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第95弾「オレモ」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

95曲目はこれ。オレモ。脱☆独房。こんな曲でも作るの大変なのよ。散々頭を悩ませて、1日の大半を費やした結果が「これかよ…」みたいな感じで落ち込む日々の連続。虚無っていく心を止めることができない。2時間おきくらいに虚無っている。でも、このメロディーは好き。歌詞はあとでいくらでもどうにでもなる(予定)から、なんとなくの雰囲気でも伝われば幸い。

「オレモ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

ひとりきりに なりゃあもう さみしいし
誰かといる時は そりゃあもう 煩わしい

どうなってんだ 俺のなか たまらないぜ

買い込んだ 流行りもの すぐ飽きちゃう
なにゆえの 開墾だ 息できる 穴を掘る

裏側まで 行くぜ ヘブン 作っちゃうぜ

嬉しいね たのしいね ねえ オレモ
わかるよ 君も おんなじか オレモ

誰とでも 仲良く なんて できやしない
それでもね本当は誰とでも仲良くやりたい

愛されたい で 愛してたい 限りないぜ

悔しいね かなしいね ねえ オレモ
わかるよ 君も おんなじか オレモ

やりたいが 「やらなきゃ」に なっちまう
愛すべきものたちが 足かせに なっちまう

涙も 出ない 長い 長い 夜もあるぜ 

たいした恋なんて したことも ないくせに
恋の歌 流れると たいした恋した気になる

得意なんだ 勘違い で 夢を見るぜ

メロディーが この胸に ねえ オレモ
流れる 君も 聞こえるかい? オレモ

ひとりきりに なりゃあもう さみしいし
誰かといる時は そりゃあもう 煩わしい

どうなってんだ ねえ 俺も 堪らないぜ

昨日の記事で『フルーツ以外は食べま宣言』をしました。その結果報告をします。非常にありがたいことに、昨夜「フルーツの足しにしてください」って、noteから支援をいただきました。これはもう引くに引けないと思い、あたしは「引くに引けなくしていただきありがとうございます!」って返信をした。ら。返信をした、ら、ですよ。天性の天邪鬼が発露をいたしまして「引くに引けないを引く男…」とか考え始めたら、ダメでした。結局、引くに引けないと返信をした20分後には、あたしは、パッタイ(タイのやきそば)を食べていました。うめえ、うめえ、とか言いながら。満面の笑みで。

これには色々事情があるのですが、まず、第一に「いまならパッタイを死ぬほどうまく食えるはずだ」と思ったこと。もう永遠に食べられないって一回思うと、ありがたみが倍増する。そして、実際に超うまかった。パッタイを食べながら思った。人生は、苦しむためのものではなく、楽しむためにあるということを。日中をフルーツで過ごし、夜、好きなものを喰らう。これがあたしの場合、一番心地よいバランスみたい。バランスという言葉はお利口だから嫌いだけど、バランスは大事。さらなる言い訳を重ねると、あたしに支援をしてくださったN様が、ご自身のnoteの記事で「肉を食うと幸せになる」って書いていたのを、読んでしまったのがいけんかった。俺は永遠に幸せにはなれないのか、とか考えてしまったら、虚無が加速をしてしまった。

昨日の記事で「食事なんてたかだか10分。その犠牲を惜しむな」とか書いたけど、訂正します。食事は、食事を楽しみにする時間も含まれているのね。大好きなあの子と来週デートできるってなったら、もう、今日からこころはウキウキするものね。そういうことよね。生きるのに大事なものは希望よね。希望があるから、いま、この瞬間からウキウキできるのよね。あたしは友達と焼肉を食うのが好きなのだけど、焼肉があるから頑張れるってところがある。それを奪われたら、健康にはなっても虚無が。虚無が加速をする。だからもういいの。健康に生きるより、楽しく生きることが大事なの。

余談だけど、果物は食べ方で味も変わると思った。あたしはりんごを丸かじりするのが好き。なんだか「生きてやるぜ!」って野性味を取り戻せるから。でも、カットされたりんごに興味がない。これ、りんごの味が好きなんじゃなくて、りんごを丸かじりしている自分が好きなのだと思う。でも、ドラゴンフルーツは違った。昨日、ドラゴンフルーツ丸かじりしてたら、なんだか虚しくなった。別に美味しくもないし、あたし、いつまでこんなもの食ってなくちゃいけないんだって虚無った。でもね、そのあと、残りのドラフルを冷蔵庫で冷やして、丁寧にカットをしてから食べたの。そしたら、ね、美味しかったの!!きゃー!!美味しかったのよー!!なにこれーーー!!

