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【小説】4人の自殺志願者


「先輩、ありましたよ。4人分の遺書」

刑事になって20年。
夏の始まりとも言えるような湿気を纏った7月の下旬、朝の6時。
剛田は、神奈川県内の山中の多美口(たみぐち)ダムにいた。

一般開放されている、いわゆるアーチ式のコンクリートダムではあるものの、年に数回放流する以外は特にイベントもないため観光客も寄り付かない。この山を登ってきたところで、山を越えるだけで観光地もないのだ。

そんなさびれたダムに、早朝にも関わらず現在はパトカーの赤い光が夥しく群れている。警察官が何やら騒がしく叫ぶ声が飛び交う。

“同じ車が、もう1週間もダムの駐車場に停まっている”

と、この山道を畑仕事に通う老人から110番の通報があった。

最初の通報は深夜だったそうだが、所轄はとある事件に追われており、早朝に再度通報があってからようやく警察官が現場に向かった。

警察が到着したところ辺りに不審者は見つからなかったが、確かに通報にあった通り、ダムの駐車場には一台の白いセダンが停まっていた。

車のナンバーを照会したところちょうど1週間前に行方がわからなくなった中年男性が持ち主だと判明。

事件性があると判断した所轄が剛田を現場に向かわせた。

そして先ほど、その車の中から遺書が見つかったのだ。
それも4人分。

剛田は人生で1番大きなため息をついた。
刑事になって20年。
良くも悪くも平凡な町で暮らしてきた。それがまさか、このような悲惨な事件が起きるとは、ゆめゆめ思ってもいなかった。

「集団自殺なんて、まさかこんな平穏な町で起こるなんて」

後輩の山野の手には、種類も筆跡も異なる4通の封筒が握られていた。

内容ももちろん異なるが、全てに自殺を匂わせるような文章が記載されていた。

悲しそうにため息をつく山野の言葉に、剛田は違和感を覚える。
遺書にもう一度目を通す。

「闇サイトか何かで出会ったのか。手紙の内容もバラバラだな」

「ええ。遺書の内容的に一家心中ではなく、自殺のためにこのダムに集まったと考えられますね」

全ての遺書にはそれぞれ名前も記入されている。4人の身元が判明するのはそう遅くないだろう。しかし、だ。

「何でダムなんだ?」
「このダムは自殺の隠れ名所とも言われていますからね。確実に死ねると思ったのでは?」
「おそらく状況的に、この4人の中の1人が車を運転してきたんだろう?」
「そうなりますね。車の持ち主は40代男性、名前は横街 正。ごく普通のサラリーマンです」
「集団自殺と車の組み合わせで思い浮かぶのは?」
「練炭自殺、ですかね?」
「ああ。なぜ練炭ではなく、わざわざ4人でこのダムに足を運び飛び込んだんだ」
「練炭を購入する財力がなかった、とかですかね…?」
「借金苦の奴は、遺書的にこの4人のうち白藤という男だけだ。闇金に追われ自殺。この男以外の誰かが練炭くらい用意できるだろ」
「ふむ。誰かが、練炭自殺は嫌だと訴えたんですかね」
「それでダムに?」
「うーん。確かに。なぜあえてのダムなんでしょう」
「誰かがダムに強い思い入れでもあったのか。それとも別の理由か」
「でも、全員の遺書に”ダム”なんて一言も書かれてないですよね」
「それに福雪 茜という女性、男女関係のもつれで自殺を決意した割に、相手への恨言があまり書かれていないな」
「確かに。どちらかというと懺悔のようにも取れる内容ですね」
「あともう1人…。積木 弥子の遺書も気になる」

剛田の手に握られた遺書を、後輩が覗き込む。
遺書の最後に、

”ひとりきりで生まれたのだから、ひとりきりで死んでやる”

と書かれていた。

「1人で死ぬつもりだったのか?それとも何かの比喩か?」
山野はしばし考え込みながら、
「もう一度、この4人の生前の足を追ってみます」
と、興奮した様子で去っていく。
ただの集団自殺ではないと踏んだのだろう。

剛田も考える。
闇サイトはサイト主を摘発しても次から次へと湧き出てくる。そこへ集う人々もまた、軽い気持ちでサイトを覗き込み、自身の心の拠り所にし、最悪の結末として死による解放を赤の他人と分かち合ってしまう。
この4人もまた、心の拠り所を探し当て、共に死を選んだのだろうか。



「いい?みんな、手を繋いだ?」
「おばさん仕切んなよ」
「はあ?別に仕切ってなんかないわよ」
「ねえ、もういいから。早くしようよ」
「もうすぐ朝が来てしまうね。なるべく急ごう」
性別も年齢も異なる4人の男女。
自殺をするため、遥々このダムに訪れた。
かに思えた。



集団自殺から3日経った。いまだにダムから遺体が見つかっていない。

捜索隊もかなりの人数を投入し探しているが、一人も見つからないのだ。遺体が。

頭上ではメディアのヘリコプターが飛び、ダムの周りはマスコミだけではなく近隣住民の野次馬で溢れかえっている。

朝や夕方のワイドショーではひっきりなしに4名の過去や交友関係が流れている。
だが事件の解決に進展はない。そんな警察を責めるメディアや世間の声も強まっていた。

剛田は頭を抱えていた。
4人の家族、親類、交友関係全て洗ったが、4人に共通点はない。
闇サイトもサイバー課に依頼して片っ端から当たっているが、この4人がサイトを使ってやり取りしていた様子も、闇サイトの履歴も追うが、そこに訪れていた様子もない。
SNSのそういった類のアカウントも同様だ。
4人とも、互いに全く関わりがないのだ。
どこで知り合ったのか、1週間も経つのに何もわからない。
わかっていることを頭の中で整理する。

横街 正、51歳。
妻と大学生の息子は、父の安否を気にしている。遺書には「家族の無関心がつらい」と書かれていたが、家族間ですれ違いがあったか、横街 正の思い込か。
家族は正がいなくなったその日にすぐ警察に行方不明届を提出し、泣きながら近所にビラを配り、正の生存を信じている。

白藤 夢人は25歳の青年。
借金を苦にしていたと遺書には書かれていたにも関わらず、闇金も含め借金の気配がない。
仕事も都内の商社に勤めている将来有望な若者だ。大学の友人たちも彼の訃報を知り泣き崩れる者もいた。
会社内でも評価は高く、年に一度のMVPを最速で獲ったと同僚たちが話している。
妬み嫉みもあったかもしれないが、彼の仕事ぶりは誰もが認めていた。
そして事件の3日前。有給を使って旅行に出かけると以前から申請を出していたので、公休と合わせておよそ1週間、彼の姿が会社に見えなくても、誰も不審には思わなかった。

福雪 茜。
34歳の女性で、こちらもまた都内の金融会社に勤めるキャリアウーマンだ。
地方出身だが大学進学と共に上京。
そして挙句ホストに入れ込む。そのホストとの間に子供ができてしまい中絶。
それを悔いて自殺を決意。と遺書には記載してあるが、彼女はホストに通っていた形跡もなく、同僚や上司に確認しても口を揃えて「高飛車だけど仕事とプライベートは真面目」と言う。
それがつい1ヶ月前、10年以上勤めた会社を退職。転職先は誰にも告げなかったと言う。
せっかく大手企業に勤務していたのに、住んでいたのは東京の端にある風呂なしトイレ共同のボロアパートだ。
ホストに貢いでいた所以か。
大家に部屋を見せてもらったが、まるで住んでいた形跡がない。食器類も衣類も、何もないのだ。自殺を決めて、家を空っぽにしたのだろうか。

積木弥子。
神奈川の私立高校に通う17歳の女子高生。
遺書には”苦しみから解放されたい”と残されていたが、学校や彼女の交友関係から話を聞いたところ、彼女は高校1年生の頃に友人をいじめていたようで、そのいじめられていた友人が3ヶ月前に自宅で首を吊って亡くなっていたことがわかる。弥子は友人を死に追いやったのだ。
そして4名の遺書が発見された前日の朝には、娘が家からいなくなっていると、両親が慌てて警察に電話。誘拐などの事件性もないと警察が判断し、最小人数での捜索がされていた矢先の集団自殺だった。

そもそも、遺書に記されている自殺の原因と本来の4人の姿が、まるで別人なのである。
4人の共通点は無いか。年齢も職業も出身地も全て異なる4人の共通点。自殺したい、その願望以外の共通点は何かないだろうか。
剛田は資料室で考える。
過去のダム湖で起きた自殺関連の資料を漁っていた。
ふと、捜査資料が目に入る。資料といっても剛田がまとめ上げた4人分の経歴や生前の足取りだけの簡素なものだ。
積木弥子。両親は彼女の安否を心配している。遺体も見つからないのだ。まだ生きていると希望を抱いている。
彼女の資料には『好きな作家:椎野楓太郎』とある。
これは担任から聞いた話だ。読書好きで、椎野楓太郎著の『沈みゆく月の狭間』というベストセラーを題材に読書感想文を書き、県のコンクールにも出品された。
本が好きな大人しい女子高校生が、友人を自殺するまでいじめ抜くだろうか。それとも陰湿な何かが、この積木弥子という小さな少女を覆っていたのだろうか。
剛田は後輩に電話を掛ける。
「山野、調べてほしいことがある」



