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「サステイナブル歴30年」の始まりは?

「それ」が起きたのはたぶん、1990年4月24日(か26日)の、午後2時くらいの小田急線代々木上原駅下りホームの後ろの方で、電車を待っているときのことでした。

大学4年生になった4月のこと

大学4年生になり、ぼちぼち就職活動、ぼちぼち卒業論文にとりかからなければ、という時期。

就職活動については、漠然と、「マーケティング」に関する仕事がしたいなぁー、くらい。卒業論文については、まったく白紙。

というタイミングで、ちょっと関心のあったシンクタンクにOB訪問に行くというサークルの同輩がいたので、一緒に連れて行ってもらった帰りみち。

サークルの練習は月・水・金だったので、訪問日は、練習日ではない火・木のどちらか、ゴールデンウィークに入る前の週、という記憶なので、その年のカレンダーから、火曜なら24日、木曜なら26日だろう、と思うわけです。

日付はどうでもよいのですが、実質的に初めての就職活動となった企業訪問を終え、あらためて、自分が関心を寄せている「マーケティング」って何だろう?と考えたわけです。

Q:マーケティングって何?

とくだん、その方面を深く勉強していたわけではありません。漠然と「売れる商品をつくること、かな?」と思いました。

そして次に、どういうわけか、「でも、売れる商品をつくったつもりが、売れなかったら、どうなるんだろう?」と思ってしまったのが、後から振り返れば、人生のターニングポイントでした。

連想ゲームで、「売れないけど、作ってしまった以上は、なかったことにはできないよね」、つまり、「在庫が山積みになるよね」。

「じゃあ、その積み上がった在庫はどうなるの?」

ずっと積んどくわけにもいかないから、「捨てるよね」。

一所懸命調べたり考えたりして開発した新商品、「売れないと、捨てられる」、という結論になりました。

なんか、悪い方向に考えてるな、と思い、一所懸命調べたり考えたりして開発した新商品は「売れた」としよう、でリセット。

「よかったよかった」。努力が報われた。これはきっと、やりがいがある仕事だ。

でも、、、「売れた後は、どうなるの?」。

はて。いずれ・・・「いらなくなる時が来るよね?」・・・ってことは、「やっぱり、捨てられるよね」。

A1:ごみをつくる・・・????

あれ?売れても売れなくても「捨てられる」?

それじゃあ、マーケティングって、要するに、「ごみをつくる仕事」なの?

そのとき、ふと脳裏をよぎったのが「嘔吐部屋」という話でした。これは大学3年生の冬、集中講義で聞いた記憶ですが、かつて欧州のグルメ貴族の館には「嘔吐部屋」があり、美味しいものをずっと食べ続けたい貴族たちは、そこで食べたものを吐き戻していた、というもの。

この話の真偽のほどはともかくとして、そのとき、今の世の中、この「嘔吐部屋」と同じだな、と直観したわけです。

A2:社会システムの問題!

しかもそれは、ごく一部の限られた貴族の趣味や道楽ではなくて、現代社会の仕組みそのものになっている。

1人ひとりや、1社ごとの話ではなく、個人・企業がその中に巻き込まれている社会システムの問題。

ということは、「ごみは生み出されつづける」し、「ごみはなくならない」って、ことじゃないの?

あれあれ、自分の将来を考えるつもりが、だいぶ違うところに来てしまったよ、と思いましたが、後の祭りですね。

後にブームになった言葉を借りれば、自分だけ、「不都合な真実」に気づいてしまったよ、という感覚です。

実はこれは井の中の蛙で、東京都はゴミ減量キャンペーンを前年の1989年に始めていて、すでに社会問題化してはいました。

ともあれ、電車の乗り換え待ち時間ですから、せいぜい5分・10分くらいのことでしょう。その時の、午後の柔らかな日差しが差し込むホームの情景は、「やばいことに気づいちゃったかも」の感覚とともに、今でも鮮明に覚えているのです。

ファイナルアンサー:ライフワークはこれだ!と決めた

そういうわけで、就職活動では、「ごみ問題」を解決する仕事をライフワークにしよう、卒業論文のテーマも「ごみ問題」にしよう、と決めたのは、ゴールデンウィークが明けた5月のどこかのタイミングではなかったか、と思います。

当時、インターネットは黎明期で、私はその存在も知りませんでした。調べるといっても、大学の図書館と国会図書館での文献検索、そして現物を読み込むしかありません。

すると分かったのが、私は社会学科の学生だったのですが、社会学の分野ではほとんど「ごみ問題」の先行文献がない、ということ。法律、経済などに範囲を広げていっても、社会科学の領域ではほんとうにごくわずか。

そうした中、数少ない関係文献を当たっている中、夏ごろに出会ったのが「サステイナブル」でした。

今ではサステイナブル=持続可能、が定訳となっていますが、そのころはまだ、維持可能、永続可能といった訳語を充てるべきとの議論もあり、その意味内容についても、当時の自分としては定かには理解できていなかったのが正直なところ。

ともかく、手に入る範囲の文献は読み尽くして、卒業論文を翌年1月、正月明けに提出できました。そのときの表紙が、本記事の写真。

一方、「ごみ問題をライフワークにする」の方はどうなったかというと、元々物理化学数学が苦手で文系にいったわけですから、理工系の技術的解決策というのは無理。

行政の立場でかかわるには、まず公務員試験を受けて合格しなければ話が始まりませんが、大学4年の春に思い立ったのでは時すでに遅し。

そこで、最初に行ったシンクタンク業界なら広く多く長く、このテーマでかかわれるのではない、ということで、「自分はごみ問題を解決したい」、すでにベストセラーになっていた大前研一さんの「企業参謀」という本を引き合いに出して「社会参謀になりたい」とかなんとか面接でアピールして、内定にこぎつけました。