いちごも似てる。あたしは、下々の人間が興奮するほどにはいちごを好きじゃない。別に普通だと思う。でも、前に、丁寧にカットされたいちごを食べたら「きゃー!うまー!」って思った。食べ方で味が変わる。そういうの、あると思う。これを、人生に置き換えて考えてみましょう。えっと、えっと、別に置き換えられる要素なんてひとつも見つからないけど、丁寧派の人間は、時にはワイルドに生きる。ワイルド派の人間は、時には丁寧に生きる。いま、あたし、クーラーの効いたカフェでこの記事を書いています。天国かよ、っていうくらい快適です。あたしは苦行派の人間だから、宿も扇風機しかない。冷房なんて贅沢だ、とか考えて選択肢からすぐに消えるのだけれど、ここ数日のタイは死ぬほど暑くて、あたしは実際に死んでいました。

だがしかし、冷房の効いた部屋でウォーターメロンスムージーを飲む、この時間の豊かさたるや!きゃー!こんな世界があったのねー!きゃー!時には苦行をするのもいいけれど、それによって効率が落ちたらもともこもなし。この苦しみが『正当な苦しみ』であれば耐える・・・みたいなことを思いながら忍耐の日々を過ごしていましたが、あんまり耐えすぎるのもダメね。音楽に、文章に、そういうものが宿ってしまう。生きていると色々あるけど、人間、その根底には『生きていることを楽しみたい』っていうのが、あるのだと思う。あくまでも、楽しみたいのだと思う。正しさで楽しさが消されてしまう前に、いま一度、自分の『好き』を取り戻す。大事なことだと思う。

ちなみに、この曲の『オレモ』というタイトル。あたしの地元は新潟で、新潟の人は「俺も」っていう時に、独特なイントネーションで言うひとがいるの。若い人には少ないけど、おじいちゃん世代は、俺もの『お』の部分を、強く発音するの。これがね、妙に、かわいいのよ。それで、我々Agape一味は新潟生まれなものですから、稀に、遊び半分で新潟弁で会話をしたりする。そこで「俺も、俺も」とか言っていると、それだけでなんだか楽しくなるの。歌詞にもあるけど、人間って「わかるよ」って言われると、うれしくなる生き物だと思う。つらいとき、しんどいとき、友達とかに「ああ、わかるよ」とか言ってもらえると、励まされる。アドバイスじゃない。意見でもない。ただ、一言「わかるよ」って言ってもらえるだけで、前を向けちゃうこと、あると思う。そういう感じを、音楽にできたらと思って作りました。

繰り返しになるけれど、人生は、苦しむためのものではなく、楽しむためにあるのよね。いまの苦しみも、誰かに「わかるよ」なんて言ってもらえた瞬間に、慰めに変わる。温もりに変わる。楽しさに変わる。よろこびに変わる。たとえ、この人生がクソみたいな人生だったとしても、誰かと一緒に「本当、クソみたいだよな」って笑いあえたら、それは楽しい人生になる。生き方に正解はないのだから、生き方に間違いもない。できることならば、そこに『笑い』があることを、自分にも、他人にも、祈りたいと思います。

✨✨✨✨✨三森さん、らぶらぶちゅっちゅ✨✨✨✨✨✨

✨✨✨✨✨あきみょん、noteはじめたってばね✨✨✨✨✨

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

7月28日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけましたら最高に嬉しいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!

6月30日開催「Agape 定期演奏会」の動画です。


バッチ来い人類!うおおおおお〜!