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桃太郎はきび団子をやる?あげる?~戦争に巻き込まれる敬語

昨日は「やる」「あげる」問題を取り上げました。

今日はスピンオフで、「やる」「あげる」問題の代表格、童謡『桃太郎』を取り上げたいと思います。

え?桃太郎の「やる」「あげる」問題、ご存じない?

でも、童謡の『桃太郎』をご存じですよね?

も~もたろさん も~もたろさん ♪

誰もが一度は聞いたことも歌ったこともあるこの歌ですが、さて、なんと歌いましたか?思い出してほしいのは、下記歌詞の続きのフレーズです。

お腰につけたきび団子、一つわたしに下さいな ♪

ハイ!

どうです?続きは思い浮かびましたか?

続きのフレーズ

Wikipediaには1911年(明治44年)の『尋常小学唱歌』として以下の歌詞が掲載されています。

やりましょう、やりましょう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう。

Wikipediaより

え!?私は「あげましょう」で習った!
という人はいませんか?

私の記憶では「あげましょう」でした。

お子さまがいらっしゃる方はぜひ、今はどちらで習っているか、聞いてみてくださいませ。

そして、上記の歌詞の続きを歌えるかどうか聞いてみてください。
私は、この先もう一行(行きましょう、行きましょう♪~)あったような気はしていましたが、実はもっと先があります。

国体に翻弄される敬語

桃太郎の後半の歌詞がこちらです。
私は、習った記憶が全くありません。みなさんはいかがでしょうか。

そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。
おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。万万歳、万万歳、お伴の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや。

Wikipediaより

相手がいくら鬼とはいえ、攻めやぶり、つぶして、分捕って、それをおもしろがるということを童謡として子どもに歌わせていたのです。

さて、第一次世界大戦が始まるのが1914年ですから、1911年ということはその3年前にこの歌詞は作られたことになります。
さらに桃太郎が使われたアニメもあります。こちらは1944年、戦時下で作られたそうです。

このように昔話の一つでしかない桃太郎が、プロパガンダに使われていました。(それにしても、物資のない戦時下でこのクオリティは素晴らしいものです)

恐らくは戦後、これはまずいだろうと歌詞の後半は教えなくなり、反動が行き過ぎて「やりましょう」は「あげましょう」になったのだと思われます。
そこで、最近は正しい言葉遣いに戻そうということで「やりましょう」がまた復活してきたのではないでしょうか。
(私は後半の歌詞を子どもが歌っているのを聞いたことがなく、そこは今でも子どもに歌わせないのだろうと思っているのですが、実際のところどうなんでしょう?小さなお子さんのいらっしゃる方、情報がありましたらお知らせくださいませ。)

敬語を使ったプロパガンダはほかにもあります。
というか、敬語自体が、他言語よりも優れている証のように喧伝されました。

相対敬語と絶対敬語

たとえば「日本は古来より相対敬語を使い、絶対敬語を使う某国よりも優れている」と主張すれば、「いや日本も昔は絶対敬語でしたけど……」という反論が返ってくるのは当然です。
それを、日本の絶対敬語は絶対敬語に見えるだけで絶対敬語ではなく、臣民(👈「君主に支配される民」の意)の親たる天皇への愛情を天皇ご自身が表現したにすぎない!だから日本の敬語は古来より変わらないのだ!などと説明にならない説明で押し通そうとしたりもしました。

そして戦後には、今度はその反動で、英語に敬語はないというとんでも話を根拠に、敬語がパターナリズムを支え大日本帝国を許したんだから敬語なんかやめてしまえ!という暴論も出たんです。今から考えると両方とも信じられない話ですよね。

敬語は調和のために

私は敬語が好きですし、敬語を素晴らしいシステムだとは思いますが、それをもって他言語よりも優れているなどとは言えません。
ましてや戦争へ突き進むためのプロパガンダに用いるなどもってのほかです。

ただただ、、、、敬語をそういうものに使わないでほしい。
敬語は他者と調和し、三方良しを目指す言葉です。
正しく敬語を使ってほしい。

そう願うばかりです。

おまけ。



世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。