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『グラン・トリノ(2008)』を観ました。

しっかりと人間が描かれた作品が見たかった。
クリント・イーストウッド監督作品は、同じ監督が作ったと思えないほど作品のタイプが違うように思う。以前、そういえば見てなかったなあと『ミリオンダラー・ベイビー(2004)』を配信で見始めて、気がついたら作品に入り込みすぎて、相手の反則ボクサーに本気で怒って叫んでたことがある。

頑固オヤジが出てくるお話しで、チャラチャラした世の中に喝を入れるような作品程度にしか内容は知らなかった。まず配役が見事であった。
息子の姿や話し方からは、頑固さのカケラもない感じが一発で伝わってくるし、その孫の女の子も、生意気で世の中舐めてる感じがわかりやすいほど伝わってくる。もう演技とかではなく見た目や人物配置でテーマがクッキリと浮き上がってくる。はじまって数秒で「これは只者ではないな」と感じた。

隣に住むアジア人家族との関わりが愛おしくてたまらなかった。
一番苦手ともいえるタイプの人と何故だか関わらざる得なくなり、渋々だか受け入れていく。この主人公のオヤジ(クリント・イーストウッド)は頑固ではあるが、なんでもかんでも頭ごなしに否定するとかはなくて、嫌いなものは嫌いだし、納得のいかないものはどうしても納得がいかないだけなのだろう。これは人として簡単に崩してはいけないような、大事な部分をちゃんと残している人のような気がした。

私なんかは昭和なので、NHKの人間ドラマ『阿修羅のごとく(向田邦子)』とか『男たちの旅路(山田太一)』とかで育ったみたいなところがある。近年の明るくてわかりやすい一面的なキャラクターやお話には違和感しかなくて、「この人にはこんな過去があったのか」とか「この人にはこんな面があったのか」とか人間が描かれている作品、実際に居るようにしか思えない、立体的で血の流れた人間像なんかが好みではある。

クリント・イーストウッド監督作品というのは、例えれば安心して食べられる昔ながらの定食屋みたいな感じで、出てくる人物像とか、その人間の性格がむき出しになる場面とか、お話の作り方がうまい。
おかしな雑音がなくテーマが明確に描かれていき、どんどん物語に入っていける心地よさがある。

そして大事なのが物語の落としどころ(終わり)である。
はじめはよかったけど、途中でおかしな方向にいってしまい、気がついたらなんかテーマとは全然関係ないとこに着地してた。みたいな作品は結構多い。
はじめはそんな話じゃなかったのに、何度も何度も修正を加えられて、最後はなにがなんだかわからなくなってしまったようなことでは困る。
例えば、子供への虐待はいけないような話で、はじめは主人公が子供への虐待を止めに入ったりしてたのに、最後の最後に主人公自ら子供を虐待してしまうというお話があったとしよう。
すると「これは結局んところ人間って虐待してしまうんだよね」とか「虐待ってしょうがないことだよね」というお話だったのか?となんだかテーマがよくわからなくなってしまう。

だから今作は、「このお話をどう落とすんだろう」と思ったし、その「落とし方でこのお話のテーマが全然変わってくる」と思ってグッと物語に入り込んだ。
そして見終わってから、「このお話は頑固オヤジみたいに姿勢が一切ブレるようなところがなかったなあ」と思ったし、このお話のテーマ的な思いが自分の中に伝わってきて、しっかりと残ったのを感じた。

しかもそういうのをひっくるめて、1972年から1976年に生産された車のグラン・トリノをタイトルに持ってくるとか、まるで連続合わせ技をくらったような感じで、最&高ではありませんか。

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