採用する側からみれば、かなり変わったやつだったろうと思いますが、バブル経済期のゆとりで、「面白そうだからとってみよう」、で拾われた、キワモノ路線ですね。

1991年には廃棄物処理法大改正、1992年には地球サミット、1993年には環境基本法改正、1995年には容器包装リサイクル法、大学も90年代前半には環境を冠した学部・学科、そして学会がたくさん生まれ、「環境本」もあっという間にたくさん出版される環境ブームが到来します。

今思えば、ちょっとだけ、気づくのが早かっただけ。

こうした「流れ」の背景というか原動力として、1980年代半ばの「持続可能」をめぐる議論、人為的温暖化説の台頭、生物多様性という言葉の誕生、そして「持続可能な開発」の概念を定義した1987年ブルントラント委員会報告、等々があったと理解するのは、だいぶ年を食ってからでした。

ただ、1990年が私の「サステイナブル」との出会いであったことは変わりません。

それからサステイナブル歴30年

シンクタンクで12年弱の研究員生活ののち、2002年、独立するに際し、社名を考えました。ずいぶんと悩みましたが、最終候補は、「スマート・デザイン」と「サステイナブル・デザイン」。

最終的に、21世紀を通じて残る言葉は「サステイナブル」だろうと考え、「サステイナブル・デザイン」に決めたたのですが、まったく理解されないし通じません。

現在、約10,300件(≒10,300人)の名刺データがデータベースに入っていますが、このうち10,000人は、「サステイナブル」という言葉は無反応またはスルーです。

ちなみに「デザイン」の方も「意匠」の意味ではなく「設計」の意味を込めたつもりでしたが、やはりほとんどの方が「デザイン事務所ですか?」。

2000年代後半、スマートフォン、スマートシティなど、スマート●●●が流行り出しました。そのときは、「スマート・デザイン」にしておけばよかった、と少し後悔したり。

その後、2015年にSDGsを含む2030アジェンダが採択され、2017年辺りから、SDGsに関する世の中の関心が高まりはじめ、2019年辺りから、SDGsに関する講演・セミナーのご依頼や問い合わせ・相談が増え始めました。

2019年といえば会社設立から17年後です。

今年5月に、北米で「素数ゼミ」の中で最長周期の「17年ゼミ」が大発生したニュースがありました。2004年に生を受けた幼虫が、17年後に地上に出てきて成虫となったわけです。

私の会社も、「17年ゼミ」だなぁ、と思いつつ、セミのように短命では終わりたくないわけです。

現在は、「SDGsのSが、私の会社の社名のサステイナブルです、SDGsは2015年ですが私の会社は2002年からです」と、初対面の時にあいさつ代わりにお伝え、それで通じるようになってきました。それでも、1987年から数えればもう15年経っていたわけですが。

かかわってきたこと

環境関係で携わった業務のテーマをあげれば、前職・現職通じて、こんな感じ(主に受託業務ですが、非営利の活動も含まれます)。

建築環境、物流効率化、紙のリサイクル、湖沼・河川の水質浄化、都道府県廃棄物計画、エコツーリズム、生態系保全、グリーン購入、印刷の環境配慮、VOC排出抑制、環境マネジメントシステム、LCA、省エネルギー、CO2マネジメント、エコ商品プロモーション環境表示の信頼性確保、環境教育、ESD、CDP回答、グリーン電力 など

出張も多かったので、47都道府県すべての土を1度は踏み、未踏の県庁所在地はあと2つ(前橋と松江)。

海外をフィールドとするプロジェクトは、こんな感じ。あまり人のいかないところばかりですね。

フィジー諸島、ガラパゴス諸島、中東(ヨルダン・イスラエル・パレスチナ)、マーシャル諸島

2010年代は、主として中小企業の経営支援に注力し、こんな感じ。

中期経営計画、経営者の相談役、社員研修、新規事業、資金繰り・資金調達支援、補助金・助成金等の公的資金活用

結果的に、エコロジー・ファーストとエコノミー・ファースト、両方の「エコファースト」の専門性を備えることになり、2020年代を迎えました。

2020年代はサステイナブル・コーポレート・デザイン

そんなこんなで、就職活動初日の、ふとした発想が30年以上経た今日につながっているわけです。

具体的に今日こうなっていることを思い描いたわけではないですし、そのためのキャリアデザインをしてきたわけでもないですが、「これがライフワーク」と思い定めたことが、陰に陽に作用してきたのではないかと思います。

ついに、こんなニュースが出る世の中になりました。

SDGs担当職、導入広がる 計画立案、PDCA管理で支援
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO75953770S1A920C2000000?channel=DF061120195606

この先は、会社名に込めたミッションに邁進するのみです。

それが、サステイナブル・コーポレート・デザイン。

そして、ビジョンは、

■1社に1人、CSO=チーフ・サステイナビリティ・オフィサーがいる
■CSOがCEOになる(あるいは、CEOがCSOである)

が当たり前、の世の中をつくること。

アクションは、CSOを大量輩出するための人材育成です。

自らCSOになる、CSOを育てることに関心のある皆様とつながって、ビジョン実現をめざしていきたいと思っています。

GGW2021最終日に当たり、来し方を振り返り、行く末を言語化してみました。










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