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『じたばたするもの』 読書会を終えて

「おはようございます。」という、朝の挨拶が嬉しいはじまり。
先日、書店フロアにて『じたばたするもの』の刊行イベントといたしまして、読書会を開催いたしました。
著者である大阿久さんは「4時半起きでした!」と元気いっぱいにご来店。
珈琲や紅茶が皆さまのお手元に回ってきたところで読書会がスタート。
今回は装丁をご担当の納谷衣美さんや、大阿久さんが大学の留学生ボランティアで知り合ったという学生さんなども参加しての非常に楽しげな会になりました。

大きなテーブルを囲んで。

そして、この度の読書会について大阿久さんより、会についての文章をいただきましたので掲載いたします。

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5月28日、恵文社で読書会が行われた。
スタートは9時半。朝の会は恵文社の初めての試みだという。
とても小さい会で、その場にいるのが好きな人ばかりでとても楽しかった。例えば装丁を手掛けてくださった納谷衣美さん。この会で最も心を動かされたのは、本を開けて5ページ目(透けている紙のページの次)や、最後から8ページ目にある椅子についての話だった。納谷さんはこの本を組んでいるとき、カナダ在住の編集者のゼミに参加する機会があったという。

それは北米先住民のトゥー・スピリット(男・女と二分される性別ではない性別の人々で、かつては様々な名前で様々な先住民グループに存在していたが、西洋的な男女観が強制されるにつれ一時はこの概念が廃れてしまったが、この4、5年現代にとり戻そう、これについて学ぼうとする活動が活発化している)にかんするものだった。納谷さんは体が女性の人の会に参加したが、会場にはかならず椅子がひとつ置いてあった。それはこの場に来たかったけれど来られなかった人のための椅子なのだという。最後のエッセイではアドリエンヌ・リッチが取り上げられているが、彼女は「読者に」という詩で、彼女が直接に知らない彼女の詩を読む人々に思いを馳せている。これらからの着想で「まだ見ぬ読者のための椅子」を表現している、とのことだった。この本の構成が時系列ということもあり前のエッセイほど古く、後ろのものほど新しい)、最初のほうのページでは小さかった椅子は最後のほうでは少し大きな椅子に。普段私はどちらかというと読者に関する想像力に欠けているほうなので、失礼にもというか、自分の本に関して妙にぼんやりしているところがある。納谷さんのお話を聞いて「手に取れる本」の力について改めて感じ入るというか、単純にめちゃくちゃ感動したのだった。

母が来てくれたこともまたよかった。
彼女は私が誘ったら来てくれた。面白かったのは、母が私を見ていてジェネレーションギャップのようなものを感じる、という話をしてくれたことだ。曰く、母は京都で生まれ育ち、どちらかといえば「隠す」文化に生まれてきたという。しかし私はあまり隠し立てをしないほうなので、その世代のギャップを大きく感じ、「転換期にいる」という感じがすると。この世代が変わっていく感覚について居心地悪く思い、拒否してしまう人も世の中には多いので(LGBTQの権利、夫婦別姓、産む権利産まない権利、身体の自由などに関する議論がいかに日本で停滞しているかを思い出すといかに「転換期」を受け入れることが難しいかがわかるだろう)、こうやって受け入れてくれることはほんまにありがたいことだと思った。母みたいに表現はしないけれども、この場にはいなかったサポーティブな父親にもありがたいなあと思った。

 喋れてよかったのは、この本を書いたときと考え方が変わったことについて。これは本のあとがきにも書いたことだが、大学生活を送ることにより、「自分の感性のようなもの」のみで書き続けようとするのは「不勉強に対する言い訳のように感じられる」ようになった。
例えば「(私たちの)願いのこと」でトニ・モリスン「青い目がほしい」について書いた。文中でも一応ことわりのようなものを入れている(「私の皮膚感覚を何のためらいもなくこの物語に投影するのは、彼らのおかれている歴史的な文脈をすっかり無視し、その奥行きや陰影を彼らからすっかり奪い去ってしまうという点で暴力的であり危険である」、など)。
しかし今書くとしたら、もう少し自分の見えていない部分――つまり、私の置かれた状況とこの物語に登場するピコーラたちが置かれた状況の「違い」の部分について(学術的に)調べ、更に慎重になろうとするだろう。そうしないと書くことに対する倫理的な責任のようなものをきちんと負っていないと考えるようになった。

今回「フランク・オハラ」の名前が何度か上り、「Steps」という詩を朗読した(「フランク・オハラ: 冷戦初期の詩人の芸術 (水声文庫) 」(飯野友幸)の中の邦訳)。この詩は以下のように終わる。

oh god it’s wonderful
to get out of bed
and drink too much coffee
and smoke too many cigarettes
and love you so much

なんともハッピーなエネルギーで満ち満ちている。
フランク・オハラはたくさん詩を書いたのに、邦訳はあまりされていない。
これからやりたいこととして、「ランチ・ポエムズ」を訳する、ということをやってみたいな、といったところで会はおしまい。最近はフランク・オハラへのトリビュートを示してランチ・タイムにスマホのメモに訳している。
 なんともとりとめのない報告になったが、今回は私にとって、いかに自分が多くの人に支えられているか、気にかけられているかが改めてわかる会だった。思い返すたびに感謝の念が身体の芯にまで染み渡る感じがする。

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著者紹介
大阿久佳乃(おおあく・よしの)
2000年、三重県鈴鹿市生まれ。文筆家。2017年より詩に関するフリーペーパー『詩ぃちゃん』(不定期)を発行。著書に『のどがかわいた』(岬書 店)、月刊『パンの耳』1~10号、『パイナップル・シューズ』1号など。

担当:原口

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