事件から1週間。いまだに解決の糸口は見つからない。
剛田は福雪茜の実家を訪れた。4名の遺書を発見した翌日に行って以来、2度目だ。
富山の田舎道は、地方出身の剛田にとっては懐かしさすらあった。
山の麓、茜の生家はあった。
両親は既に他界。彼女の実家は母親の妹夫婦、つまり茜の叔母夫婦が住んでいた。
「茜さん、まだ見つからないの?」
叔母の様子は心配の顔色など微塵もなく、面倒そうな表情で愛犬らしきトイプードルを抱いている。
「あの子、姉さんが死んだ時葬式も出なかったのよ。信じられる?実の親よ。両親が揃って事故死でも、あの子仕事を優先したの。とんだ親不孝者よ」

前回と同じだ。叔母は茜に対して良い感情を抱いていない。
茜は他界した両親の一人娘で、その両親は半年前に車の運転中、山道から転落。運転は父親で助手席には母親。親戚の家へ向かう途中だったそうだ。
両親の訃報を知らせたこの叔母は、姪である茜の様子に当時ひどく狼狽えたそうだ。

『死んだの?へえ。葬式?喪主?遠いから無理。そちらでどうぞ』

なんとも薄情な子供である。
剛田にも大学生の一人娘がいる。自分の葬式にいない娘など、想像もしたくない。
福雪茜は高校卒業後に上京し、都内の大学へ進学。キャリアを積み重ね、やがてホストに貢ぎ自殺。なんともやりきれない人生である。


深夜0時。多美口ダムにて、性別も年齢も異なる4名が地面に腰を据えてスナック菓子を広げていた。

「えーっ、虐待?」

弥子は驚くと同時に切なさが込み上げる。
目の前の気丈な女性にも、悲しい過去があったのだ。

「大人になって気づくのよね。そういうのって」
「それで葬式もボイコットだ」

納得するように夢人が頷く。

「あの家に入れてもらったことなんて数え切れるくらいよ。毎日離れの豚小屋みたいな暗いところで寝てたんだから」
「それはつらかったね…」
「ちょ、やめてよ横街さん。あんた達も。私、高校卒業してすぐ東京出たし。で、仕事一筋で生きてきたんだから」
「で、それがどうやってホストに入れ込むんだよ」
「気がついたら二人で飲んでたのよ。で、気がついたら一緒に寝てたのよ」
「うわ、飲んでホテル?しょうもない」
「相手の家よ」
「一緒じゃねーか」
「学生がいるんだ。もう少し言葉を選んだほうが」

正の正論に茜と夢人が口を結ぶ。バツが悪そうな顔で弥子を見る。

「バリキャリでもホストに狂って人生めちゃくちゃになるんだなあ・・・」

という辛辣な言葉に、茜は顔を歪めた。

「半分も歳の離れた小娘に言われるの、かなりキツいわね」



福雪茜は、20年前まで不幸な少女だった。
両親はネグレクトで、茜は給食費すら払ってもらえなかった。
中学までは周囲からも煙たがられ、クラスから物がなくなれば真っ先に疑われた。

実家は昭和中期に建てられた古い平家で、使われなくなった鶏小屋で生活を強いられた。両親の気分次第で母屋に入れてもらえることもあったが、奴隷のように扱われた。

だが、茜は頭が良かった。
高校は地元でも有名な進学校で、すぐにアルバイトを始めた。
貯めた金は両親に全て取られたが、学校生活に必要な物資は事足りた。
茜は耐えて、地元からは程遠い都内の大学へ進学した。奨学金を借り、アパートを借り、実家との関係を絶った。

「でも両親は執念深くてね。私を見つけて金を無心してきた」
茜の呆れた声とは裏腹に、3人の空気は重い。
彼女の後ろのマウンテンバイクの横には、大きなリュックが横たわっている。
上品な顔立ちにマウンテンパーカーとスポーツウェアという出立ちはアンバランスさよりも神々しさのような、何やら不思議な空気を纏っていた。

「占い師だか宗教にハマって。周りには遠い親戚に会いに行くって毎回言ってたらしいけど」
「お布施ってやつか」

夢人の言葉に、茜は「そ」と簡単に相槌を打つ。

「両親はしつこくて、住民票を調べ上げて会いに来るのよ。いくら家を変えてもダメ。そしたら運よく知り合いから別の家を借りられた」
「もしかしてその知り合いって」
「そう。それがそのホストってわけ。ていうか、ホストじゃないんだけど」
「えっ?違うの?」
「ホストクラブとかキャバクラとか、歌舞伎町に花を仕入れてる”業者”」

茜は業者の言葉を強調する。

「どこで知り合ったわけ?」
「ホストクラブで」
「ホストじゃねーか」
「ちょっと黙ってて。新卒2年目くらいだったかな。ひとりで飲んでたの。居酒屋出たら路上に泥酔したホストみたいなお兄さんがいてさ。送り届けた先がホストクラブ」
「ああ、それでそこに業者さんがいたんだ」
「ちょうどお花の入れ替えやっててさ。それでその花が、地元によく咲いてた花でね。すっごく気分悪くなっちゃって、トイレ借りて。気を悪くしちゃったかなと思って、業者に簡単に理由話したの」
「それが出会いってわけだ」
「この花を飾ったら仕事終わるから、ちょっと待ってて、ゆっくり話をしようって」
「それ怪しくねえか?」
夢人の言葉に、茜も同調する。
「断ったわよ。だけど、偶然にも再会しちゃったのよねえ」
「運命感じちゃったわけだ」
「ていうか、どこかでまた会いたいって気持ちがあったんだろうなあ、私が。別にあの界隈で飲まなくてもいいのに、わざわざ帰宅ルートの途中で駅降りて、飲み屋点々としてさ。恥ずかしいわ」
と笑う茜を、3人は誰も笑わなかった。
「再会できたんだ?」
弥子の嬉しそうな言葉に、茜もにっこりと頷く。
「普通の居酒屋。煮込みと漬物が美味しい、ごく普通の」
「それがきっかけで?」
「浮かれちゃってたのよ、運命勝手に感じて」
「なるほど。それで気がついたらその人と」
「飲んでて楽しくてね。終電逃して、適当にネットカフェでも行こうかなって」
「家に誘ってきた?」
「ううん。鍵渡されて、住所言われて。ここ泊まって、俺は適当に時間潰すし、って」
「おお」
「まあ、他に女でもいるんだろうなあ、って。遊ぶのうまそうだったし」
「鍵受け取ったの?」
「これ受け取ったら、私も他の女になるんだろうなあ、って思った」
「断ったんだね」
「そしたら、タクシー代渡されて。今度返すねって伝えて、連絡先交換したの」
「その時、茜さん的にはどうだったの?ほら、あの、付き合いたい、みたいな」

弥子はなんとか言葉を選ぼうとするが、逆に直接的になってしまう。
「付き合いたいっていうか、私は誰かに大切にされたかった」
茜の言葉に、3人は黙る。
「蔑ろにされたくなかった。だから、私は私だけを愛してくれる人が欲しかった」
茜は頭上の月をぼんやりと眺める。
「彼は、そういう人になってくれた」
彼女の瞳には、小さな涙が浮かんでいた。

「幸せだった。彼の家に住み始めても、私はすぐに別の物件を借りたわ」
「両親対策のためだね」
正の言葉に、茜は顎を引く。
「風呂無しアパート、家賃3万円。東京の端っこにね。住民票もそこ。だからいくら両親が尋ねてきても、その家には何も置いてない。まあ、そんな両親も半年前に事故で死んだけどね」
茜は淡々と話すが、その瞳には相変わらず涙が浮かんでいる。
「それがなんで、自殺なんてことになるの?」
弥子が膝を抱えて茜を見つめる。
「最愛の人はね、私が妊娠した直後に死んでしまったの」

富山に足を運んだ剛田は、そのまま長野へと向かう。
白藤夢人の出身地だ。彼は児童養護施設で育ち、地元の公立大学へ進学。就職と同時に上京した。
施設の職員は夢人について、
「良い子だった。下の子の面倒も見てくれて、立派な企業に勤めて。それが何で自殺なんか」
と涙を流す。
幼い頃に両親が他界、親戚もいないためこの施設で10年以上育った夢人は、都内の一流企業に就職。職場環境も良く、週末は友人達とフットサルに励むごく普通の青年だ。
それがなぜ自殺を?借金もない、友人も多い、仕事もうまくいっている。
何か心の病でも抱えていたのだろうか。そしてふと、死にたくなってしまったのだろうか。

