見出し画像

【社会】知らないことは恥か

これ「寺社仏閣」だとしか思っていなかったので、知らなかったことを恥じてその旨コメントしました。
そして、そのような感覚を大事にしたいとも。

何かを知らないことは恥ではないという考えが普及しており、それは正しいのですが、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉も、知らないことが恥である前提に立ってます。
その時恥ずかしい思いをするか、そのままにして恥ずかしい状態を続けるかという話ですから。

持論として、日本を悪くした二つのビヘイビアというのがあります。
ひとつは「既婚者が結婚のネガティブキャンペーンをしすぎる」というもので、もうひとつが「大卒者が大学の勉強は役に立たないと言いすぎる」です。

後者については、最近は違うかもしれません。
私の世代やその上では、大卒者はみんなそんなこと言ってました。
そもそも勉強が役に立たないんじゃなくて、勉強してなかっただけじゃないかという気もします。
かなりの費用と時間をかけて通った大学であるにもかかわらず、学んだことを生かそうとしないのも、学ばないのと同じぐらい怠惰ではないかとも思います。

そりゃ、大学では名刺交換や電話のやり方も教えてないし(最近は……どうなんでしょ)、大学に哲学科はあってもたいていの企業に哲学課はないでしょうから、看護学校で看護を学んで看護師になるみたいな役立ち方はしないでしょう。
でも、文学部などで日本語の知識があるなら、会社員としても言葉の修正をしたり、役立つとっかかりはあるはず。
企業で役立つ要素がなくても、学びを続けることで生活を豊かにしたり、子供に教えたり、いろんな役立ちはあるはずです。

それを、役に立たないと言ってしまうのは、そういう大学を卒業したという意識を捨て去ることであり、非常にもったいないことだと思います。
どうしてそんなふうに言ってしまうのかについてはいろんな理由があるんでしょうが、恥ずかしいことだぐらいは思ったほうが良いかと。
「大学で学んだことが出てこないのは恥ずかしい」
「大学で学んだことを継続して学んでいないのは恥ずかしい」
と、大卒者のプライドと表裏一体に考えたほうが良いと思うんですよね。

で、何かの仕事をしても、その仕事のプロとしてのプライドを持つようになれば、その仕事に関係して、わからないことやできないことがあったら恥ずかしいと思うことも出てきます。
こういうところで恥の感情は重要になってきます。

ただ、これを強く主張はしません。
自分としてはこういうことを大事にしたいなと思うのであって、他人に「恥じろ」と言うたぐいのものではないとも思うからです。
恥の感情を持つのが当たり前だった時代はともかく、今はそれも個人の判断に委ねられ、それだけに、「お前も恥じるべきだ」と主張が強くなったりしがちですね。
みんな、こういうことを心にしまって、学びを続けましょうよ。

ところで、長々と語ってますが、私は芸術学部で映像制作を学んだので、「神社仏閣」のことを知らないのは大学の話とはあまり関係ないのでした。
コールセンターの仕事をしているので、言葉には敏感でありたいなっていう、プロ意識からくるものでありました。
それにひっかけて持論を語っただけでしたが、関連して思うこともいろいろあるので、今後述べていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?