見出し画像

格差も差別もある、そこから始めよう

「平等!」とか「差別はダメ!」とか叫ぶ声があちこちから聞こえてくるんですが、本当かなぁという話。

平等って何が平等なんでしょう。
世の中には字を読むことすら教わったことがない人たちや、せっかく生まれても大人になる前に餓死したり栄養失調で死んでいくていく子どもたちがたくさんいて、もちろん日本でもネグレクトなどの虐待で死んでいく子どももいますが、それでも比較で言うなら日本に生まれ落ちた時点でかなり恵まれています。

「差別はダメ!」と声高に言う人たちは、差別をする人にも平等に接することができるんだろうかと聞いてみたいんですよね。少なくともわが身を振り返れば、全く差別の心を持たずにどんな人にも平等に接することなんてできる気がしません。

言葉の意味を確認しましょう

平等:かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと。

格差:価格・資格・等級・生活水準などの差

差別:①差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。
②区別すること。けじめ。

区別:違いによって分けること。また、その違い。くわけ。けじめ。

平等

お天道様は誰にも分け隔てなく降り注ぐなんて言いますが、それも隣同士並んでいればの話であって、暑くて暑くて仕方がないところもあれば、日が当たらなくてずっと薄暗いところもあります。

ミスユニバースのように美しい容姿を持っていたら、私の人生ももっと違ったかもしれませんが、誰もが金太郎あめのように同じ容姿になればいいとは思いません。

私はお金持ちではありませんが、私より貧乏な人がいることも知っています。

格差

金持ちはお金を運用してお金を殖やす。
お金がなければ、時間を切り売りして労働してお金を稼ぐ。

お金持ちと労働者の差はなんでしょうか。

努力もあるかもしれませんが、ほぼ運じゃないんでしょうかね。
たまたま、先進国の、それもお金持ちの親の元に生まれ落ちたとか、たまたま、頭がよく生まれついたとか、たまたま、アイデアが当たったとか、たまたま、素晴らしい人脈につながったとか、たまたま、日経平均の上昇局面で株を始めたとか。

まぁ、少なくとも私のせいじゃない。私のせいで差ができたんなら気にしないとまずいかもしれませんが、私のせいじゃないなら、まずは自分を幸せにする努力をして、余ったらそちらも気にします。

テレビで観ましたが、2組のビーバーの家族が川に巣を作っていました。1組は餌も取りやすく安全な場所。もう1組は子どもには登るのも難しそうな不便な場所。

あと、オオカミや猿など集団で生活する動物にも厳しい序列はありますし、蜂や蟻やなど、昆虫の場合は格差がはっきりしていますよね。ハダカデバネズミもものすごい格差社会だそうですよ。

別に格差は人間だけじゃないという話。

というか、集団生活をしていれば格差が起こるのが自然。

階級や格差のない社会を目指した結果、階級や格差が決定的になるのはよくある話。

もし社会から一切の格差がなくなったら、それって全員ロビンソン・クルーソー状態じゃないでしょうかね。

差別と区別

区別を悪いという人はあまりいませんが、言葉の意味で確認したように、差別って区別ですよね。

テストで100点取れた人には、説明の必要がないから、40点しか取れなかった人にも説明なんかしちゃだめと言う人はあんまりいないと思います。きっと通信簿もなくなりませんね。

問題は「正当な理由なく」というところかと思うんですが、どんな理由だったら劣ったものとして扱うのに「正当な理由」になるんでしょう。

テストの点が悪いのは正当?
犯罪者だったら正当?
女だったら正当?
女を差別する男性だったら正当?
茶色い目は正当?青い目は正当?

正当なんて、いくらでも作れますという話。

ジェーン・エリオット先生の実験授業

青い目の子と、茶色い目の子を分けて差別をさせた実験授業をご存じの方もいらっしゃると思います。
※ぜひ「ジェーン・エリオット」で検索してみてください!