白藤夢人は真面目な青年だった。
彼の両親は、彼が1歳の頃に亡くなっている。
事故死だったと夢人は施設の大人たちから聞かされ育っていたが、15歳を過ぎた頃、職員が話しているのを聞いてしまった。
彼はこの施設の前に捨てられていた。まだ生まれて間もない、生後1ヶ月くらいだった。
両親は事故死ではない。まだ何処かで生きていたのだ。
施設側は夢人を保護し続け、彼が18歳を迎えた頃にようやくこの話を打ち明けた。
夢人は進学し、働きに出てからは世話になった施設へ寄付金も出していた。
だが、夢人が就職して2年後、何処かでそれを嗅ぎつけた人間がいた。
夢人の兄だった。
両親は夢人を捨てて5年後、また子を儲けたらしかった。そして両親がすでに1年前に他界したことを、この兄だという男から知らされた。
挙句、この男は賭け事で膨らんだ多額の借金を抱えていた。両親が購入したマンションのローンも残っているから一緒に払え、と。
夢人は自分と血の繋がった人間がなぜこんな愚かなのか、理解できなかった。

「それで自殺?」
弥子の問いに、夢人は肩をすくめる。
「そ。気がついたらその兄とか言う男の借金の連帯保証人。それも闇金。俺もビックリしたよ」
「勝手に名前使われてたんだ」
「そいつが海外かどこかに飛んでさ。連絡もつかないし。生きる希望を失った俺は死ぬことにしたわけ」
「借金はどれくらいあるんだい?」
正の問いに、夢人は手のひらを伸ばす。それは5の数字を意味し、3人は驚きをあらわにする。
「え、ごひゃくまん!?」
弥子が大袈裟に仰反る。夢人が首を横に振る。
「じゃあ・・・50万とか・・・?」
学生の弥子にとってはなかなかイメージがつかない。
夢人はさらに首を横に振り、ため息混じりにこぼす。
「5000万」
3人は絶句する。
夢人はジャージからクシャクシャの紙を取り出す。茜が広げてみると、甲やら乙やらという言葉がやたらと並び、最後には手書きで『白藤夢人』と書いてある。借用書らしかった。
「なんで見ず知らずの奴のために働かなきゃならないんだよ。意味わかんねえ」
夢人は吐き捨てるように言った。



都内に戻ってから数日、剛田は横街正の自宅へ向かう。
築20年。横街正がローンで建てた戸建ては、相模原にある。
息子は大学へ自宅から通っており、講義のためいなかったが、専業主婦の正の妻、仁美は在宅中だったため剛田を家に招き入れる。相変わらず憔悴しきった顔で、1週間前よりも更に顔色が悪く、だいぶ老け込んだ様子だ。

「あの・・・何か進展はありましたか?」

茶を出す彼女の手は震えていた。
剛田は彼女の青ざめた表情を見てやるせない気持ちでいっぱいになる。
かぶりをふり、申し訳なさを強調しながら

「まだ見つかっていません。遺書も、当分の間は警察で預かることになるので」

と伝える。遺書の原本は警察管内で保管中だ。コピーを家族に渡してある。

「そうですか・・・」

剛田は俯く仁美から目を逸らし、リビング内を見通す。

整理整頓された15畳ほどのフローリングには食器棚や本棚が並び、家族写真だけでなく、正と仁美の結婚式の写真、一人息子の小学生時代、何かの賞状を掲げた写真など、一家の歴史を感じる写真が所狭しと飾られている。

「あれから、何か思い出したことはありませんか?姿を消す前、ご主人に変わった様子はありませんでしたか?」

1週間前、正が姿を消した日にも同じ質問をした。だが、仁美から返ってくる言葉は前回と同じだ。

「いつも通りでした。会社へ行って、帰りが遅くて。連絡もなく残業することはあり得なかったですから」
「それで22時過ぎに近くの交番へ向かったわけですね」
「ええ・・・」
「息子さんのご様子は?」
「私がこんな状態ですから・・・いつも以上にしっかりしてくれています」
「息子さんは、ご主人とも仲が良かったですか?」

仁美は強く頷く。

「あの子が子供の頃はよく釣りに出かけたり・・・反抗期もありましたが20歳の誕生日には2人でお酒を飲みに行ったんですよ」

仁美が写真立の一つを手に取る。確かに、正と息子らしき若者が居酒屋のカウンターでお互いビールを片手に笑っている。
それならばなぜ、横街正は『家族の無関心がつらい』などと遺書に残したのだろうか。ただの建前で、何か別の理由が?



横街正は、実直な男だった。
専門学校を卒業し、横浜の中小企業へ就職。それから横街は一度フリーランスへ転向したが、5年後の高校の同窓会で、同級生だった仁美と再会し意気投合、結婚へ。
それを機に相模原へ引っ越し再就職。

2人が30歳になった時、一人息子の真一が生まれた。器量のいい仁美によく似た愛らしい顔の男の子で、正は仕事の傍らなるべく妻に寄り添い、育児や家事にも積極的に加わった。
金銭面で多少苦しい思いもしたが、それでも相模原の郊外に戸建てを35年ローンで購入した。

「え、まじ。不倫?」

夢人が苦虫を噛んだような表情でわざとらしく舌を出す。
正が頭を掻きながら、苦笑いを浮かべる。

「本当に、自分が自分で情けないよ」

言いながら、ジャケットの内ポケットから一枚の写真を取り出す。
3人がその写真を覗き込む。スーツを着た青年が直立不動で立っている。

「え、もしかしてこいつが?」

夢人が険しい表情で正を見ると、正は吹き出しながら

「違うよ。息子だ」

と写真に映る青年を指でなぞる。そこには、大学入学式の初々しい青年が映っていた。

「息子が地元の国立大学に受かったときには、本当に私の子か?と思ってね。僕は専門学校だったし、妻は短大で。まさに鳶と鷹だったよ」

力なく笑う正に、3人は声をかけることができなかった。
正は涙声で振り絞る。

「まさか、本当に僕の子ではなかったなんてね」

息子の真一が20歳になった時、正は衝撃の事実を知ったのだ。

「じゃあ、この息子はおじさんの本当の子じゃなくて」
「ああ、妻の不倫相手との子だ」

弥子は息を呑む。

「妻がこんな若い男と不倫している方が、まだよかったかもしれないね」

正は写真の青年をじっと見つめる。

「それを、なんで真一くんは知ってたの?」

茜が今にも泣きそうな声で訊くと、正は力なく笑い、

「息子が20歳になった当日、会いに来たんだそうだ」

そう言って写真を握り潰した。

「知らない男が急に現れて息子も吃驚したそうだがね。その男の顔を見て更に驚いたと言っていたよ」
「似てたんだ」

弥子がボソッと呟く。しまった、という顔で正を見るが、彼は優しく微笑んで小さく頷いた。

「真一にそっくりだったそうだ。その男は一言、『大きくなったな』と、真一にキャッシュカード一枚を渡して去った」

正は財布からキャッシュカードを取り出し、3人に見せた。メガバンクのよく目にするカードだ。

「誕生日の夜、真一と飲んで、そんな話を聞いた。そしてこのキャッシュカードを私によこした」
「真一くんは何て?」
「俺の父さんは目の前の父さんだけだ、このカードは貰えない。どうしたらいい?と」

正は遂に涙を溢し、震える拳を握る。

「だから私は、このカードを預かり、興信所に依頼して真一の実の父親を探し出したんだ」
「見つかったの・・・?」
「ああ、見つかった。このキャッシュカードを見せて、男に詰め寄ったさ」
「それじゃあ、真一くんの作り話とかじゃなくて」
「本当に、その男は仁美と不倫していたよ。仁美のパート先の社員だった」
「奥さんには?言ったのよね?」

茜の言葉に、正はゆっくりと首を横に振る。

「不倫はその一回だけ・・・?」
「いや、関係は続いていたようだ」
「キャッシュカードは返さなかったの?」
「返したさ。息子はいらないと言っているとね」
「じゃあ、なんで今手元にあるの?」
「カードを返した直後、男が血相を変えて会いに来たよ。金が一銭も入ってないと」
「え?」

3人は同時に声を発する。

「もちろん、私は金を下ろしていない。新手の詐欺かとも思ったが、男はキャッシュカードと同じ名義の通帳を見せてきた。300万の残高が、息子の誕生日に見事0円になっていた」
「それはつまり、息子が?」
「ああ、情けない話だが、真一は私に黙って金をおろし、自らの懐に入れていた」
「その、息子さんがお金をおろした証拠はあるの?」
「誕生日翌日、高そうな車のプラモデルを手に自分の部屋へ向かう息子を見てね。後で調べてみたら、何十万円もするプラモデルだったよ」
「横街さん以外、全員クズじゃない」

茜の辛辣な言葉に、正は笑うしかなかった。



「先輩、まだ残ってたんですかあ」

後輩の山野がくたびれたワイシャツ姿で現れた。

「ああ、気になることがあってな」

剛田は老眼の始まりかけた目を凝らし、自身のメモを隅から隅まで読んでいく。
両親の証言、担任の弥子への期待、友人達からの彼女のイメージ。

両親から借りている捜査用の弥子の写真は、家族で石川県へ旅行に行った際のものだ。
1年前、コンクールで読書感想文が入賞した際に両親が彼女にプレゼントした旅行だという。
ボブの眼鏡をかけた大人しそうな少女が、兼六園で控えめにピースサインをして写っている。

