ビジョンクリエイターへ~個人と社会、共に幸せな世界~
こんにちは、高橋 奎( @_keitakahashi_ )です。
自分のここ数ヶ月の違和感がすとんと解消された結果、自分の「コミュニティクリエイター」という肩書きを変え、「ビジョンクリエイター」という肩書きにしようと思います。
あくまでこの変化は結果でしかなく、この背景の自問自答が結構大事だったとここに述べておきます。
僕には創りたい世界がある
昨晩、個人事業主になるにあたり、手続きのために実家に帰った。
普段とは違う環境。夜、ここ数ヶ月感じていたことにふと向き合っていた。
それは自分が「どう在りたくて」、そして「何を目指すか」、試行錯誤していることについてだ。
この試行錯誤の中で、向き合わざるを得なくなったきっかけは、メディアに出ている同世代からの刺激だった。
この1年くらい、同年代がZ世代として、メディアに出てきている。
そこに焦りを感じているというよりも、「悔しさ」がある。
悔しいという気持ち
この「悔しい」という気持ちは、
僕の人生の中でいつも転機となることが多い。
・高校時代サッカーをやらないと決めたことで抱えた悔しさ
周りが必死に部活などに熱中している中、自分が何もしていない状態。高校生活を楽しめていない自分がとても情けなく悔しかった。あの時からやりたいと思ったことはとにかく熱中してやってみることの大切さを知った。
・体育祭の集団行動で練習がうまくいかない悔しさ
高校時代の体育祭の集団行動。準備がうまくいかなくて、悔しさから前日にそれをぶちまけた。それによりチームの団結力が高まり、やりきったと思える状態になった。あの時の感動が今の活力と、迷った時の問いになっている。
・NPOカタリバに入った時に何もできなかった悔しさ
メールも打てない、研修のパワポをまともに話せない、高校生と対話ができない・・・わかるけど何もできない自分への惨めさが、そのあとの活動への熱量と自己成長を生み出した。
・パートナーさんへの接し方がわからず、自分の力をパートナーさんへ還元できない悔しさ
自分の力を相手に還元できないことの不甲斐なさが申し訳なく、悔しかった。いろんなコンサルタントの方にインタビューしたり、本を読んだり、パートナーさんとお話したりして、自分の力をより引き出せるようになり、貢献できることも増えた。
・資本主義経済と社会的意義の両立の難しさへの悔しさ
どのように資本主義と社会的意義の両立をはかるのか?これに四苦八苦した新卒一年目だった。たくさんの矛盾を心に抱えながら、たくさん自問自答をし、フリーランスというより自由と責任が伴う立場に飛び出し、その探究にチャレンジしようと思った。
今回の悔しさとは何か
そこに無理に意味をつけたくない、と数ヶ月、横に置きながら考えていたけれど、昨晩すっと落ちてきた。
彼らに「悔しさ」を感じるのは、打算的でなく、社会に対して、「何が大事」と思っているかを表明し、意志を持ってアクションしている、「その生き様」がかっこいいと思っていたこと。
そして、積み重ねてきた実績と実力。
このツイートで書いていない前者が、強いと思う。
生き様だ。
「こんな世界を創りたい」そう表明し動いている姿がかっこよかった。
そして自分もそうでありたいと強く願っていた。
でもずっと引っかかっていたことがあった。
自分の気持ちに素直になれない恐怖だ。
「世界を創る」=人を操ると思われる恐怖
それは、
「世界を創る」とは人を操っているということになるのではないか?