理由なんて、どんなものでも作れるんです。そして女王になったハダカデバネズミはでかくなり、優位に立った人間は傲慢になる。だから、私はお金持ちでなくてよかったし、権力を持っていなくてよかった。お金持ちだったり、権力を持っている人がそれを振りかざすのは人間として当たり前で、振りかざさない人が奇特。人間の本性をコントロールできる人なんですから。

できないことを言うのは虐待にほかならない

何を言いたいかと言うと、「あってはならない」と言うのをやめましょうということです。自分が神ならぬ欠点だらけの人の身なら、相手も同じ。

「あってはならない」からは何も生まれません。

だって「あってはならない」って「死ね」って言っているのとほぼ同じじゃありません?
親からこう言われたら、どんな気持ちになります?

平等なんてないし、格差はあるし、区別があれば差別もある。
(だから敬語が必要になるんですけど、ちょっと、まあそれは別の話)

「あなたはあなた。誰とも比較できないオンリーワン。」って言うと耳当たりがいいんですが、「平等なんてないし、格差はあるし、区別があれば差別もある。」って言いなおすと反発買うかな?
でも、そういうこと。

ふむふむ、ちょっと困ったねぇ。じゃあ、どうしようか。
こんなぐらいで取り組むのがいいかなと思うんですよね。
※命の危険にさらされている人は、こんな悠長なことを言っていられないので、とにかく逃げてくださいね。考えるのは後でいいから※

通行証が欲しいのは何のため

「ちょっとどころじゃねえんだよ!」と思われるかもしれないので、少し補足します。

例えば女人禁制の山があったとして、それは女性差別かもしれないけれど、どれぐらい重要なものか考えてみてほしいんです。

逆に男子禁制の尼寺があればこそ駆け込み寺として機能していたわけで(現代ならシェルターですね)、それを男性差別だからやめろと言われたら困ります。

一方で、その山には水源があって、男性が全てその水源を押さえていて、男性の機嫌を損ねた女性は水がもらえず死んでしまうというなら、それは戦うしかありません。(戦国時代ではないので、合法的にね)

そのときも、女性のために水源に続くレッドカーペットが敷かれるところまでを期待するのは酷ではないでしょうか。今まで自分の所有物だと思っていた水源が共有物にさせられるんですから、男性が両脇に並んで笑顔で女性が水源に行くのを見送るなんてことはありませんよ。それでも必要な権利なら頑張って権利を守り続ける。

権利は周りが与えてくれるものではなく、自分で取りにいくっていう話。

別にその山に入る必要もないのに、男子禁制の尼寺があることは忘れて、女人禁制の山があることに怒ってたなら、、、。

それって一体何のために通行証が欲しいんでしょう。
女人禁制の山があるのを見ているだけで腹が立つのが理由?
山に入って「女性が男性の陣地を制圧したぞ」って言いたいだけなら、ジョンレノンの言葉を借りて「Don't you know that you can count me out(私を仲間に入れないでね)」と願いたいものです。(Revolutionより)

※これ、譬えで男女差別を挙げていますが、いろんな差別に置き換えてくださいね。

半径5メートルから始める

まずは身近な人間関係から自分の理想とする関係を作りましょうよ。
※差別の無い、平等な関係ね。パートナーをペット以下にみなして自分がふんぞり返るのが理想とか、そういうのは勘弁してくださいよ。

身近な人はたった一人でもいい。

どっちが食事を作る?誰が皿を洗うの?収入はどう分けるの?

2人が全く同じスケジュールをこなす?
それとも作業を分担する?交代にする?

2人にとっての平等って何?

3人でも平等に暮らせる?4人に増えたら?5人は?

社会や世界を変えるのはその先の話。

平等なもの、一個あるかも

ちょっと話が飛んじゃうけど、コールセンター時代の話。
ウチへのクレームは確かにウチへのクレームなんだけど、
ホントは自分の人生どうにもならないことに押しつぶされそうで、なんとかして「どうにかできる体験」を得ようとしてクレーム言ってるでしょ?
って思っちゃうような人が時々います。

でも、そういう人って多分あちこちにクレームを入れ続けることになる。
だって、そんなことしても自分の生活は全く変わらないもの。

誰にでも平等な権利があるとしたら、それは自分を幸せにしようとすることじゃないでしょうか。その権利をまずは大切にしてほしい。

それはね、甘い汁吸ってるやつをのさばらせておくだけだとか、やつらの思うつぼだとか、そういうことじゃないんです。

それは、周囲に影響されない核を作ること。

さあ、今回の話はここまで。

さて、次は「中心化」について書きます。

世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。