「ところで、頼まれてたもの持ってきましたよ」

山野の手にはA4サイズの封筒と一冊の文庫本がある。

「助かった。ありがとう」

剛田は封筒から数枚の紙を取り出す。

「それにしても、こんなものに自殺のヒントなんて残されてますかね?」

山野が書類を覗き込む。

「1年前から自殺を計画してたってことですか?この女子高生は」
「これに自殺のヒントが隠されているわけじゃない」

剛田の心臓は高鳴っていた。見つからない遺体は、きっとこの中にある。

「この読書感想文を参考に、”3人は”ダムへ向かったんだ」



正、夢人、茜の話を聞いた弥子は、まだ混乱していた。

「わざわざ家からここまで頑張って歩いてきたのに。先客がいるなんて聞いてない」

鼻を啜りながら、弥子は3名を見渡す。
制服姿では絶対に怪しまれると思い、なるべく大人っぽい服装を選んで深夜に出かけた。両親には朝になればすぐにバレてしまうと思い、母のワンピースを拝借した。

「1週間前からここを訪れてね。君が来るかどうかは賭けだったよ」

と正が腰を上げ、指を指す先にはダムの駐車場。1台の白い乗用車が停まっている。

「車で寝泊まりしながら、君が来なければいいと願っていた」
「俺は、ここからもう少し下にある道の駅にバイク停めて、歩いて山登って。2ヶ月前にブログ見つけて、すぐに会社に申請出して有給取ったんだよ。で、俺も1週間前から毎日このダムに通った。そしたら一昨日、真夜中なのに入り口のベンチに人影があって、めっちゃくちゃビックリしたよ。それが横街さんだったんだけど」
「私も。自殺するなら人もいないダム閉館後かなあと思って。あのブログに書かれた日付から、毎日17時から朝の5時まで、ずっとこのダムに通ったわ」

茜が、自分の真後ろに停まっているマウンテンバイクをポンと叩く。

「恋人の形見なのよ、これ」

と笑った。

「あんなブログ、誰も見てないと思った」

弥子の言葉に、茜は思わず彼女を抱き寄せた。

「見ているわ。だから、ここに来たのよ」

思わぬ抱擁に、弥子は躊躇いがちに茜の背中に手を回す。

「1人で死ぬなんて言わないで」

剛田は椎野楓太郎著の『沈みゆく月の狭間』を一晩かけて読み切った。
その上で、次に積木弥子の読書感想文を何度も読み返す。
山野には、この読書感想文がネット上にアップされていないかを調べてもらっている。

『沈みゆく月の狭間』は、友情の崩壊と再生の物語だ。些細なことがきっかけで疑心暗鬼になってしまった2人の女性が、自分と向き合い、やがて本音でぶつかり合っていく。
積木弥子はこの崩壊と再生を、読書感想文の中で”ダム”に例えたのだ。

『ダムは月日と共に少しずつ溜まっていき、ある時いきなり決壊したように流れていってしまう。それでもまた水は溜まり、それを繰り返していく。友情も、そういったものなのではないだろうか。だから私は、友人を大切にしたい。ダムに流されてしまうような脆いものだとしても。』

積木弥子は、友人を自殺に追い込んだことを悔いて自分自身も自殺を決意した。自分が大切にできなかった友情諸共、ダムに飛び込もうとしたのではないか。
では、なぜあのダムだったのだろうか。

『多かれ少なかれ、友情は美しいばかりではない。綺麗なダムより、私は濁った小さなダムを想像する。醜かったり、妬みや嫉みもある。様々な感情を、私はコントロールできる人間でありたい。』

高校生の考えそうなことだ。この文章に、ダムの名前が隠されている。

”多”かれ少なかれ、友情は”美”しいばかりではない。綺麗なダムより、私は濁った小さなダムを想像する。醜かったり、妬みや嫉みもある。様々な感情を、私はコント”ロ”ールできる人間でありたい。

問題は、自殺を決意した日程だ。

『この物語は、1年間の四季に擬えて友情も変化していく。出会いの春、友情が成熟した夏、少し冷えてきた秋、完全に冷めてしまった冬。私の友情は、今どのあたりだろうか』

読書感想文からでは見つからない。

「剛田さん!見つけましたよ!積木弥子のアカウント!」

山野が興奮した様子で資料室に入ってくる。両手にパソコンを大事そうに抱えている。

「見てくださいこれ!」

山野がパソコンを開く。
そこには、SNSのアカウントがあった。
プロフィール画像は初期設定のまま、短い文章が小刻みに投稿されている。最初の投稿は、約8ヶ月ほど前。

”共同アカウント作りました〜!”

これが最初の投稿である。

「共同アカウント?」

剛田が首を傾げると、山野がすかさず、

「カップルとか仲良い友人同士で、アカウントを共有するんですよ!」

と得意顔で教えてくれた。

「アカウントを?何のために」
「連絡ツールの代わり、とかですかね。インフルエンサーカップルとか、わざわざ同じアカウント内でやり取りして、それをファンの人達が楽しむってこともあるらしいですよ。まあ、そもそもが自己満足ですけどね」

という山野の言葉のもと、剛田はアカウント名をもう一度確認する。
アカウント名はYAMI YUKO。フォロワーは30名程。

「フォロワーは基本的に2人の友人たちだったようです」

と山野が付け加える。
DMもいくつか届いている。

『相変わらずニコイチじゃん!』
『高校生らしい青春でなにより』
『その辺のカップルアカウントよりイチャイチャすんなwww』
『ヤコちゃん横から失礼〜!美優、明日の物理の課題やった?』

「山野、3ヶ月前に亡くなった積木弥子の友人の名前は、」
「ええ、加藤美優。ヤコとミユウ、というですね」

アカウント名は2人の名前のアナグラムというほどでもないが、親友同士のささやかな楽しみが、この投稿の数々から見て取れる。

”弥子、明日ゲーセン行かない?”
”いいよー。17時に駅前でおk?”
”おk!プリ撮りたい”
”じゃメイクしてくわ〜”

何気ないやり取りは3ヶ月ほど続いた後、パタリと無くなった。

「加藤美優が自殺したのが3ヶ月前、最後の投稿は・・・」

”弥子、ごめん”

投稿日は、加藤美優が自ら命を絶った日だ。この投稿直後、彼女は亡くなった。
なぜ、いじめられていた加藤美優が謝るのだろうか。恨みつらみを述べるでもなく、最後の投稿まで2人の他愛もない会話は続いていた。
そして残る疑問がもう一つ。

「で、これが積木弥子のホームページです」

山野が別のタブを開く。

「いわゆる別アカウント、というやつですね」

投稿型のSNSではなく、いわゆる個人のブログページだった。
メールアドレスさえあれば無料で誰でも作ることができる。

「あえてSNSにしなかったのは、誰にも知られず胸の内をさらけ出せる場所がなかったからか」
「万が一検索エンジンに引っかかっても、誰も気に留めないような小さなブログですからね」
「閲覧者はわかるのか」

剛田の言葉に、待ってましたと言わんばかりの山野がブログページをクリックする。

「ええ、いましたよ。3名ほど」

「これ、私と美優のアカウント。ずっと仲良くやってきたの」

弥子がスマホを取り出し、SNSツールを開く。
アイコンはあどけない少女2人が笑うツーショットだった。

「この子が美優ちゃん?」

と夢人が弥子の隣を指さす。

「うん。キレイな子だから、すごいモテてたの」
「確かに美人だなー。モデルみたいじゃん」
「背も高くて、バスケ部だった」
「ん?これ投稿でやりとりしてる感じだ」

と夢人がスクロールしながら呟く。

「投稿でやり取り?」

はてな顔の正に、夢人は思わず吹き出す。

「あはは、そうだよな。俺もギリギリわかる世代だから安心して、おじさん」
「なんだい、その投稿でやり取りとは」

弥子がスマホの画面を正に見せる。

「ほら、これ。アカウントを共有してたの」
「アカウントをきょうゆう」

片言気味の正に、弥子は丁寧に説明してくれた。

「伝言板みたいな感じ。同じアカウントを使ってそれぞれが投稿するの。私も美優も、このアカウントから投稿できるようになってる」
「なるほど。それでこの投稿は会話調になっているわけか」
「そうそう。この『弥子、明日ゲーセン行かない?』から始まってるのとか、こうやってメールとかじゃなくてあえてこっちで連絡取り合うの」
「確かに伝言板だ。私も学生の頃に駅の伝言板を使っていたよ」
「ていうか、弥子ちゃん伝言板なんて知ってるんだ」

夢人が感心していると、弥子は照れ臭そうに

「椎野楓太郎の本にあるの」

と笑う。
茜が、

「”伝言板”でしょ」

とすかさず言うと、弥子がぱあっと顔を明るくさせて、

「そう!茜さんも知ってるんだ!」

と、小さくガッツポーズを両手で作る。

「私も椎野楓太郎は好きで、何冊か読んだ。それでよく考察サイトとか見てたんだけど。そうしたらこのブログに辿り着いたの。高校生にしては難しい本読んでるじゃない?なんて思ってたんだけど。感想文以外のブログ内容が不穏すぎて、それどころじゃなくなっちゃった」

茜がスマホを取り出し、弥子のブログを開く。

「私もさ。”自殺が見つからない方法”なんて調べてね。ひとりで死のうと思っていたんだが、君のブログを見つけた」
「俺も。”自殺””最適””ひっそり”とかネットで調べてた。そしたらこのブログがヒットした」

