見出し画像

『かがみの孤城(2022)』を観ました。

私なんかの住んでる四国では上映してないので、親のとこに顔を出したついでに遠路はるばる岡山まで観に来たのである。
しかしお客さんの少ないこと少ないこと。サービスデーなのに観客は後ろの方に4人ほどではじまる前に4人ほど入ってきたのみ。そんな選ばれたお客さんには「どうしてこのタイミングで『すずめの戸締まり』を見ないで『かがみの孤城』を見に来たのか?」と聞いてみたいと思ったりした。

私は今作のことは公開まで知らなかったが、芦田愛菜ちゃんのインタビュー記事でこの映画の存在を知った。、調べてみると原恵一監督(『カラフル(2010)』『百日紅 Miss HOKUSAI(2015)』何度も見た)であるし、原作が辻村深月(『ハケンアニメ!』よかった)なのでした。

内容にいじめがあることと、原作の辻村深月さんがどのように物語にするのかに興味がありました。あと私は芦田愛菜ちゃんをかなり信用していて、「芦田愛菜ちゃんが出る作品なら観たい」となっていた(『岬のマヨイガ(2021)』もそれで観てよかった)。

ちょっと地味なお話って気もするが、最後まで見たら「作り手の伝えたいこと」みたいなのがしっかりと伝わってくると思う。序盤とかで「少し退屈だなあ」とか思っても最後まで見てくれたらきっと小学校高学年くらいからは楽しめるんではないかと思います。私は終盤泣けてしまいました。観てよかったです。

今や映画も配信とかになって一時停止も早送りもできるので、一瞬でも退屈させてチャンネル回されないようにと刺激が強い作品作りを強いられてしまいかねない。テレビ番組の奇妙な部分が映画にも入り込んでしまった感じになってしまっていると思う。

稼げるか稼げないかの数字がすべてというものがあって、前作で稼げた監督の作品はどんどん宣伝されていくが、前作でコケたりすると(私は原恵一監督の『バースデー・ワンダーランド(2019)』は最後まで見れませんでした)それで次の作品作りは困難になってしまう。前回より少しでも儲かったかどうかの数字や結果がなによりも重要になってしまい、作品のお話の良し悪しなんかはあんまり重要でなくなるので、それが作り手を追い込む仕組みになりやすくなってしまう。

「そんなの当たり前だろ。なにごとも競争社会なんだから」なのである。
世の中の河の流れに対してどう対抗していくかであるが、まずは「しっかりした原作」がないとはじまらない。でないと「この方が受ける」とかでお話がどんどんねじ曲げられてしまいかねない。そして原作の伝えたいことを曲げることなく作品に仕上げる監督さんには本当に大変でしょうけど作品に込められた思いを貫いて完成させて欲しい。そこまでが出来たらきっと(芦田愛菜ちゃんみたいに)協力してくれる人は出てきてくれるでしょう。
というのがまんまこの『かがみの孤城』が完成するまでだったのかもしれません。

もう薄々気がついてる人は多いのかもしれないですけど、もう『作り手の思い』なんてものを見る側は「うっとおしい」と思う流れに入っていると思います。伝えたい内容というものが「うっとおしい」となってしまうと、私なんかは「それって作る意味がなのではないか」とか思ってしまいますが、そんなのは少数の意見なんで相手にされないでしょう。
ただ観てる瞬間に面白ければいいのです。そこに内容なんてものはなくていいのです。わざわざ自分の大事な時間を使って、観てて心地悪くなるようなものを観る必要なんてないわけです。

同じ時期に公開された『すずめの戸締まり』と『かがみの孤城』の圧倒的な差を目の当たりにして、「これからは『かがみの孤城』みたいな作品は作られにくくなっていくんではないかな」とか思ったりしました(かといって不要不急の世の中なのであります)。


この記事が参加している募集

#映画感想文

68,047件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?