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お客さまから一方的にまくしたてられて話についていけないときにどうするか

ときどき、お客さまが話しているのに質問でさえぎる人がいます。

気持ちは分かります。

お客さま番号を聞かなければ、
契約内容を聞かなければ、
何をご購入になったのかを聞かなければ、
何の話をしているのか分かりません。

分からないのに、一方的に話されて、後から「何を聞いていたんだ!」と怒られるのは誰だって嫌ですよね。
結局、分からないまま話を聞いていたら、後からもう一度お客さまに同じ話しをしていただくことになる。お客さまにとっても二度手間なのだから、なんとかさえぎって必要な情報を伺ったほうがいい。

それはその通りなのですけれど、本当に聞けそうでしょうか。

できないことはできない

お客さまは、質問を受け入れるだけの心の余裕がありそうですか?
もし自分の話したいことで心がいっぱいなのに、受け入れてもらえない質問を無理やり差し挟むなら、それはお客さまの邪魔をしているだけかもしれません。

先日、製造業について書かれている本を読みました。
工場とコールセンターなんて共通点があるだろうかと思うかもしれませんが、実は似ています。
よくある質問には規格品のように誰が答えても同じ回答が出せなければなりません。一方、気持ちのフォローが必要な場合には熟練の職人技のような高度なスキルが必要なのです。

話を戻して、その本では、一番遅いところに作業速度を合わせるように書いてありました。

コールセンターではそれはお客さまであるべきです。
実際には保留にしてお客さまをお待たせすることが多々ありますので、理想論ではありますが、私たちがお客さまをお待たせするのではなく、お客さまのペースに私たちが合わせる。

お客さまの荷物を一緒に持って差し上げる

製造業のゴール、それは工業製品が出来上がることです。
コールセンターのゴールはお客さまが納得し、会話が終わることです。
そこまでのペースを速めるためには、お客さまの抱えている荷物をなるべく一緒に持って差し上げることによって、お客さまが身軽になって歩く速度を速めてもらうことです。

お客さまの荷物とは、心配や不安などが集中を妨げたり、電話という限られた情報によって理解が難しくなることなどです。
取り除ける不安は極力取り除いて差し上げられるよう、安心感のある対応を心掛ける。
情報は、お客さまがすぐ理解できるように、可能な限り分かりやすい説明をする。
そういったことです。

いや、それにしたって、そこまではどうするんだ。分からない話しを「はい」「はい」と聞いていればいいのか。
質問を聞いてもらえるまで待った挙句に、人の話をちゃんと聞いていたのか、と苦情になったらどうするんだ。
そんな声が聞こえてきそうですね。

分からない話をどう聞くか

「はい」「はい」と言うからいけないんだと思います。
「はい」は「分かりました」の意思表示です。
「分かりました」と言っておきながら分かっていないからクレームになるんです。

例えば食品を扱うコールセンターにかけてきたお母さんが、心配のあまり一人で話し続けているとしましょう。

おたくのプリンを買って食べてみたら酸っぱいのよ、子供にも食べさせちゃったしお義母さんには怒られるし、
なんであんたたちのせいであたしが怒られるのよ。
うちの近くに有名な野音尾登胃腸内科病院があるからそこ行って診てもらえって言われて、ながた先生に診てもらったら明日また来てくださいって言うからそりゃ行くけど…」

全く話は終わる気配を見せません。

商品名は何で、どこの店で何月何日に購入したのか、消費期限はいつのものか、購入してから何日後に召し上がったのか…。聞きたいことは沢山あります。
何度か質問を試みましたが、お客さまの言葉の海に、藻屑となって消えていきます。

もうあきらめて、「何を聞いていたんだ!」とクレームになるのを待つしかないのでしょうか。

困ったときの復唱

ここはやはり、復唱でしょう。

いやいや、何を言っているんだ。質問も聞いてもらえないのに、復唱なんてできるわけないだろう。

そう思いますか?

復唱も挟めないような状態であれば、途中で引っ込めればいい。
「酸っ」「お子…」「びょうぃ…」「あす…」という具合です。

興奮して話しているうちは、こちらが復唱しようとしていることすら気づきません。
でも、少し落ち着けば、復唱しようとしているけれど(つまり正確に聞き取ろうとしているけれど)できない状況だ、とお客さまも気づきます。

もしお客さまが気づかなくても、段々、復唱できるようになってくれば、
「あ、お客さま、少し落ち着いていらしたな」ということがこちらで分かります。

そうなってきたら、話を邪魔せずに質問ができるタイミングを探しましょう。

それでは、また。

世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。