夢人も同じように鞄からタブレットを取り出し、ブログを弥子に見せる。
3人の言葉に、弥子はただ言葉をなくして立ちすくむ。



剛田はブログを眺める。
3ヶ月前、加藤美優が亡くなった直後に、このブログは開設されている。
そして、最初の投稿は、彼女が書いた椎野楓太郎著の『沈みゆく月の狭間』の読書感想文だった。手元にある紙の感想文は綺麗な手書き文字が並んでいるが、ブログはそれをそのままプロットにしたようだった。
投稿は毎日されているが、内容は薄暗い。

『初めてひとりきりで海に行った。でも、よく考えたらこっち側は朝焼けしか見られない』

海にたそがれにでも行ったのだろうか。高校生が?
また、別日の投稿では、

『私が殺したも同然』

とも書かれている。

『あの日、せっかく勇気を出して声をかけてくれたのに、私は呆然と立ち尽くすしかなかった』

剛田は考える。
友人を死に追いやるほどのもの。だが加藤美優はいじめについて遺書内で言及はしていない。美優の同級生たちも、彼女がいじめられている様子はなかったと話す。

『だから、私はダムのように、私自身を流してしまおうと思う』

『濁った水に、私も溶けてしまえたらいいのに』

剛田は画面をスクロールする。

『さようなら、世界』
最後の投稿は7月16日。この一言だけ。4名の遺書がダムで見つかったちょうど1週間前。

この類のブログは、外部からでも閲覧数やいいねの数がわかるようになっている。
山野の言った通り、全てのブログに閲覧:3とある。

「流石にサイバー課でもこの閲覧者を調べることはできませんでしたが、おそらく」
「ああ、この閲覧者はあのダムにいた積木弥子以外の3名だろうな」

積木弥子は、おとなしい少女だった。
いつも教室では読書に励み、成績も申し分はない。
担任からの評価も高く、友人もそれなりにいた。
だが、事件は起きた。弥子の友人、加藤美優が、3ヶ月前に自宅で首を吊って亡くなった。遺書にはただ一言、

『積木弥子さん、どうか一生私を忘れないでください』

と記されていた。
両親に宛てた言葉も、弥子への恨言もひとつもなかった。ただそれだけが、真っ白な紙に一行で書かれていた。
弥子と美優は、中学から仲の良い友人だった。
高校は別となったものの、休日にはふたりでよく遊んでいた。
そしてある日の帰り道、弥子は突然友人である美優から告白されたのだ。

『弥子が好き』

冗談かと思った。

『うん。私も美優が好きだよ』

共同のアカウントを作ろうと言い出したのは、美優だった。それほどまでに自分を友達として好いてくれることに、弥子は純粋に嬉しさを感じていた。

『違うよ』

小さく呟いた美優は、弥子を抱き寄せた。

『こういう好きなの』

咄嗟に弥子は美優を突き飛ばす。意味がわからず、思わずその場から逃げてしまった。
それ以来、弥子は美優を避けてしまった。どうしたら良いか分からず、両親にも言えなかった。そして3ヶ月前、美優は自殺。

「私、もうどうしたらいいか分からなくて。遺書にそんなこと書かれてたから、みんな私を糾弾する。あの子の親も、私をずっと恨んでる」

弥子は言いながら涙を目に溜める。

「だって、私のせいだよ。大切な友達だったのに。あの時ちゃんと気持ちを受け止めてれば、こんなことにはならなかった。美優は死なずに済んだ。私なんていなきゃよかった!」

捲し立てながら、弥子は声を出して泣く。3人は何も言わず、ただただ弥子を見つめるしかできなかった。

「もう耐えられない。毎日夢に出てくるの。だけど本当のことを言えば、きっと病院に連れていかれる。カウンセリングなんて受けたら、美優のことを話さないといけなくなる。そうしたらあの子の気持ちが周りに知られちゃう。そんなの、美優がかわいそうだよ・・・」

息を整えながら、弥子は小さな声で言った。

「だから、私も死ぬことにしたの」

集団自殺騒ぎから2週間。
遺体は見つからないままダムでの捜索は打ち切られた。代わりに、ネット上では4名が顔写真付きで行方不明者として出回っている。
剛田は、この4名はまだ生きていると考えていた。
積木弥子のブログを見つけた横街正と白藤夢人と福雪茜の3名は、彼女の自殺を止めるためにあのダムに向かい、何らかの方法で弥子を諭したのではないか。
そして、この騒ぎが落ち着いた頃、この4名は姿を表すのではないか。
剛田の予想は見事に的中した。
だが、事件は思わぬ結末を迎えることとなる。

「一回、死んでみないかい?」

と弥子に提案したのは正だった。
予想外の言葉に驚きを隠せない弥子。
茜と夢人もぽかんと口を開けている。正は優しく微笑む。

「違うよ。本当に死ぬんじゃなくて、死んだみたいに生きてみないか?」

涙で乾いた弥子の頬を、茜が控えめに撫でる。

「遺書。私も書いてきたんだよ」

正が皮張りの上等な鞄の中を探す。

「おや、すまない。車の中だ。今取ってくるよ」
正が車に戻っている間、茜と夢人もそれぞれ封筒を取り出す。真っ白い封筒に”遺書”と書いてある。

「私も。張り切って売り場の一番高い封筒買った」
「死ぬ時まで見栄張るなよ」
「うっさいわねえ。あんたこそ、封筒も銀行によく置いてあるやつだし、中身もキャンパスノートじゃない。死ぬ時こそもっとマシなやつ用意しなさいよ」
「うるさいなあ。急に死のうと思い立ったんだからこれでいいだろ別に」

茜と夢人の小競り合いの最中、正が車から戻ってきた。
手には遺書が握られている。

「この遺書を私の車の中に置いて、世間には死んだって思わせるんだ。気が済むまで付き合うよ。何もしない日を続ける。お腹が空かなければ別に何も食べなくていい。好きなことをしてみるのさ」
「それって」

察する弥子に、夢人が

「狂言自殺、ってやつだ」

と代わりに答えた。

「私は、死にたかったんだよ。妻には不倫され、息子に騙された。生きる希望もないのさ。そんな時、君を見つけた。まだ若い君が、死ななくても済む方法を探したい。死ぬ前に、何かひとつやり遂げてみたかった」
「じゃあ、私が救われたら3人は死んじゃうの?」
「それは救ってみないとわかんないなあ」

夢人が頬を掻く。

「誰かを救えた喜びで、まだ生きたいって思うかも」

冗談っぽく笑う夢人に、弥子は笑い返すことができない。
茜がクスッと笑う。

「弥子ちゃん、とりあえず死んだように生きてみましょうよ」

さて、4名が行方不明になってから3ヶ月が経った。
この3ヶ月の間で、関東近郊で3件の不審死が相次いで報告された。
ダムでの4名の行方不明事件との関連性も十中八九あるだろうが、世間の混乱を防ぐために警察は報道規制を敷いた。
だがメディアが沈黙を貫いても、3つの不審死と4名の行方不明事件は、あっという間にインターネットのコメント欄を席巻した。

1件目は、千葉県で見つかった無職の30歳前後の男。
遺体はマンションの一室、ベッドの上に仰向けに横たわり、手は胸の上で組まれていた。
どうやら多額の借金を抱えているらしかった。
部屋の中にインスリンの注射器と処方された薬袋が見つかった。
重度の糖尿病を患っていて、死因は心筋梗塞。
では、誰がこの遺体をベッドの上に横たわらせたのか。
男が自らベッドの上で死を覚悟したとは考えにくい。
この男が金を借りているサラ金の事務所に行った組対二課曰く、「近々金を返す目処ができた」と豪語していたらしい。

2件目は、神奈川県の茅ヶ崎で、年齢は55歳の男性。
溺死だった。
沖合で浮いている何かを発見した漁師が近づくと、それは人間だった。
急いで漁師は通報したが、発見時すでに死亡しており、小綺麗なスーツから身分証明書が出てきた。
相模原市内のスーパーを統括するエリアマネージャー。
茅ヶ崎のマンションに一人暮らしで妻子もいない。

3件目は、都内在住の30代男性。
花の仕入業者で、死因は頭部挫傷。
埼玉県と東京都の県境の山の中に埋められているのを、犬と散歩中の地元民が発見した。
だが、死後約半年は経っているらしく、白骨化した遺体から検出された中で事件性のあるものは何もなかった。
誰かに殴られたにしろ自殺にしろ、では誰が埋めたのか。そして奇妙な偶然か、この山は半年前に車の事故で50代の夫婦が亡くなった現場から近かった。
この夫婦こそ、福雪茜の両親だった。

剛田は、もう少しで事件の真相に辿り着ける気がしていた。

集団自殺の騒ぎから3ヶ月後、ダムで行方をくらました4名が群馬県の沼田市で保護された。

ウィークリーマンションに行方不明の高校生らしき少女が出入りしている、と匿名の通報を受けた。
そこで剛田は群馬県警と共にマンションを張り込み、その日のうちに進展があった。夜の10時を回った頃、ある男性がマンションのロビーから出てきた。
剛田は目を凝らす。
50代前後の背中の丸い男性。

