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三波春夫と聖書

時々思うんですけど、日本に三波春夫がいなかったら、もうちょっと日本のお客様は違っていたんじゃないでしょうか。

もちろん『お客様は神様です』という一言のことです。

「”客”に向かってなんだその口のきき方は!」と強気にのたまい、
理由を質問しておきながら「そんな説明で納得できるか!!」と理解するつもりなど全くない態度をお見せになる。
「あの店員、辞めさせて」とご自身に人事権がおありだと思っていらっしゃる方もいらっしゃれば、「ぐず」だの「馬鹿だ」だの人格を否定するようなこともお構いなし。

今回はそんな愛すべきお客様について、本当に『お客様は神様』なのか、考えます。

お客様は神様です

これは、1961(昭和36)年に三波春夫が心構えとして“お客様を神様とみる”と話した言葉です。

三波春夫のオフィシャルブログを見ると、このように書いてありました。

三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。
 『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』

同じブログには、下記のようにも書いてありました。

「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。

これらを見ると、お客様に媚びへつらい何を言われようとご機嫌を取ることや、こんな客の相手をするのは面倒くさいから言うとおりにして終わらせよう、とする態度と三波春夫の言っていることは全く異なるということが分かります。

それでは、神様の本家本元である聖書も見てみましょう。

聖書には何と書いてあるか

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい

多少バリエーションはありますが、上記の言葉が繰り返し聖書に書かれています。

三波春夫はきっと、心も精神も思いもお客様のことだけに集中し、舞台上のみならず日常から力を尽くして自分の技を磨きお客様に歓んでいただこうと励んだことでしょう。

そう考えると、コールセンターの仕事も全く同じであることが分かります。

お客様を愛する

雑念を払い、お客様に全神経を集中する。お客様が困っていることを理解する為、言葉になる前の気持ちや背景にも耳を澄ます。お客様のお役に立つことだけを考え、できることは何でもやり、できないことは謙虚にその事実を認めてお詫びする。

そして電話が終わった後も、もっとこうしたほうがよかったのではないか、ああすればよかったかもしれないと心を砕き、次の入電に備えて準備を怠らない。

コールセンターの仕事とはこのようなものです。そしておそらく、どんな仕事も、基本は同じではないでしょうか。

2種類の神様

私たちを怒鳴りつけ、ののしり、命令するお客様には2種類あります。

一つは、期待を裏切られパニックになっているお客様
もう一つは、客という立場を利用して不当な利益を得ようとするお客様

どちらであってもコールセンターが行うべきことは基本的に変わりません。
できることはやる、できないことはできない。それだけです。

パニックになっているお客様に寄り添うことで、お客様の気持ちが落ち着いてくれば、良い関係が結べるかもしれません。
一方、不当な利益は提供できないということが伝われば、相手から離れていってくれるでしょう。

もし、まんまと不当な利益を得ることに成功した人がいたとして、その人が得たものと失ったものは、果たして釣り合うのでしょうか。

相手の考え方を改めさせたり人格を成長させることはできませんが、せめて傲慢さに承認を与えたり本当の自尊心を失わせたりするようなことはしたくないものです。

あらためて、「お客様は神様です」

コールセンターは、カウンセリングの場ではありませんし教育機関でもありません。お客様の役に立ち、自社のファンになってもらうことが存在意義ですから、ただひたすらに相手の本当の気持ちを探し、そこと良い関係を結ぶことだけを考えます。

客という立場を利用している人は、脅したりすかしたりはしても本当の気持ちを見せようとはしません。利益を得たいという欲求があるだけです。パニックになっているお客様が、言葉の選び方は間違えていてもなんとかしてわかってもらおう、自分の気持ちを伝えようとしているのとは対照的です。

この2者は、同じ言葉を発していても、発する動機は大きく異なります。よって、不当な利益を与えないように構えすぎて、パニックになっているお客様に寄り添うことをやめる必要はありません。寄り添おうとすることで、この違いはかえって明確に見えてきます

安心して、三波春夫の言うように「雑念を払ってまっさらな、澄み切った心で」お客様に接してください。

それではまた。


世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。