなた、鋭い。そう、全然関係ないのよ。だって、これはベースの名前なんだから。ただね、この曲、動物占いがライオンの人なら共感できるはず。あるいは、牡羊座とか獅子座とか射手座(火の星座)のひとも、こんな気持ちになることあると思う。三度の飯を食う。それがあれば生きていける。それがあれば生きていけるはずなのに、なぜか「生きていると思えない」瞬間がある。これでいいのか。自分はこのままでいいのか。葛藤が生まれる。そして、自分の本音「肚の底から吠えてみたい」という欲求を知る。生きていることを実感したい。そういう気持ちが湧き上がってくる。平和に対するありがたみを思いながら、同時に、自分をダメにしている平和の存在に嫌気が差し、平和とは逆の方向に自分を投げ出したくなる。死を思うからこそ、生が充実することを、感じる。

保科さんは怖ろしい男で、普通に話しているときも「僕は、どうしてみんなが幸せになりたがるのかがわからないのです」とか、言う。言いたいことはわかるけど、あまりにも自然にそういう言葉が出てくるものだから、彼はナチュラルボーンの武士なのだと思う。あたしたちは、どうしても『喜』や『楽』などのポジティブな感情を優先して、『怒』や『哀』などのネガティブな感情を避けようとする。でも、保科さんをみていると思う。どの感情にも、等しくあじわいがある。ポジティブな感情だけを共有できる相手は、どうしたって『半分』だと思う。苦楽を共にした記憶が、ふたりの絆を深める。楽しいだけじゃ、半分。苦しい時期も一緒に過ごすから、絆は深まる。

この『パラディン』って曲も、作詞は保科さん。109曲目『Ran away』も、保科さんの作詞。この三作だけでも、保科さんの世界観がわかると思う。歌詞にもあるけど「ああ、愉しかった」と言いながら死ねたらいいわよね。そのためには、死に方だけを考えるんじゃなくて、生き方を考えていかないとダメよね。長く厳しい時期があったからこそ、炸裂する笑顔の素晴らしさがある。人生にガッツポーズを求めるなら、挑戦はかかせない。別に、ガッツポーズなんてする必要はないのだけれど、でも、ガッツポーズのない人生って、やっぱりちょっとさみしいと思う。あたしは、今年の五月に生まれてはじめてサーフィンをやったとき、生まれてはじめて波に乗れた瞬間に「よっしゃー!」ってガッツポーズをした。無意識的に、思わず、ガッツポーズをしていた自分がいた。あの瞬間は、最高だった。あれから3ヶ月、まったくガッツポーズできていない自分を、かなり恥ずかしい存在だと思う。

生きていることを実感したい。いつの間にか、あたしは新潟の海に飛び込んでいた。夏の海。最高。海に入ると体調がよろしい。そういえば、昔、遊びながら勉強をするために「背泳ぎをしながら教科書を読む」秘儀を編み出した。でも、失敗して、理科の教科書をダメにしたことがある(だからあたしは文系になった)。新潟は田舎。砂浜はガラガラ。それがいい。それがいいと思っていたのに、途中、若者の男女グループが登場してキャピキャピし出した。群れ。あたしが最も嫌悪する対象。嫌悪しながら「本当はまざりたい」とか思っているのだけど、でも、まざったらまざったて「つまんねえな」ってなって一人になることは目に見えている。あたしは矛盾を抱えた男。せっかく海に浸っていたのに、嫉妬とも嫌悪ともつかない微妙な感情が心を濁す。あたしは、もう一度深く潜り、そして、遠く離れた場所で顔をあげた。泳ぐことをやめて、仰向けの状態で海原に浮かび、青空をながめた。

その時「横を見るな。縦を見ろ」という言葉を思い出した。横とは、人間関係のこと。横のつながりだけを求めると、必ず、嫉妬だの競争心だの嫌悪感などで心が濁る瞬間がある。そんな時こそ、縦を見ろ。縦とは、要するに「天地とのつながり」である。俺にはこの海がある。俺にはこの空がある。仰向けになりながら、ポツリ、ひとり海原に浮かびながら眺めた青空は綺麗だった。平日の真昼間に、たったひとり海水浴をしているあたしは、若者集団から見たら「異常」に見えたかもしれない。しかし、そんなこと、知るか。あたしには、この海がある。あたしには、この空がある。だから、大丈夫だ。その後、ひと泳ぎして、海を出た。持参したバスタオルで全身を拭き、親父から借りた原チャにまたがって(上半身裸のまま)帰路についた。