「横街だ・・・」

と思わず声を漏らす。

声をかけると、彼は少し驚いた様子ではあったが、逃げるでもなく暴れるでもなく、こちらからの質問に淡々と答え、残る3名も部屋にいると声を振り絞る。

2部屋借りて男女に分かれて寝泊まりしていたものの、食事はどちらかの部屋で取ることが多かったという。
今日はおそらく横街と白藤の部屋でテレビゲームをしているだろうとのことで、刑事たちを率いて剛田はマンションへ向かう。

そして横街の案内で剛田たちは部屋を訪問。

散々写真等で行方不明者4名の姿は見ていたが、福雪茜は想像よりも若く見え、凛とした鼻筋と切長の瞳が彫刻のように美しかった。

白藤夢人も、かつては借金苦で自殺を決意した若者とは思えぬ精悍な顔つきで、スラっとした長身ではあるものの、丸みの帯びた鼻にぱっちりとした二重の瞳があどけなさを加えている。

積木弥子も寝巻き姿で、怯えた様子もないどころか、

「あーあ。もう終わりかー」

と残念そうに唇を尖らせた。

4名が保護されてから1ヶ月後、ようやく積木弥子にコンタクトを取ることができ、保護者同伴の元、剛田は面会が許された。
学校は退学し、これから通信制の高校へ編入手続きをするとのことだ。

剛田は多美口ダム行方不明事件から何度か訪れた積木家に、弥子がいる状態で上がることがついに叶った。生きた彼女に、ようやく会えたのだ。
そこで弥子は、あの日について覚えている範囲でしっかりと答えてくれた。

「いい?みんな、手を繋いだ?」

真っ暗闇の山を徒歩でくだるのは、少し勇気がいった。
怖がる弥子の手を、茜がそっと握ってくれた。

「ほら、白藤くん。あんたも手を繋いで」
「おばさん仕切んなよ」

夢人がブツブツ言いながら茜の手を握る。

「はあ?別に仕切ってなんかないわよ」
「ねえ、もういいから。早くしようよ」

小競り合いをする夢人と茜の間に弥子が割って入り、結局茜の空いた手は正がもった。

「悪いね、こんなおじさんと手なんて繋ぐことに」

という正に、

「私、お父さんいないから。今ちょっと嬉しいかも」

と茜が照れ臭そうに笑う。
それが正にも伝わり、彼も少し照れ笑いを浮かべ、山の向こうを見て誤魔化す。

「もうすぐ朝が来てしまうね。なるべく急ごう」

そうして、山を徒歩で超え、朝方にコンビニのATMで弥子以外の3名が自らの現金を全額おろし、4人で家族のように生活していたそうだ。

奇妙な共同生活は、群馬のウィークリーマンションで送られていた。住民票も身分証明書もいらない、現金で前払いであれば誰でも住めるマンションだった。

弥子はまるで遠い昔を懐かしむように、

「4人での生活は楽しかったです。何も考えなくてよかった。毎日好きな本を読んで、好きなご飯を食べて、ゲームも人生で初めてやりました。夢人くんがタブレットで漫画たくさん持ってて、それも全部読んじゃいました。徹夜して、昼寝して、そんな生活を続けていくうちに、美優のことをしっかりと考えようと思ったんです」

と教えてくれた。

加藤美優の両親と積木家で話し合いはすでに終了しているようだ。
民事でのことなのでこちらの件に警察は介入していない。

剛田は自身が立てた仮説を弥子に話してみることにした。

「はい。確かにあの人たちは、私のブログを見てあのダムに来てくれました」

と、弥子は思ったよりもあっさりと3人について話してくれた。

「私を絶望から救うことで自分たちの生きている意味を見つけたい、自己満に付き合ってくれ」
「3人がそう言っていたんだね」
「はい」

という弥子の顔はキラキラしていて、一度は自殺を決意した人間とはとても思えなかった。いったい、自殺願望者同士での共同生活の中で、何が彼女を変えたのだろうか。

「3人ともすごくつらそうで、それぞれ悩みを抱えてて。でも、絶対に不幸比べなんてしなかった」

少し俯き、過去の回想をしているらしい少女は、ぎゅっと唇を結ぶ。

「では、3名は最後に君になんて言ったのかな」

剛田の質問に、弥子はパッと顔を上げる。その表情は、これから起こる、例えば観たことない映画の結末を待ち望んでいるようにも見えた。

「生まれ変わる、って言ってました」



ウィークリーマンションの一室。

朝食と夕食はいつも4人で取っていた。一人暮らしの茜と夢人が炊事は率先し、弥子は料理を習いながら洗濯を担当し、正は掃除、といった具合に、4人で家事を分担しながら生活していた。

あのダムでの出会いから3ヶ月間、ワイドショーに流れる自分たちの集団自殺はやがて4名の行方不明事件として扱われたものの、そのセンセーショナルな事件直後に立て続けに報道された3件の不審死が世間を賑わせた。
とりわけ、そのうちの1件は事故死と当初報道されたものの、遺体の発見から1ヶ月後、事故死ではなく他殺の可能性が出てきたとどのニュース番組でも報道。

普段ニュースを見なかった弥子は、大人に囲まれて過ごすことで朝や夕方のワイドショーをよく目にするようになった。

そこで初めて、茅ヶ崎で遺体が発見された当日、自分もその場にいたことを思い出す。

「え、待って。この茅ヶ崎の事件、私も当日この近くにいたんだけど」
「そうなの?」
「うん。友達と会う約束してて」
「えー、怖。意外と身近なところに事件って潜んでるから、気をつけないと」
「あはは。まさに私たちのことも事件扱いされてるけどね」
「確かに。人のこと言えないってやつ?」

3件の不審死と4人の行方不明事件は関連があると報道されているが、警察はいずれも関連性は捜査中と説明し続け、そうして新たな事件が次々に報道されていく。
こうして、自分たちの事件は少しずつメディアから消えていった。
捜索され続ける立場でありながらも、弥子は奇妙な大人たちに囲まれ、3ヶ月間の生活にピリオドを打った。



マンションに行方不明者がいると通報のあった前日のこと。

「正さん。シャツのボタン見つかった?」

ゴミをまとめる茜のリビングからの声に、正は寝室からいそいそと出てくる。

「あの日履いていたズボンの後ろポケットに入っていたよ。これがないと意味がないからね」

小さなボタンをぎゅっと握り、正は得意げに笑っている。

「自らの罪を認めるための証拠を探すなんて、生真面目だよなあ」

と夢人が感心しながらジャージを羽織る。

「私は罪を悔い改め、ゼロから生きるよ」

正がボタンを大事そうにハンカチに包む。

「これで、私も生まれ変われたらいいのだが」

積木弥子は保護されたが、残る大人3名は保護ではなく、逮捕状が出た。
未成年誘拐及び監禁だ。
だが、それとは別件で、3名にはそれぞれ取調べが行われることになった。
いずれも3件の不審死についてだ。

「それで、あなたは目の前で心臓を押さえる兄が亡くなるまで、見届けたというわけですね」

「はい。最初は演技かと思いました。この期に及んでふざけんな、って怒りもありました」

「そして動かなくなった彼を見て、それが演技ではないと」

「そうです」

「なぜ、そのままにしたんですか?救急車を呼ぶこともできたはず」

「びっくりしてしまって。急に苦しみ出すから。立ちすくんでいたらそのまま床に倒れたので」

「心筋梗塞というのは、心臓発作や心臓麻痺とは違います。1時間くらい苦しむ場合が多いんですよ。その間、あなたはずっと立ちすくんでその様子を見ていた?」

「だから、演技だと思ったんですよ」

「渾身の演技ですね。アカデミー賞ものかもしれない」

「あのね刑事さん、もうこの際だからぶっちゃけますけど。俺は会ったこともない人間から借金を押し付けられたんですよ」

「彼が息絶えるのを、見届けたことを認めますね?」

「はいはい、認めますよ」

「お兄さんと会ったのは、あの日が初めてですか?」

「まさか。しつこく会いにきました。俺が勤めてた会社も調べ上げて脅してきたんすよ、あの男」

「では、そんなお兄さんの家まで訪ねた理由は?」

「それももう調べてるんじゃないすか?PCの履歴に残ってたでしょ」

「そうですね。海外のサイトを経由してヒ素を購入していることがわかりました」

「けど、使ってはないですよ」

「ええ、なぜなら使う前にお兄さんが心筋梗塞を起こしたから」

「これ、俺は何かの罪に問われるんですか?」

「今のところは、殺人未遂でも立件は難しいでしょうね」

「でしょ?だってヒ素は買っただけ。使ってない」

「亡くなったお兄さんをベッドに寝かせたのは?」

「だから!それも全部わかってる上で聞いてるんすか!?趣味わる」

「失礼しました。しっかりと事実と照らし合わせていこうと思いまして。お兄さんのお薬を見て、あなたはお兄さんが1型糖尿病を患っていたことを知ったんですね」

「ええそうですよ」

「そして、お兄さんの抱えた借金が、両親の治療費だったことを知った。ろくな仕事に就いていなかったお兄さんが治療費をかき集められるわけはなく、仕方なく闇金から治療費を工面したものの、その甲斐虚しく、ご両親は亡くなった」

