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敬語は不平等か?

今、活動名を考えています。
「相互尊重プロモーター のどか」なんていかがでしょうか。
もしくは「相互尊重プロデューサー」???
普段の文章で書いていることと一致した名前にしたいなぁと思っているので、それではイメージが合わないよとか、こんな名前がいいなど、アドバイスを頂戴できれば幸いです。

「敬意マスター」という活動名について前回お伺いしたところ、ご意見いただきありがとうございました!文字数は似たようなものですが、「プロモーター」なら説明なしに意味が伝わるかなぁと思い、考えてみました。分かりやすいで言うと、「プロデューサー」のほうがいいか、でもニュアンスが違うか……?「敬意」についても、言われてみて「相互尊重」のほうが私の伝えたい中身に近いと思い、取り換えてみました。もしよろしければ、改めてご意見、別の名前候補など、よろしくお願いいたします!

以前、とある文章を読んで、「やっぱり、今認識されている敬語ってこういうことだよなぁ」と現実を突きつけられました。それが、作家である橘玲氏のこちらの文章です。

ビジネス敬語における「目上/目下」は会社の役職などをいっているのだろうが、そこには「部長は平社員よりも人間として尊い」という含意がある。これは明らかに、「すべてのひとは平等」というリベラリズムの原則に反している。

https://www.moneypost.jp/1050773/3/

いや、私に言わせれば、「ビジネス敬語」には、「部長は平社員よりも人間として尊い」なんて含意はないし、どちらかというとあっては困るんだけど……。

ということで今回の記事をお届けします。
ご高覧くださいませ。


権力を抑制し個人の自由を最大化することを目指すリベラリズムには、万人が平等であり、誰もが等しく人権を持っているという前提の共有があります。

一方で、敬語は「上下識別語」であるという話を書きました。

上下を前提とする敬語は、人が不平等な状態を良しとする言葉なのでしょうか。

敬語が表す上下と人間としての尊厳は関係ない

「上下」というと、「偉いvs.偉くない」という解釈になりがちです。
これが、職場における「役職上の偉さ(=責任範囲の広さや重さ=権限の大きさと強さ)」を意味しているならよいのですが、社長と部長と平社員とを比べたときに「人間としての尊さ」に差があると解釈するのは、私が広めたい敬語とは少し異なるかもしれません。※職場における上司に対する、自身よりも広い責任範囲や権限を認めない部下の言動については、リベラリズムであっても守るべき自由とは言わないでしょう


<休憩コーナー>

検査入院していた病院に建っていた像の足元に、ミニチュア・クリエーター 工房てるとさんから
頂戴した花器を置いて記念撮影。
検査結果はまだですが、とりあえず、問題なく退院しておりますので、ご安心くださいませ。

私が敬語を広めたい理由の一つは、立場や状況が変われば立てる対象が変わる敬語を使いこなすことによって、「役職上の偉さ」と「人間としての尊さ」とは関係ないし、加えて自分がその人を「尊い」と思えるかどうかなどということには影響されずに自分の言動をコントロールする力を身につけることができるようになるためです。

これを、「具体的操作期」と、「形式的操作期」という発達心理学の用語になぞらえて説明したのが、下記の記事でした。

ただし、これが極端になれば、ーーー例えばこれから財産をだましとってやろうという自分の気持ちに全く影響を受けずに自分の言動をコントロールして完ぺきな敬意を表すとしたらーーー、これでは恐ろしいサイコパスが出来上がってしまいます。

目上に対して、人としての尊厳は平等でありながらも心からの敬意を表すとは、どういうことでしょうか。

それについて、次週述べたいと思います。
それでは、また。


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世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。