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敬語が表現する敬意とは何か

食事のときは文句を言うのではなくたのしく食べてほしいという、記事を見てふと思った。

敬意は勝手に湧き出てくる感情ではない。それならば教育が必要ではないか。

そして、やさしさについて考察する記事を見ても思った。

簡単な言葉こそ、分かったようで実は人によってその中身が違っているのではないか。

私は、敬意とは何かをきちんと伝えないといけないのではないか?

敬意とは何か

敬意を辞書で引くと「尊敬する気持ち」と書かれている。

しかし、それは敬意の一部分でしかない。

もし、尊敬する気持ちなど一切なくても敬語は使う。
尊敬する気持ちが敬意なのだとしたら、アホな上司には敬語が使えなくなってしまう。
(実際、尊敬できないからと横柄な態度を取る部下もいることだろう)

敬意の敬は、畏敬の敬である。

畏敬を辞書で引くと「崇高なものや偉大な人を、おそれうやまうこと。」とある。

自分の目からはアホにしか見えなくてもそんなことはどうでもいい。
会社が上司と定めた人なのだから、崇高なものや偉大な人とみなして、おそれうやまわなければいけない。

崇高といっても、神仏扱いせよとは言わない。イエスや釈迦の偉大さとはレベルも違おうから、手を合わせて拝む必要はない。自分から挨拶する、指示は守る、などの当然のことを当然のようにすればいいだけである。

しかし、この当然が通用しなくなっている。

Think CIVILITY 

Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である
クリスティーン・ポラス 東洋経済新報社

話題の本を読んでみた。

この本に書かれていた一言を見てショックを受けた。

まず、冒頭4ページ目に、こう書いてある。

問題なのはされた側がどう感じるか

そして、36ページにはこうも書いてある。

その人が下品であることを証明し、尊敬できないなと思わせるような言動を「無礼」と言う。

そして礼儀正しさを身につけるため、なんと、部下や同僚、上司からフィードバックをもらう「360度フィードバック」を推奨している。

フィードバックは批判のための批判になってはいけない。(p.93)

上司の無礼を部下が直すなら、批判のための批判なのか、適切なフィードバックなのかを一体誰が見極めるのだろうか。

安易にこんなことを導入する企業があったら、世渡り上手な上司だけが残り、それ以外の上司はどれほど優秀でも辞めていくことになる。社内の人間関係はいいかもしれないが、そこに厳しく成長させてくれる上司はいない。嫌みで性格は悪いがとても優秀な上司からスキルを盗むこともしようとはしないのだろう。

昔、私の上司が異動前の私の部下に訊いたことがある。
「えんちゃんってどんな人?」
部下はこう答えたそうだ「俺の師匠です!」
重ねて上司は訊いた。「えんちゃんとまた一緒に働きたい?」
部下は一瞬の迷いもなく答えたそうだ「嫌です!!」
……私はポラスによれば間違いなく礼節のない上司だろう。

一方、礼節ある態度を持っていることが、いかにその人に有利に働くかを述べたうえで、礼節ある態度についてこのように表現している。

たとえば、人に感謝する、人の話をよく聞く、わからないことは謙虚に人に尋ねる、他人の良さを認める、成果を独り占めせずに分かち合う、笑顔を絶やさない、といったことを指す。(p.47)

たしかに、これらの態度は重要だ。しかしそれは、人と仲良くするために必要なことであって、組織を維持・強化するための必須要素ではない。単なるスキルだ。

組織を維持・強化せず、自分に有利になることだけをやる天才にサイコパスがいる。組織の中に隠れていて、人からは「いい人」「面白い人」「優しい人」「信頼できる人」「できる人」と思われ、人気も高い。サイコパスにとって、ポラスが言うところの礼節ある態度はお茶の子さいさいだ。

敬語の根本機能は距離を取ること

敬語は、距離を取る言葉である。

これが全てであるが、どう距離を取るかで3つの使い方がある。

①上下に距離を取る
 組織には、上下関係がある。敬語を使うことで、この上下関係を明らかにする。指示する側の言うことに、指示される側は従わなくてはいけない。そして下にいるからこそ見えることは、上に伝えなくてはいけない。

 上司の指示を否定したり、上司に指示をするのは上下の距離が取れていない。上下が逆転するなどもってのほかである。

 一方で上司はどうか。入社2年目の部下を入社1年目の部下の前で罵るなどすれば、部下として本来、居るべき位置よりも引き下げていることになるので、これもいけない。

②水平に距離を取る
 本当は仕事なんてしたくなくても、「働かせてください」とお願いして入社したのが建前である。この建前に基づいた人間関係を維持するため、自分の本音からも相手の本音からも距離を取る。

 雇っている側も「働かせてあげましょう」と承諾しているからには仕事を与えなければいけない。「教えても教えても間違えてばかりで、自分がやったほうがよっぽどいいよ」などと思っても、態度や言葉に出してはいけない。

③入ってはいけないところに入らない
 いかに上司であろうと、部下のプライバシーを正当な理由なく侵してはいけない。「君もそろそろ落ち着く年頃じゃないの?いい人はいないの?」などと訊くのはハラスメントと言われても仕方がない。

 部下であれば、仕事をするのに必要な情報以上を知ろうとしてはいけない。たくさんの仕事をかかえているときに追加で仕事を指示され「いつまでにやればいいですか?」と聞くのは必要な質問だが、「それで、課長が実際に使うのはいつですか?」と聞いてはいけないし、「なんでこんなことやらなくちゃいけないんですか?」と聞いてもいけないということだ。
 また「僕の仕事のやり方に口を出さないでください」と上司に言うのも間違いだ。社員として働いているなら「僕の」ではなく「会社の」仕事なのだから、そこはプライベートではない。

この3つが組織内で払われる敬意の基本である。

上司たるものどれほど忙しくても、ストレスにさらされていても、部下のミスのせいで窮地に立たされても、「感謝」し、「他人の良さを認め」、「笑顔を絶やさない」ようにしなければならないのだろうか。それでは、上司に「神になれ」「完全人格者であれ」と言っているに等しい。

上司も欠点だらけの人間なら、部下も欠点だらけの人間にすぎない。

その欠点だらけの人間同士がお互いに傷つけずに協働するためのコミュニケーションツールが敬語なのだ。

組織の目指す在り方によって使う敬語を変えるべき

基本的には、指示系統が明確なほうが組織は強固になる。

イエスマンという言葉は悪い印象を受けますが、成果を出せず、権限のもとに指示した行動が実行されないノーマンしかいない組織は、もっと恐ろしいことになります。(p.95)
『結果を出すリーダーほどこだわらない』山北陽平 フォレスト出版

しかし今、テレワーク化が進んでいる。

以前からその流れはあったが、時給ではなく成果で測られる働き方もさらに増えてくるだろう。そうすれば、「僕のやり方」が通用する代わり、会社は指導する義務がなくなる。それなら会社は部下にこそ敬語を使うべきだろう。

また、上下関係をなくして誰でも意見を言えるようにしたいと考える会社もあるだろう。それなら尊敬語も謙譲語も要らない。丁寧語と美化語だけを使えばいい。

組織の在り方が変われば敬語も変わる。

まずは、組織の在り方を考えなければならないのかもしれない。

では、また。

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世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。