「自業自得じゃないですか。ろくな仕事就いてなかったんだから」

「持病のせいで、お兄さんも相当苦労されていたようです。それをあなたは察した。救急車を手配しなかった自分を責めた。せめてもの弔いとして、あなたはお兄さんをベッドに寝かせた。そして少しでも早く発見してもらおうと、玄関の扉を開けたまま部屋を出た」

「そうっすね。おっしゃる通りです」

「それで、罪悪感から自分も死のうと?」

「ええ、そんなところです」

「本当は、積木弥子を道連れにしようと考えたのではないですか?」

「何でそうなるんですか」

「あなたのスマホやPCの履歴、調べさせてもらいました。自殺に見せかける方法や女子高生の好む流行り物など、まるで積木さんと無理心中しようとしているような履歴がわんさか出てきましたよ」

「言いがかりもいいところですよ。こじつけじゃないですか、そんなもの」

「ヒ素は、あなたの部屋からは見つからなかった。あなたが持っていったと、我々は判断しました」

「さあ、どうですかね」

「積木さんのSNSアカウント、あなたフォローしていましたね?親友との共同アカウントです」

「プリクラの写真が可愛かったんでフォローしてたんですよ。え、高校生をフォローしてるだけでも罪になるんすか?」

「あなたはまず、SNSで積木さんと加藤美優さんの関係性を知った。親友だというね。そして加藤さんの自殺を、そのSNSで知ったんです。加藤さんのクラスメイトたちから『美優はあんたが殺した』『人殺し』『お前が死ね』などいう誹謗中傷のメッセージが、DMではなく外部からも簡単に覗けるように届いていた」

「それが事件とどう関係してるんです?」

「あなたは、SNSでダンマリを決め込む積木弥子を炙り出してやろうと決意し、ネットを探し回ったんじゃありませんか?クラスメイトたちのおかげで、フルネームはすでにわかっていた。例えば、インターネットの検索エンジンにアルファベットで”積木弥子”なんて直接入力してみたり」

「はあ、それも調べ上げてんのかよ」

「そして積木弥子のブログを見つけた。まるで懺悔のような内容に、あなたはそのブログが積木弥子本人であると確信。彼女は毎日ブログを更新していたのに、突然ブログは更新が止まった。そこで読書感想文をヒントに多美口ダムへ向かった」

「じゃあ、なんで俺も積木さんも生きてるんですか?」

「彼女がいつ現れるか、毎晩バイクでダムに通っていたそうですね」

「ええ。自殺を止めたかったんで」

「こういうことは考えられませんか?一緒に死のうと彼女を探していたら、思わぬ人物に出くわしてしまった」

「はあ?」

「積木弥子と2人で死ぬつもりが、横街さんと福雪さんという邪魔が入った」

「意味わかんねえ。証拠はあるんすか?俺が殺そうとしたっていう」

「あなたの鞄から、ヒ素が出てきました。共同生活をしながら、どうにか死のうと機会を窺っていたのでは?」

「・・・・・・」

「違いますか?白藤夢人さん」

「彼はロードバイクが趣味で、休日はよく1人で山にサイクリングに行ってました」

「あの日も、ですね」

「ええ。奥多摩に行くと言っていました。その日は私の仕事が早く終わって、まだ18時くらいだったかしら。彼は帰ってなかった。寄り道でもしてるのかと思ったけど、GPSが昼から位置変わってなかったんです」

「GPSというのは、彼の」

「ええ。お互いに入れてました。場所をすぐに把握できるように」

「なるほど。それで?」

「流石にちょっと心配で、GPSを頼りに奥多摩へ向かいました」

「そして彼を見つけた」

「そうよ。彼のロードバイクが道端に転がってた。そして、走り去る車の後ろ姿を見ました」

「あなたが必死で山の中を降ったら、恋人はもう土の中にいた。そうですね」

「あの車が彼を落として埋めた。私の中でそんな仮説が立ちました」

「そしてまさにその翌日の早朝、ご両親の訃報を聞いた」

「そうよ。親戚からあの人たちが奥多摩で、しかも車の事故で死んだって聞いた時、死ぬほど笑えたわ」

「あなたの中の仮説が確固たるものになった」

「そ」

「なぜすぐにあの場で、恋人の通報をしなかったんです」

「どうしたらいいか分からなかったの。気がついたら家にいたわ」

「あなたの恋人、随分と女性関係が派手だったようですが」

「何が言いたいわけ?」

「あなたの遺書は亡くなった恋人を慈しむような内容だった。”彼のあとを追って死にます”、そう記していました。にも関わらず、当の恋人はあなたにとって良い存在ではなかった。自殺理由に矛盾が生じるんですよ」

「はいはい。全部わかってるわけね。そうよ。あいつがね、若い女にうつつを抜かしていたからよ」

「というと」

「もうずっと、付き合った当初から。マッチングアプリで、女子高生やら女子大生やらと連絡を取り合っていました」

「浮気をしていたと」

「女癖悪かったから、あの人」

「それが許せなかったんですね」

「ざまあみろ、って思ったわ」

「周りには彼との関係も話していなかったそうですね」

「ええ。あいつの両親にもね。このまま彼と連絡取れなくなれば、そのうち行方不明届出されるだろうし、そしたら2人で住んでた家も調べられちゃうでしょ。だからすぐに彼との家を出て、新しくマンションを借りたわ」

「あなた、積木弥子さんを憎んでいたのではありませんか?」

「は?何でそうなるのよ」

「積木弥子さんとその親友、加藤美優さんをご存知ですね」

「ええ、もちろん」

「2人の共有アカウントに、しつこくDMを送っている男性がいました」

「それが何か」

「最初のDMは『高校生らしい青春でなにより』から始まり、自分自身も学生であるかのように振る舞っていました。気を許した積木弥子と加藤美優からも何度か返事を出していたようですが、基本的には一方的にこの男性からのメッセージが残されていた」

「気持ち悪いわね、その男」

「あなたの恋人だとわかりました。あなたもこのDMを見て、積木弥子に接触しようとしたのではありませんか?」

「違うわ。たまたまあの子のブログを見つけて、あの子の生きる希望を取り戻したかっただけ」

「そうでしょうか。あなたは仕事を辞め、ブログを見つけてから毎晩ダムに通った」

「そうよ。彼が死んですぐに妊娠がわかって、吐き気がしたわ。あんなクズ男の子供なんて絶対に産みたくなかった。でもね、中絶してとても後悔したの。だから死のうと思った。でもせめて、若い子には希望を持って欲しかったの」