という恐怖。
こうしたい、こうなったらいいと思う。
そんな「世界という理想」を掲げる時に、周りに対して機能を求めてしまう。その感覚が怖かった。
でも、人を操りたいがために世界を創りたいのではなくて、自分と他者の幸せ両方を大事にするために世界を創りたい。
そう、この「世界」とは一部の人のエゴではなくて、個人と社会の関係性のなかで見出される世界。
だから、一部の人のエゴになることをしたいわけではない。
そう思うと、この「世界を創りたい」という自分が思っていた気持ちは受け入れることができた。
この弱く、強い願いを諦めたくないと想い続けられると思えるようになった。
そうだ、個人と社会のあり方の追究をしたいのだ。
僕に広がる二つの道
そう思えた時、僕の目の前には「二つの道」が広がっていた。
「誰かの声に従って、なんとなく生きる道」
「自分の意志で世界を創る道」
誰かがいいという世界を信じて、機能しに行くか
頭と心を使いながら、日々自問自答し、自分が想う世界を創りに行くか
考えることもない。答えは圧倒的に後者だった。
僕は世界を創る道を歩みたい。
そうじゃないと、多分生きている事に対して悲観的になる。
嘘をついて、自分と周りに申し訳なくなりながら生きるに違いない。
素直に個人と社会の幸せの形を追究できるのであれば、この上なく幸せだ。
まず大切にしたいのは「こと」ではなく「いみ」
そんな腹落ち感とともに、違和感を感じているのは、
「コミュニティクリエイター」という自分が名乗る肩書きだった。
ここ数年
コミュニティデザイナー→採用パートナー→コミュニティクリエイター
と肩書きを変えてきた。
わかりやすい肩書きがあったほうが、周りから理解されやすいと思っていたから。
でも実は「違和感」を感じ続けてきたいた。
その「違和感」が今なら断言できる。
それは、いくらコミュニティが創られたり、いくら採用が成功しても、それが個人と社会にとって本当にいいのか確信が持てなかったという事だ。
コミュニティを創ることも、教育も採用も。手段。
だから手段が目的化したコミュニティ創りや教育や採用の仕事をすることに違和感があった。
コミュニティを創ることが目的化してしまうことや、教育をすることが目的となってしまうこと、採用をすることが目的となってしまうこと。
そんな場所を見てきた。
それはどこか本当の目的を、見失っている感覚もした。
これは宮崎駿さんとドワンゴ川上さんのコミュニケーション。
テクノロジーの発達に対して、その目的は何かと問う場面。
実験的なテクノロジーの発達はアグリーではあるが、テクノロジーを発達させることが目的となる意思決定への懸念が問いである。
この感覚が僕の中でかなり近い。
僕は手段である「もの」よりも、目的である「いみ」を創りたい。引き出していきたい。
その「いみ」あるものを目指した、教育や採用や組織づくりやコミュニティその他多様なプロジェクトを愚直にやっていきたい。
だからこそ、まずは「いみ」を生み出すこと、
そして「いみ」を具現化するために、「こと」をなしていきたいと思う。
個人と社会、共に幸せな世界を創る
僕が生み出していきたい「いみ」とは、個人と社会にとってバランスが取れたものである。
そこに「愚直なプロジェクト」をしていきたい。
ブランドに惹かれること、Visionやアイデンティティに惹かれること、NPOの愚直さに惹かれることが、それがやっと一歩、腹落ちした。
これが僕の新たなVisionだ。
ビジョンクリエイターを名乗ります
「ビジョンクリエイター」と名乗ることにしました。
行動は、肩書きや言葉に引っ張られる。
コミュニティを創ることに引っ張られたくなくて、僕はビジョンに引っ張られたい。
ブランドマネージャーとして働いている一面もあるのですが、自分なりに、しっくり言葉がビジョンだったので、ビジョンクリエイターと名乗ることにしました。
人事領域に携わることも、コミュニティ創りに携わることも、教育にに携わることも、そのほか色々なプロジェクトに携わることも、
全てはビジョンやアイデンティティが大事だと思っています。
僕らは何を大切にし、何を目指すのか?
それに向き合うことをし続けることで、
個人と社会の両方の幸せを叶えられると思います。
だから、ビジョンクリエイターとして、多くのものに個人と社会にとってどのような価値があるのかに、愚直に向き合う人として今は生きていこうと思います。
・ビジョンを生み出すこと
・ビジョンにあったPJを推進して世の中に価値を届けることを生み出すこと
それを愚直にやります。
Z世代のビジョンクリエイターという自負を持って進んでいきます。
必要なのは仲間
そしてまた思います。
僕一人では何もできません。。。
最高の仲間を見つける。それをここから数年目の前のいみを創り、ことに向かう中で、し続けたいと思います。
少しでも心が動いたら連絡してください。(連絡先は最後にあります)
直近の活動について
コロナで失ったものも多いですが、続々とお声がけいただき、PJへの参加が決まってきています。
その大体がブランド設計×コミュニティで、とてもワクワクしています。
また実際にやっていることがレポートできる段階になればお知らせさせていただきます。
日常の発信はTwitterで行なっていますので、ぜひ興味を持たれた方はフォローいただけますと幸いです。
また、いろんな人と話したいと思っています。この文章を読んで心が揺れた方は、ぜひご連絡ください。
僕が今欲しいのは「仲間」です。
Facebookやツイッターでご連絡いただけますと幸いです。
(Facebook申請はメッセージ付きでいただけますと幸いです)
引き続きよろしくお願いいたします。
サポートを受けてのお金は、僕のコミュニティ創りの資金にさせていただきます。 人が人とつながりやりたいことを実現するコミュニティを一緒に創りましょう。