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ナンバー2で在る事を理想とする吉原啓吾はどんな人??

「ナンバー2ってどんな人?」「何で2番手なの?1番じゃなくていいの?」そんな風に思ったり感じたりする方もいらっしゃるかと思います。

僕たち治療業界・美容業界に携わる方の多くは、夢を描きキラキラした目で「いつか自分のお店をもって有名になる」「地域の方に一番頼られる整骨院にする」など思っていると思いますし、僕もその一人でした。

ナンバー2・2番手が理想になった理由

この話をするには少々長くなりますが、、、、笑

僕は2020年現在で32歳になります。これまで13年業界に携わってきて実は❝2度❞自分で整体サロンを立ち上げて運営経営してきた経験があります。

1度目は専門学校を卒業してから間もなくして

この時の自分は、もし今の自分が声をかけるなら「ちゃんと戦略立てて謙虚にやりなよ」と言いたいww

ほんとに無知な状態で当時憧れていた経営者さんに認めてもらいたくて小さいながら自分の城構える事で社長という肩書きを得ました。

ただ一点褒めるとするならば「約1500万円というお金を銀行から借り、当時大した技術もまだない状態で物件をおさえ内装もスタートしオープン日を決めた事」は凄いリスクを背負った決断だなと思っています。

実際そこから必要な技術を習得するためにスクールに通っていたのはもう過去のお話しなので公開しますw

当然、経営=数字に無知な僕はうまくいくわけもなく、結果閉店することにしたのですが、ここがターニングポイントでした。

柔軟に変化し対応し本当の自分を見つけることができた月日


閉店した僕は、憧れていた社長が運営する美容整体サロンに入社する事になったわけですが、入社して早々予想だにしない出来事が起こりました。

「お前は現場にくるな」

え。。。。。。です。

これには理由があって「技術は絶対できるし探求心があるからスキルを磨くことは必ずするだろう。でも現実社会でお金を稼ぐ・生み出すという知識とスキルを磨かないと世の中で対応できない」そんな思いから当時扱っていた自社製品を使って100万円売り上げるまでサロンに来なくていい。という流れになったわけです。

そこで初めてパソコンを開き、プレゼン資料の作り方やテレアポの仕方、名刺の渡し方、御社とか弊社とかビジネス社会における話し方を勉強し実行してきました。

当時の資料とか恥ずかしくて見れないレベル。笑

でも「頼まれごとは試されごと」って祖母に何度も言われきたからその言葉を信じて取り組んで確実に実績をつくっていくことになったわけです。

入社2年目の時、当時大阪を拠点にしていたところから東京進出をすることになり僕が立ち上げメンバーのリーダーとして携わることになり人生初の東京生活がスタートするわけです。

東京に来てからが本当に激動の日々でサロンワークを終えたらすぐ会食や商談、各種打ち合わせをする毎日で僕に休日という言葉は存在しないレベルでした。

でもこれは僕が自分で決めた事でなにも苦痛はなかったですね。

アイデアマンで感覚人間な当時の社長は夜中に突然電話してきて「朝までに〇〇の資料作れる?」とか言うわけですよww

僕は社長が喜ぶ顔、普段は褒めない社長がたまに言ってくれる「啓吾ありがとうな」中毒だったのでそれ見たさ欲しさに全てクリアしてきました。

おそらくこれが最初の僕が思ったナンバー2です。

組織に属する以上、その組織のトップの頭の中を理解する行動、そしてそれを自分ができることでトップはまた新しいことを考える余力が生まれ、組織に幅が広がってくると。ならばそれを僕がやりたいと思ったわけです。

なぜか人は集まるけどその分人が離れていくことに気づかなかった過去


一定の知名度やお金を持ち、毎日で歩いていたことで交友関係も広がってきた東京生活ですが、ある人に出会って言われた一言でハッとしました。

「啓吾君ってペラペラな人間だね。啓吾君が出会ってくれた人を傷つけたり裏切ってる事を心底見つめなおさない限り人生終わるよ」

このあとぐらいから徐々に徐々にではありますが、人間に戻れた気がします。それまではみんながどう思うとかどうなろうと関係なくって社長さえ喜んでくれたら僕は幸せって思っていたから、本当クソ馬鹿ヤロウな人間でした。

2度目の独立開業は東京の恵比寿と六本木

クソ馬鹿ヤロウな自分に気づき、「僕の思うナンバー2は、あなたにとってのナンバー2。それは縁の下の力持ちのような存在である事」とし、自分を大きく見せずありのまま人間らしくを自分のスタイルして運営して参りました。すると不思議なもので「僕に協力できることがあれば言ってね」とか「今度〇〇ちゃん紹介するから会ってみてよ」と言ってくれる方が増えていきました。

こんな経験初めてで、お金とかそんなの関係なく、あなたが良くなるならぜい力貸すよって言ってくれる神様みたいな人がいるんだなぁと感じました。

結局2度目の経営は短期間で終わることになりましたが、この経験が昔から女手一つで育ててくれた母や祖母が口酸っぱく言ってくれていた「人に優しくありなさい。そうすると必ず啓吾に人は手を差し伸べてくれる」を象徴する期間となりました。

-現在の僕は-


今現在はカドモリという会社に所属しているわけですが、今の僕が日々取り組んでいる事や考えていることは、また次回以降、いろんなテーマでお届けできたらなと思っていますので、よろしけばまだご覧ください。

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