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共生と依存から見えた自分軸

共生と依存について考える機会があって。
自分の機嫌を取る、っていうことが浮かんだんだよね。


自分の機嫌を自分で取るか、誰かや何かに取ってもらうか。
誰かに取ってもらっていたとしても、
それに関しては無自覚なことがほとんど。

誰かに取ってもらうとしても、
話すのと感情をぶつけるのとは違う。

わたしの状態は今こんな感じなんだよね
って話せる関係がいいな。

依存って、行き過ぎると搾取になっちゃうと思うんだよね。


お互いが一個人として在るかどうか。
そこが、共生と依存の違いなんじゃないかな。

「相手と自分のことを考えたら、そんなことできないよね」
そう感じることができない状態が、依存なのかも。

自分のことしか見えていない状態。

じゃあガマンすればいいか、っていうこととは違って。

ガマンって浮かぶ時点で既に危険やねんけどね。


0か100か、っていう思考だったわたしは、
いろんなことのプロセスを見ることができなかったんだと思う。

プロセスをすっ飛ばしちゃうから、わからないんだよね。


丁寧に、一つ一つ紐解いていく。

わたしにはこの方法が合っていて、
もしも揺れたとしても立ち戻れることを知っていれば
きっと大丈夫。

わたしにとっての軸って、そういうことなのかも。

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今朝は、朝焼けがきれいだった。

今この瞬間は今この瞬間しか感じられない。
それが、やめられないんだろうな。

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