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第92弾「ゆかり」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

92曲目はこれ。ゆかり。まったく声が出ないから低い音程(?)で作り直したいのだけど、そういうことができない。女の人に歌ってもらえばいいのだろうか。とりあえずメロディーだけならいくらでも作れるから、あとはあきとに「歌詞つけて」って丸投げすればいいのだろうか。このダメさが、今後、どれだけまともになっていくのかを、ご覧いただけましたら幸いです。

「ゆかり」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

たったひとつの言葉を たくさんの言葉で隠して
照れ笑いをしているあいだに 全部 すり抜けた

君の形に空いた穴を 埋める言葉を探すけれど
引き連れて 生きる ぼくのなかに 君がいる

なにもない ふたり 沁みていた 夕日

枯葉みたいな 愛のことば かき集めて 燃やしたけど
震える 胸の 思いだけは あたためることができない

君の名前を 呼ぶとなぜか 涙が出ちゃう

武器も盾もない裸の君に ずっと負けてばかり
傷つくことを恐れている ぼくも 生きていた

さみしいのは ずっと 幸せだったから?

風に吹かれる 愛のことば つなぎ合わせて うたにする
いつかの みどり 描くように ひとりきり 目を閉じる

手を振る 君が いまも ぼくのそばにいる

若葉みたいな 愛のことば 摘み取らずに 眺めている
たったひとつの 言葉だけを 大切に 守り抜けるか?

さみしいときは いつも ぼくのそばにいる

手を振る 君が いまも ぼくのそばにいる

ゆかり(縁)という言葉には「たどってゆけるつながり」という意味があります。おとなになるほど、あたしのまわりにも「これもひとつのご縁ですね」とか、簡単にご縁って言葉を使うひとが増えてきました。正直に言えば、あたしは、簡単にご縁とか言っちゃうひとが、好きではない。お前、全然そんなこと思ってないだろ(ご縁とか言ってれば済むと思ってるだけだろ)的な、軽々しさを感じてしまうからです。感謝って言葉も同じ。大事な言葉だからこそ、それを軽々しく扱うひとをみると、おいコラ、ってなる。

そんなことはどうでもいいの。この曲に「君の形に空いた穴」って歌詞がある。たとえば、大事なひとやものを何かしらの事情で失ったとする。つらい。苦しい。悲しい。できることならば、そのことを紛らわせたいと思う。笑っていきたいと思う。楽しみながら生きたいと思う。天国のあのひとも、悲しむことより楽しむことを、あたしに望んでいるように思う。それで、あれをやってみたりこれをやってみたり、いろいろなことをやる。でも、やっぱり、悲しくもなる。忘れることのできない空洞は、それを抱えて生きることが、一番の供養になる(こともある)。悲しいのは、さみしいのは、それは『そのひとやものを愛していた証拠』に他ならない。だから、そのひとやものが近くにいることが一番だとは思うけど、その影を抱えて生きること、悲しいなら悲しみのど真ん中を生き抜くことも、ひとつの愛情表現になる。

ツイッターとか、いろいろなひとの書いている言葉を見ていると思う。もしかしたら、みんな、たったひとつの言葉を色々な言葉で言い換えているだけなのかもしれない。それは「私を忘れないで」って言葉かもしれないし、「あなたを愛している」って言葉かもしれないし、「さみしい」って言葉かもしれないし、「あなたと会えてよかった」って言葉かもしれない。言葉は違っても、みんな、思っていることはたったひとつの言葉なのかもしれない。ただ、その『たったひとつの言葉』がうまいこと見つからないから、色々な言葉を並べて、『たったひとつの言葉』の輪郭だけでも、浮かび上がらせることができるように、四苦八苦する。それが表現なのかもしれない。

あたし、タイに来る前に、髪を切った。髪の毛はごちゃまぜの家のM様にいつも切ってもらっている。でも、今回、髪を切ってもらうまえに一悶着あった。なぜなら、いつも、髪の毛の掃除もM様にやってもらっていて、それが『当たり前』みたいになってしまっていたから。あたしは、ただ、髪の毛を切ってもらうだけ。準備も、掃除も、全部、M様がやっている。そのことにたいした感謝もなく、なんなら『当たり前』なこととしてお願いをしてしまっていたあたしは、怒髪天を衝かれました。本当に申し訳ありませんでした。自分が、それを、よろこびと共にやれている瞬間はしあわせ。でも、いつの間にか「それはお前がやって当然のことだろう」みたいに思われると、家事も、掃除も、なんだってイヤなことになる。感謝があれば、よろこびと共にやれることも、お前がやって当たり前のことだろうとか思われると、なんだかな、と思う。これは人間として自然で、当たり前の反応だとおもう。

当たり前のことだと思われると、ムカつく。これ、みんなそうだと思う。逆に言えば、誰かがいること、なにかがあることを『奇跡』のように感じることができたとき、自然と感謝の気持ちも湧いてきて、ありがたさを知る。すべてのことを当たり前だと思って生きるか。それとも、すべてのことを奇跡だと思って生きるのか。考え方ひとつで、目の前の景色もガラッと変わるから、不思議なものだなと思う。そもそもで、あたしたち、この瞬間も宇宙船地球号に乗って暮らしているという時点で、結構やばいと思う。タイでは水上で暮らしているひとたちもたくさんいて「すげー!」とか思うあたしもいるけど、冷静になれば、地球っていう星で生きている時点で「みんなすげー!」のだと思う。地球の時点の速度、1700キロって言うじゃない???新幹線が280キロだから、これは、もう、とてつもないわよね。

本当の純粋さは、汚れた後から気づくものだし、本当に大事なものは、失った後から気づくもの(なのかもしれない)。人間の価値は、生きている間にどれだけ悲しまれたかで決まる、みたいなことを言っていた女流作家さんもおりましたが、なんとなく、わかる。悲しむって言葉はネガティブだけど、昔の人は「美しい」と書いてかなしいと読んだし、「愛しい」と書いてかなしいと読んだ。当たり前だと思えば、全部、当たり前になっちゃう。でも、奇跡だと思えば、全部、奇跡になる。どうせなら「奇跡の中を生きている」と感じながら、毎日を過ごしていけた方が、カラフルで素敵だなとおもう。

✨✨✨お聞きいただき謝謝 for the people✨✨✨

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

7月28日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

バンコクかマレーシアかシンガポールかインドネシアあたりで、ミニライブ(トーク×音楽)とかできないかな・・・時間ならあるの・・・もしも現地在住の方で「それならあたしが企画してあげる」とか言うひとがいたら、ご連絡をいただけましたらあたし飛び跳ねて喜びます!会場も規模も問いません!当然ギャラも不要です!!ひとりでもいれば、あたし、行きます!!!

6月30日開催「Agape 定期演奏会」の動画です。


バッチ来い人類!うおおおおお〜!