昨日の夜、海辺で『ワンダーランド』を歌いました。いろいろ思うところがあって、撮影をする直前に絶叫していたから声がまったく出ていないのですが、思い入れのある一曲になります。ワンダフルでもなんでもない曲だけど、よかったら聞いてみてください。生きているのはいまだけなんだよな。そういうことを、ポツリ、呟いてしまう夜がある。遠慮をしている場合ではない。出し惜しみをしている場合ではない。先送りにしている場合ではない。やりたいことがあるなら、それは奇跡みたいなことだから、やった方がいいのだと思う。明日、死ぬかもしれないのよ。やって死ぬか。やらないで死ぬか。別にどっちでもいいとは思うけど、あたしは「やって死ぬ」道を選びたい。理由は単純。だって、そっちの方が『面白そう』と思うからです。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

8月24日&25日(土&日) 15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

9月9日(月) 19時半~@東京都吉祥寺「曼荼羅」

※※※ 詳細は決まり次第更新いたします ※※※

○バンドプロフィール紹介

Agape(アガペー=神の愛という意味がある)

2014年2月14日。Guitar & Vocal の坂爪圭吾が、当時同棲していた彼女に振られ、振られた勢いをそのまま活かすかたちで、「ひとは家がないと生きていけないのか」という問いを持ちながら、定まった家がない状況で如何にして生きていくかという実験を開始。

その体験談を綴ったブログ『いばや通信』が、爆発的な人気を博し、結果的に日本全国、世界20ヶ国ほどに、トークイベントなどで招聘されるようになる。「とにかくやばいことだけをやる」というコンセプトに基づいた会社、【合同会社いばや】の代表としてブログや講演活動に専念するなか、“家を熱海に買ってもらう”というゴールを果たした頃に、会社が円満解散。

ホームをレスしてからちょうど5年後。2019年2月14日。イタリアはヴェネツィアで、ある女性を通じて「音楽をやりなさい」という啓示を受けた坂爪圭吾が、日本に帰国後、一日一曲の曲作りに邁進するなか、一人、また一人と毎月メンバーが増えていき、現在5人体制で活動している(今のところ全員無宗教)。

メンバーのほとんどが、“中学校の授業以来”という驚愕のバンド結成状況の中、「ド素人から成長していく姿を公開していくことが、自他共に勇気が出るのではないか」と開き直り、約半年で、およそ百数十曲の音源を作る。それらの楽曲は、「ジャンルはなんですか?」とカテゴライズされないために、様々な趣向が凝らされている。

メンバーそれぞれが、駄目なら駄目なりに、失敗したら失敗したなりの姿を晒していくスタンスで、“技術だけではない何か”を感じてもらえるような演奏を心がけている。
◯メンバー紹介

Guitar & Vocal の坂爪圭吾(34)音楽活動歴約半年で、毎日一曲のペースで創作し、百数十曲の持ち曲のほとんどの作詞作曲を手掛けている。

Bass 保科亮太(31)音楽活動歴約五ヶ月で、「圭吾さんがギターで、ドラムは重そうだから」という理由でベースに挑戦。作詞も手掛けている。

Guitar 竹谷純平 (34)音楽活動歴約四ヶ月で、「誕生日が一番早いのと、唯一の長男だから」という理由でリーダーに抜擢。愛されキャラでありつつ、“アニキ”の愛称で親しまれる。ライブ時のMCと、エレキギターでのソロ演奏に注目。

Keyboard & vocal 稲村彰人 (26)音楽活動歴約三ヶ月で、仲良くしていた先輩たちに、半ば強制的にバンドに加入させられる。が、秘めていた才能が開花。その独自の世界観と歌唱力から、米津玄師さんに対抗しないかたちで人気を獲得している。

Drums 嘉向徹(28)バンド結成前から坂爪たちと親しくしていた、最後の精鋭。メンバー全員が「アガペーのリズム体になるのは、彼しかいない」と断言し、その登場を待ち続けていた。“ドラムというより、大地そのものを叩きたい”という独特の表現は、幼少期から海とさざ波の中で育った背景に起因している。音楽活動歴、堂々の0ヶ月で、初ライブに挑む。
◯バンドからのメッセージ

まずは「1年後、見ててください!」を合言葉に、Agapeを応援してくれているファンと共に成長していきたいと思っています。年齢的にはアラサーですが、まだまだ多感な我々Agapeの音楽を、ぜひリアルで体感していただけたら嬉しいです。

9月9日(月)19時半~@東京都吉祥寺「曼荼羅」でお会いしましょう!!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!