発達心理学から敬語を考えてみる『こころの旅』~読書感想文#25
この本、庵忠名人の記事で読んでみようと思った本のはずなのですが、肝心の記事が見つけられませんでした。私の勘違いかもしれません。ごめんなさい。
さて、今回取り上げる本は『こころの旅』(新曜社)です。
大学の教科書として使えそうな、専門書に分類される本かもしれませんが、それほど読みづらくはありません。
また、「こころの旅」と聞くと、私はチューリップを思い出しますが、ハリソンフォードの映画を思い出す人もいるかもしれません。
著者の山岸明子氏も、歌や映画や小説が好きらしく、コラムでは有名なそれらを引用して説明していて、とっつきづらい発達心理学を親しみやすくする工夫がされています。
この本では、生まれてから老年期まで、人の一生が書かれているので、子どもや孫ができた人だけでなく、自分のためにも読んでみてほしい本です。
その中でも、世の中の誤った敬語が気になる私の目が留まった箇所をご紹介したいと思います。敬語にご興味のない方は、ここまで。
敬語を使えないのは発達段階の問題?
(ちなみに具体的操作期とは、ピアジェのいう、認知発達段階で、小学生の頃を指します。その後、形式的操作期が来て、抽象的思考ができるようになります。)
これを敬語に置き換えてみましょう。
お買い上げいただくのは誰か?
「お買い上げいただいた」を無敬語に戻すと「買ってもらった」です。
「子どもがお母さんにアイスを買ってもらった」などと使いますよね。
買ったのは母親、買ってもらったのが子どもです。
これはほぼ全ての大人が間違いなく答えられます。
また、店員と客の二者しかいないとしたときに「お客さまが海苔を買ってもらった」と表現するならば、「お客さまが(店員に)海苔を買ってもらった」ことになり、「海苔を買ったのは店員」ということになってしまいます。
このような表現をする店員はいませんが、敬語になったとたん、なぜか「お客さまが海苔をお買い上げいただいた」と言ってしまうのです。
敬語を使えることは大人の思考の証になる
これまでのことから考えると、敬語を使わない話し方が子どもっぽいと思われるには理由がありそうです。
内容と形式論を分けて考えることができない人には、自分の気持ちと、自分の役割を分けて考えることもできないとみなされるかもしれません。
内容と形式を分けて考えることは、一つの物事を異なる側面から見ることにもつながるでしょう。巷にはビジネスにおける有効な考え方を教える数多くの本がありますが、まずは敬語の使い方を学ぶことをビジネスのスタートラインにしてみるのはいかがでしょうか。
世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。