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何者

あなたは何者ですか?

私は今、東京でファッションモデルをしている。
あと2ヶ月もすれば25歳、俗に言うアラサーの仲間入りだ。

「お金と生活のために、やりたくない仕事をするなんて自分には考えられない」
いかにも「何者かになろうとする若者のお決まりフレーズ」を口にしていた自分は、分かりやすく何者かっぽい仕事をこころざして、3年前の冬に夜行バスでこの街に来た。

初めての一人暮らし、モデル事務所のウェブサイトに載る自分、東京という街。これから始まる夢のスターターキットを胸に抱え、「モデル活動のために京都から出て来た22歳」と、紙に書いて、自分のおでこに貼り付けたような、そんな気持ちで新生活を始めた。

最初は胸いっぱいの期待と少しの不安を抱えていた自分だが、数ヶ月経つとその割合は綺麗に逆転する。
月に数本あるかないかのキャスティング(仕事のオーディション)、全然決まらない仕事、ほぼ毎日行くアパレルのバイト。
自分でおでこに貼り付けた自己紹介と、現実のギャップに苛立いらだちをつのらせた。

そんな自分に色んな変化はありながらも、気付けば東京でモデルを始めて3年弱だ。
そんなに経った感覚はない。
流れる月日に対し、理想通りに進まない自分のモデルキャリア。
そこから目を逸らすため、あまり四季を楽しんだりしてなかったせいだろうか。

ここ最近、モデルの辞めどきを意識するようになった。
理由はなんだろう、きっと年齢だ。
「25歳」人はなぜかこの年齢を迎えると、30代を迎えることに現実味を持ち始める。
小学校で習った四捨五入には、そんな機能も一緒に搭載されてたのかもしれない。

かくいう私もその1人。
「お金と生活のために、やりたくない仕事をするなんて自分には考えられない」
と言って東京に来てモデルを始めた自分が、「お金と生活のため」にモデルの辞めどきを考えている。笑ってしまう。

だが安心して欲しい。
それを正当化するための理由はたくさん揃えた。
「東京でメンズモデルとして食ってくことの難しさ」「自身のファッションへの関心度」「モデル特有の不自由さ」
やってくうちに色々悟ったフリして、こんな会話を飽きるほど、食えないモデル同士で安い酒を飲みながら語り合った。

人間は歳を重ねると、やらない自分、辞める自分を肯定するのが上手くなるとは本当だな、と痛感する。

モデルが厄介なのは、ヘタにカッコついてしまうことだ。
程度に差はあれど、食えないモデルも皆一定以上の優れたビジュアル外見を持ち合わせている。
それに加えて今は誰もが、無駄にハイスペックなカメラを搭載したスマホと、無駄な通知と情報をたくさんくれるSNSアカウントを、もれなく持っている。
あとそれに、モデルorモデル並みの容姿の人だけができる、ちょっと割りの良い&カッコつくバイトなんかも大都会にはある。
仕事がなくても「きっと俺は大丈夫だ」と思える材料がたくさんだ。

対局的な例として、売れないお笑い芸人を思い浮かべてほしい。
分かりやすく何者かに成ろうと挑戦する者として、どちらが幸運と思うかは人それぞれだろう。

東京は競争の街だ。
渋谷、原宿、表参道、銀座、新宿
皆つむじからつま先まで目一杯使って、自分は何者かであると五月蝿うるさいほどに訴えている。
デザイン性もクソも無い、ハイブラロゴアイテムが売れるわけだ。

人混みに揉まれて歩いていると、「よくもまあこんなウジャウジャといる人の数だけ仕事があるもんだなこの街には」と感心する。

相手の後ろにある人脈、金、仕事、はたまたセックスしか見据えていないのに、シャンパングラス片手に白い歯を見せて、ちょうど良い尺で明るい会話を交わす様な場も何度か経験した。

この3年の間で、モデルとして仕事に呼んでいただける回数も場も確実に増えた。
はたから見ればモデルなんだろう。

だがいつまで経っても、そんな自意識が自然に湧き出ることは特にない。
いつになれば、そうなるのだろう。
モデルだけで余裕で生活できたら?メディアに「注目のモデル!」なんて風に取り上げられたら?モデルで大金を稼げたら?

資本主義社会における「何者か」とは一体どれほどの価値なのだろう。
仮に手にした結果、それがクソみたいに下らないものだとしても、手にしたうえで捨ててみたい。

たまに電車で、朝から気を失ったように寝ているサラリーマンを見かける。
安定の代わりに、責任と圧迫に耐える彼ら
自由の代わりに、不安と葛藤と戦う私
最近はこんな無駄なことを比較してみたりもする。

来月は仕事が0本かもしれないし、10本かもしれない。
下らない「きっと俺は大丈夫だ」をかき集めるだけかもしれない。
だが、この街を離れるにはまだ少し早い。

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