『セールスマンの死』が思ってたのと全然違ってた

▲息子のビフに「人生ってのはそんな甘いもんじゃないぞ」的な説教をする父親


高校を辞める辞めないの話し合いで、父親が言った映画のタイトルが『セールスマンの死』であった。
話し合いで聞いた話から推測すると「放浪して人生の定まらない息子が、堅実なセールスマンの父親を悩ませて、結果家族を壊してしまう」そういうストーリーだと思っていた。
どうせ最後は「壊れた家族の責任をとって、息子が事故死したりするんじゃないか?」みたいに思い込んでいた。
答え合わせみたいに今回見てみたら、全然違ってた。

リメイクされたカラー映像のダスティン・ホフマン版を見たかったがレンタルにはなかったので(なかなか手に入らない)、すぐレンタルできるモノクロ版(1951年)を見ました。
すると、のっけからぶっ壊れているのは父親の方であった。

車で家に帰ってきた父親は頭痛で車をまっすぐ走らせれない状態で「時速16キロで4時間かけて帰ってきた」とか言っている(病院に行った方がよいと思う)。そんな父親に対して母親は「あなたはもがんばってる、無理しすぎなのよ」といたわる。でもって「長男のビフが帰ってきてるの、あなたお願いだから喧嘩しないで」と私の家と同じようなやりとり。

そこで問題の息子の登場である。もともと家にいる次男のハッピィは女たらしで、長い西部の旅から帰ってきた長男のビフはフリーターの職探し状態である。
この父親がなかなかの暴れん坊である。帰ってきて階段を登ってきたビフを見るなり「仕事はどうした!」「お前みたいな奴はテキサスに帰れ!」とか喧嘩をふっかける。父親にとってビフは『人生ってのはそんな甘いもんじゃないぞ』的なことを言いたくなる、見てるだけでイラつく存在のようだ。

どう見てもはじめからこの父親は穏やかではない。やたらイライラして当たり散らす父親なのである。夜なのに相手や近所の人の迷惑も考えず、大声で怒鳴る父親に対して母親はなだめるだけ。そして、息子2人に向かって「お前らはどうしようもない奴らだ」と頭から説教するように話すから「まあまあ父さん、僕らも父さんを見習ってがんばっているんだ」とかできるだけ怒らせないようにしている。

この父親は自分の生き方に自信がない。自信がないから自分の考えを相手に押し付ける。相手になめられるのが怖いから、やたらと高圧的に大声で怒鳴る(=虚勢を張る)。思い通りにならないからいつでもイライラしている。

この父親が突然妄想を発動させるので、映画的には現実にいきなり回想が突っ込んでくるみたいで見てて飽きない。そこでわかってくるのは、この父親の『人はこうあるべき』『人はこう生きるべき』ってのが強烈にあって、それを家族にも強制する。完全にモラハラの末期的な状態なのである。

長男のフリーターのビフは、父親をやたらとイラつかせる存在ではあるかもしれないが、ビフは父親に対してやり返したりはしていない。むしろ、父親に認められるためにがんばっているのだ。
どう見ても問題なのはこの父親である。相手のことを最初からダメだと決めつけて怒鳴って、勝手にあきれて落ち込んでいる。この父親が台風の目になって、次々と家族を壊していっているようにみえる。

今までの価値観が通用しなくなってもがいている父親の姿に、世の中の急激な変化にとまどう公開当時の人たちは、自分たちの姿を重ねて見ていたのではないかと思う。「そうだ、お父さんが正しい」「なんで息子たちはお父さんの思うように生きれないんだ」「がんばれがんばれお父さん」なんて思っていたのではないか。

映画の中で父親は車のセールスマンを解雇されたり、来月の保険のお金も払えなくなりそうってのもあって、ついに父親の精神を追い詰める役割をするのが長男のビフなのであった。
どうやら私の父親は、『何事も長続きしないビフの姿』と『高校を辞める私の姿』を同じように見ていたようである。

『頭のおかしい息子のせいで、自分がつくった家族が壊される』この作品はそういうことを描いた映画ではないと思った。『自分の価値観が一番正しいと思い込んでたら、心が折れてしまいました』または『お父さんあんまり無理したらこんなことになる』みたいなテーマの作品ではないかと私は思う。
だから、この映画の中の父親にもう少し柔軟に相手を受け入れるような姿勢があれば、別の着地もありえたんではないか思う。なんだかこの父親の自業自得に見えてしまうのである。

作品を見る側がどう受け取るかは自由ではあるが、なんだか受け取り方によって全然逆みたいになってしまうっていうのは、なんだか興味深い作品である。

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