そんなにも自由を求めていた。
「書くこと」について考え続けてる。
思えば、昔から「書くこと」をしていた。
自分の行き場のない感情や思いを受け止めてくれたのは、
「書く」という行為だった。
中学生の頃からノートに書き溜めていた。
インターネットが生まれて、世界が広がった。
散文や短歌、五行歌を書き続けて、
顔も名前も知らない仲間ができた。
自分の内から溢れ続ける感情と言葉。
溢れるものを形にする喜びを感じてた。
「書く」ことの根っこには、「読む」があった。
本が好きで、
小学生のときは、学校の図書室の蔵書をほぼすべて読んだ。
本の中の世界でだけ、自由でいられた。
妄想の世界では、わたしはわたしでいられた。
本を読むことで、大人に認められた。
あの頃の自分が、今の自分の礎になってる。
そう思ったら、あの頃も悪かったことばかりじゃないな。
妄想の世界は、何の制限もなくて、自由。
「書く」って、自分を保ち続けるための儀式みたいなものだったのかも。
そんなにも、不自由だったんだな。
昨日の朝、外に出たら、金木犀の香りがした。
開いてるのは少しだったけど、湿度を含んだ空気が香りを運んでくれた。
悩んだり、
楽しかったり、
悲しかったり、
嬉しかったり、
そんな日常に流されそうになることもあるけど、
季節は変わらない流れで移り変わってる。
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