あたらしい憲法のはなし~十三 地方自治
新憲法ができたばかりの頃、政府は新憲法をどう思っていたのでしょうか。
当時の文部省が、中学校1年生用の社会科の教科書として発行した『あたらしい憲法のはなし』を少しずつ、じっくり読んでいきたいと思います。
太平洋戦争終結後の1947年8月2日に発行されたものの、1950年に副読本に格下げされ、1951年から使われなくなったそうです。
全部で十五章ありますので、一章ずつ青空文庫から転載していきます。
今回は第十三章『地方自治』です。
(まとめ部分を太字にしました)
十三 地方自治
戰爭中は、なんでも「國のため」といって、國民のひとり/\のことが、かるく考えられていました。しかし、國は國民のあつまりで、國民のひとり/\がよくならなければ、國はよくなりません。それと同じように、日本の國は、たくさんの地方に分かれていますが、その地方が、それ/″\さかえてゆかなければ、國はさかえてゆきません。そのためには、地方が、それ/″\じぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、地方には、その地方のいろ/\な事情があり、その地方に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「自治」といいます。それで國の地方ごとに、自治でやらせてゆくことを、「地方自治」というのです。
こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの團体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの團体です。これを「地方公共團体」といいます。
もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共團体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共團体は、國のひながたといってもよいでしょう。國に國会があるように、地方公共團体にも、その地方に住む人を代表する「議会」がなければなりません。また、地方公共團体の仕事をする知事や、その他のおもな役目の人も、地方公共團体の議会の議員も、みなその地方に住む人が、じぶんで選挙することに[#「選挙することに」は底本では「選挙すことに」]なりました。
このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、ある一つの地方公共團体だけのことをきめた法律を、國の國会でつくるには、その地方に住む人の意見をきくために、投票をして、その投票の半分以上の賛成がなければできないことになりました。
みなさん、國を愛し國につくすように、じぶんの住んでいる地方を愛し、じぶんの地方のためにつくしましょう。地方のさかえは、國のさかえと思ってください。
あなたは、これを読んで何を感じましたか?
そして、何を思うでしょうか。
自民党草案では
草案の第九十二条は新設されたものです。
とあります。住民が自分で治めるのではなく、住民は参画するのです。
そして、
「等しく」と書いてはありますが、受けることができるのは「その属する地方自治体の役務」に限られます。また「その負担を公平に分担する義務を負う」なら、田舎を捨てて都会に出てくること自体は憲法違反ではなかったとしても、実質的には都会での自治体の役務は受けることができず、負担からは逃れられないということになります。
自治体も国が決める
続く第九十三条も新設です。
各都道府県や市区町村の行政はこのことを知っているのでしょうか。
これでは、なんでもできます。
ちょっとあそこは勢力が大きくなってきたから分割しようか、と考えても憲法違反ではありません。
外国人排除
地方自治体の選挙についての項目には「当該地方自治体の住民であって日本国籍を有する者が直接選挙する」と明記されました。(第九十四条 2)
これは自民党が作ったことを考えれば当然でしょうね。ただ、どこまで世界から孤立するつもりなんでしょうか。
地方財政
以下は現行憲法の第九十四条です。
草案で上記条文に該当するのは第九十五条です。
財産も管理させず、行政も執行させず、これを自治というのでしょうか。
ただし、「第八十三条第二項の規定は、地方自治について準用する」そうです。「第八十三条第二項」は財政のところでご紹介した条文です。おぼえていますか。
この流れで言うならば、第九十二条の2で「その負担を公平に分担する義務を負」っていますから、要するに住民に課税されるということでしょう。
はぁ……。なんだか疲れてきました。
『十 内閣』の追記で少し触れましたが、ナチスの成立が民主主義だというなら、この憲法は十分に民主主義でしょうね。
世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。