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『夫のちんぽが入らない(著者:こだま)』を読みました。

なにを今頃なのではあるが、『夫のちんぽが入らない』を読んだ(ドラマは観てた)。面白すぎたので一回息継ぎ休憩を入れて、そこから最後まで一気に読んだ。
こんな面白い文章を書く人がいてうれしかった。

最初の書き出し

まずこのタイトルのパンチ力だろう。「ちんぽ」というワードにはわいせつな感じはなく、むしろカワイイらしい感じすらあるから不思議だ。実はそこには生々しい残酷さや切実さもあるというのに。
しかし、表現することは自分をさらけ出すことだとは思うが、あまりにもやりすぎである。

「夫のちんぽが入らない」と告白されれれば誰でもなんらかの返しをするであろう。
「そんなこと気にすんな」とか「はじめは入んなくても何度目かで入るんじゃない」とか「入るか入らないかあらかじめ確認してから結婚したら」とか「夫を心から受け入れた時にはじめて入るんじゃないか」とか。
そして、それぞれの返しにもその人が剥き出しになるから、そう簡単には返せない。

はじめてわかるところ

残酷である。無理なく一緒にいられる人とお互い好きになれた幸せと、その直後の相手のちんぽが入らない絶望が発覚する。
こんな言葉にできないくらいの絶望感を、ちゃんと向き合って言葉にできる人はなかなかいないと思う。

ここまで赤裸々な内容であり、書き方によってはツラくて受けきれない内容を、著者のこだまさんは冷静かつ的確に笑いで書き連ねていく。私なんかはこういうキョトンと作為なく自然に落ちてきたような文章こそ、価値ある純度の高い文章だと思う方だ。

学校のところ

あと、小学校の先生になってからの、子供たちからの容赦ない残酷ないじめである。なんでここまでの試練が、この人だけを目がけて落ちてくるのだろうか。もう少しバラけて割り振ってはもらえないのだろうか。

今まで考えもしないような『暴力』の動きに固まったように反応できなくて、それにつけこむように子供たちは攻撃してくる。誰もそれを止めようとなんかしないで面白がって続いていく。それで先生の心が壊れていく。
これって私なんかのいじめのはじまり(生徒と生徒であったが)と同じであった。試しに小さいことをしてみて、それに対する反応を離れてビクビクとみんなで見ているのである。

キツい経験を笑いのネタにできるようになると、やっと客観的に見れるようになってきてるんではないかと思う。
誰かに話しをして思わず涙をポタポタ落とすようではまだまだ未熟者だ。ちゃんとネタを生かして転がし、ここぞというポイントでしっかり笑いをとるようになってはじめて、ちゃんとキツい経験を消化できてきているように思う。

あとがきのところ

ブックオフで中古で買ってすいません。次は『ここは、おしまいの地』と『いまだ、おしまいの地』を順番に買って読んでみます。書いたら自分の思いがいくらか整理できたような気がします。

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