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7月の雨

心が折れました。と、言われた。その一言に私も心が折れた。だから、そう伝えた。

基本的に言葉は正しく伝わらない。
正しく伝わらなかった、と感じた時には既に遅い。
違うねん、と言いたくなる。この時の違うねん、はだいたい墓穴を掘る。
かといって、正しく伝わらなかったなぁ。と流してしまうのはもっと良くない。
自分の中に潜む傲慢さに嫌気がさす。いっそ開き直ってしまいたい。

一度放った言葉はいなくならない。着地する場所を失い漂っている。
その言葉が漂っている空気は、正に気まずい。

気まずさは鋭い。そして隙間に入り込むのが上手だ。記憶を蘇らせ、深読みを発動させる。


同じくして言葉を正しく受け取れない。
自分の中だけに留めている思いがそこに重なったりすると、何故そんなことを言うの?と驚いたりする。

自己完結。一方通行。
日々、「伝える」という壁にぶつかりまくっている。

相手に「伝わった」という実感を一度でも持ってしまうと、心のどこかで「この人は私を理解してくれる」というような類の思いが芽生えるのだろう。
だからその相手との対話で、伝わらなかったり受け取れなかったりしたときに、ひとつひとつの細胞が認識からひどく遠のく。
そうじゃなかったんだ。
度合いの話ではない。芽は、小さくても根っこがあるので摘み取られてしまうと痛い。
そんなことは日常茶飯事で起こっているが、忙しい日々の中で小さな痛みになど構っていられないことの方が多い。
自分本位の正しさ。私もそうして人を傷つけている。

感情の芽生えを阻止することは難しい。
期待するからだとか、初めから期待しないとか、口で言うのは容易いけれどそんなに簡単にコントロールできるものではない。
よくわかっている。だから絶望したりしない。そうだった、そうじゃなかったんだ、と思い出す。

閉口してしまう。
ただ、私は言葉を使う方法でしか気持ちを伝えることができない。

言葉なくしては何も始まらない。終わることも。

私はどうしても伝えたかった。

言葉に宿る温度や湿度、切実さや誠実さ。
「正しく」は伝えられないかもしれないけれど、それ以上の何か。言霊。

言葉は美しい。
その美しさに気づかされ、魅了され、生きていくことができる。



最後はお互いに、ごめんねと言い合った。

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