「では、なぜ彼の家を出たのに、3万円のアパートはすぐに引き払わなかったんですか?両親は亡くなった。カモフラージュももう必要なくなるでしょう」

「物置用にでもしようと思ったのよ」

「こちらのアパート調べましたが、物置用と言う割には食器一枚も置いていないんですよ」

「これから入れようと思ってたの」

「積木弥子を言いくるめ、自分の元に居候させる。例えばその3万円のアパートに。そして信頼させる。気の緩んだ彼女を手にかける。そういった計画だったのでは?」

「飛躍しすぎた推理よ。探偵小説の読みすぎでは?」

「そうでしょうか。あなたはダムへ向かった前日、アパート宛に寝具一式を宅配予定だったみたいですが」

「だから、倉庫代わりなんだから当たり前でしょ」

「あなたはすでに、恋人と住んでいた新宿のマンションから四谷のマンションに移り住んでいた。新品の寝具一式をわざわざ立川の3万円アパートに?」

「・・・・・・」

「一体、どなた用の布団でしょうか。福雪茜さん」

「横街さん、あなたには黙秘権があります」

「いえ、全てお話しします」

「積木さんの件と」

「茅ヶ崎で見つかった男性の件ですね」

「ええ。溺死体で発見された、相模原のスーパーの社員Sについてです」

「はい。Sを殺したのは私です」

「本当に?あなたが殺した?」

「そうです。私が彼を漁港から海に突き落としたんです」

「いつ頃のことでしょうか」

「この前もお話しした通りです。7月の15日です。夜の11時頃でした」

「彼と会っていたんですか?」

「そうです。もうお調べでしょうが、私の妻とあの男は不倫関係にありました」

「ええ。ご子息も、その」

「はい。あの男の子供です。妻と息子には黙って、DNA鑑定もしました」

「その結果、自分の息子ではないと」

「そして息子の20歳の誕生日、あの男は突然現れました」

「そこで、あなたも奥さんの不倫を知ったんですね」

「家族を滅茶苦茶にする気だったんですよ、あの男は」

「そしてあなたも彼に接触しようとした」

「息子に渡したというキャッシュカードを突き返したやるつもりでした。ふざけるな、と」

「彼の居所を知り、会いに行ったんですね」

「そうです。わざわざ自分のマンションに呼び付けてきて。部屋の中は、息子が幼い頃に画用紙に描いた落書きや粘度もあり、私が知らないコンクールの賞状まで置いてあった」

「それで言い合いになったと?」

「はい。いや、あの、そこから漁港に移動して」
「漁港に?なぜです」

「あの、あんな部屋に居たくなかったので。私から、外に誘い出したんです」

「彼は大人しくその誘いに乗ったんですか」

「そうです。それで私が埠頭かどこかはないかと。そうしたら漁港に向かって」

「彼の自宅マンションから茅ヶ崎の漁港まではわずか徒歩3分です。徒歩3分の道のりを、車で向かわれたんですか?」

「それは、あの男が、車で行くってきかなかったので」

「横街さん。本当のことを全てお話ししてくれるのでは?」

「ですから、今お話ししている通りですね、」

「被害者のスマホに、マッチングアプリが入っていました」

「そ、それがどうかしたんですか」

「被害者は、マッチングした相手に会いに行く途中だった。あなたは茅ヶ崎のマンションに向かう途中、被害者に遭遇したのではないでしょうか」

「あ、そうです。思い出しました。あの日、あの男を見つけて追いかけたんです。怒りのあまり言い合いになってしまい、そしてカッとなって」

「なるほど。突き落としたと」

「はい。そうですそうです。思い出しました」

「あなたは、当日に漁港付近に停まっていた被害者の車と、その後連日報道されたニュースに注意しすぎたんです」

「ど、どういうことですか」

「被害者は漁港になど行っていません」

「な、そんな、そんなはずはありません」

「確かに、ご遺体は朝方に漁師が発見しました。ですが、彼はマッチング相手の女性とビーチで待ち合わせしていたんです」

「ビーチ?なんでまた」

「観光スポットのビーチがあります。待ち合わせは夕方の5時。女性を口説くのに車は必須だと考えたSは、近場であっても車で向かった。ただあそこのビーチは有名な場所です。駐車場は満車で、仕方なく被害者は漁港の駐車場に車を停めた」

「そうだとしても、私があの男を殺していない証拠はないでしょう」

「はい。殺していない証拠もなければ、殺した証拠もない」

「それならば」

「事故、あるいは”別の被疑者”がいると考えた方が話は早い」

「ちょっと待ってください。別のとは」

「たとえば、マッチングアプリで出会った女性」

「事故という可能性もありますよね?」

「普段から立ち入り禁止の漁港です。わざわざ立ち入る理由もない。死因は溺死。遺体からはアルコールも検知されていないので、酔っ払ってどこかから足を踏み外した可能性も低い。かといって、もちろんビーチから泳いでいったとも考えられない」

「事故という線は薄いと?」

「はい。なので”別の被疑者”の線で調べていきました。まずは1人目。アプリに登録されていたのは20代後半の女性で、横浜市内の看護師でした」

「その人が?」

「ええ。いるはずのない人間ですが」

「いるはずのない?どういうことですか」

「この女性は、ある高校生たちが作り上げた虚構の人物です」

「つまり、高校生がでっち上げた出鱈目な人間と、あの男はマッチングしたということですか?」

「そういうことです。そしてこのある高校生たちというのは、積木弥子を嵌めようとした高校生数名です」

「そ、そんな・・・じゃああの子は・・・あの子はなぜ・・・」

「あなたは今日までずっと、勘違いしていた。積木弥子が自らあの男に会いに行ったと」

「弥子ちゃんは・・・嵌められた」

「はい。亡くなった加藤美優の友人たちです。よく2人のアカウントにDMを送っていた友人数名が、積木弥子を騙し、ビーチ付近に呼び出した」

「あの男と引き合わせるために、ですね・・・」

「そういうことです。高校生の考えそうなことですかね。加藤美優を失った悲しみを、積木弥子にぶつけるしかなかった」

「可哀想な子たちだ」

「積木さんは呼び出され、来るはずのない友人たちを待ち続けていたんですよ」

「それであの日、ずっとあそこにいたのか・・・」

「話を戻しましょう。あの日、あなたは被害者の車を漁港の駐車場で発見した」

「そうです。息子から、あの男が乗っている車を聞いておきました。息子は車好きなので、間違えるはずがない」

「ええ。おっしゃる通り、漁港付近に駐車されていたのは被害者の車でした」

「それならばあの男は一体、どこで海に落ちたというんですか」

「海、ですか」

「そうですよ。漁港でもなければ、あの近辺に海に飛び込む場所なんてないはずです」

「横街さん、先ほど申し上げたでしょう。ニュースに注意を引かれすぎです。確かに被害者は、漁師が海に浮かんでいるところを発見されました。ですが、溺死した場所は海ではありません」

「・・・・・・は?どういうことですか?」

「被害者は、自宅の浴槽で亡くなっていました」

「そんな、ちょっと待ってください。浴槽で?それがなぜ海に」

「ええ。誰かが浴槽でSを殺害し、海へ運んだことになりますね」

「わざわざ海に?一体誰がそんなことを」

「私が考える2人目の容疑者です」

「だ、誰なんです!?」

「奥さんです」

「・・・・・・は?」

「あなたの奥さんですよ、横街さん」



剛田は多美口ダム行方不明事件の後、足繁く4名の家を訪れた。
その中で、横街正の妻はこんな話をしていた。

「夜の22時過ぎまで主人が帰ってこなかったので交番に行った」

そして横街正は取調べ初日、自らの罪を全面的に認めた。

「自分があの男を殺した」

と。
一通りの調書を読み、剛田は茅ヶ崎での事件当日の時間について気になることがあった。

被害者男性は発見からすぐに法医解剖医によって解剖され、体内からは茅ヶ崎の海の成分が検出された。
だが、まだ調べ切っていないところがあった。
有給明けの山野を早速呼び出し、被害者宅のマンションの防犯カメラを今一度調べるよう伝える。
そして鑑識に被害者宅の浴槽を再度調べてもらう。

その間に、剛田は相模原の横街の自宅へ向かう。
いつも通り、顔色の優れない女性が剛田を出迎える。

「何度もすいません。少しお尋ねしたいことがありまして」

玄関で済むことですから、と剛田は付け加え、横街の妻に尋ねた。

「旦那さんが、例の茅ヶ崎の溺死事件を全面自供しています。ただ、そうなるとご主人は事件当日に夜の11時過ぎまで帰宅しなかったことになります」

剛田は疑問だった。

横街が行方をくらましたその日のうちに行方不明届を出した家族が、この茅ヶ崎での事件の日には交番に駆け込むことはなかった。

「なぜこの日だけ、心配にならなかったのでしょうか」
「あの、主人からもともと出かけると言われていたので」
「ほう。どちらへ?」
「さあ。会社のか、専門学校での飲み会か・・・すいません。あまり真面目に聞いていなかったもので」
「その日、奥様と息子さんはご自宅に?」
「ええ、まあ」

なんとも歯切れ悪かった。

調書には、
”被疑者:7月15日の土曜日、夜の11時に被害者男性と漁港で言い合いになる”
と記入されている。
夜が遅くなることのない夫が22時まで帰ってこないだけで交番に駆け込むような嫁が、この土曜日にはなぜ通報どころか、夫に連絡もしなかったのだろうか。

そして鑑識から報告があった。

「被害者の自宅から、まあ主に脱衣所か。被害者以外の指紋がいくつか見つかった。それと毛髪も」

続いて山野からも連絡があった。

「先輩!一致しました!」

剛田は確信した。
そして自身で2回目の取り調べに挑んだのだった。

「横街さん。被害者の自宅の浴槽から、茅ヶ崎の海の成分が検出されました。つまり、犯人が前もって何らかの方法で海水を被害者宅に運び、そして浴槽で海水によって殺害した」

「随分と用意周到な犯人ですね」

「自分の妻にそんなことは不可能だと」

「第一、女性1人が男を抱えて海に捨てるなんて、そんなことできますかね」

「協力者がいたとしたらどうでしょう」

「共犯者がいたと」

「ええ。海水を持ち込むことを提案したのは、この人物だと考えました」

「被害者です」

「言っている意味が」

「被害者男性が奥さんに、あなたを殺害しようと計画を持ち出した」

「私を殺す・・・?」

「そうです。今まで陰ながら自分の血を分けた子供を見守ってきた。だが、いざ目の前にするとやはり物足りず、不倫相手はある提案をしてきた。夫を事故に見せかけて殺害し、自分と一緒に住もうと」

「そんな」

「そして次。奥さんはかなり狼狽えた。だが相手がすでに茅ヶ崎のマンションに大量の海水まで用意したことで、不倫相手を逆に殺害してしまおうと思い至った。それに同意し、手を貸した人物がいます。この人物こそが、本来の意味での共犯者ですね」

「誰です。妻の友人ですか?親戚?彼女は一人っ子ですよ」

「いるじゃないですか。あなたの一番近くに。優秀で、冷静な、若い男性」

「・・・・・・ちょっと待ってください!さすがにそれは」

「息子さん、全てお話ししてくれました」

「そんな、息子が?妻が、なぜ」

「息子にも自分の正体を打ち明けたと不倫相手から言われた奥さんは、もちろんあなたに相談はできない。だから息子に全て話すことにした。不倫相手が、自分の夫を殺そうとしていることを。そして、奥さんは不倫相手を殺害することを決意した。あなたが殺される前に、殺してしまおうと」

「・・・・・・」

「海水を持ち込んで溺死に見せかけようと提案してきたのは不倫相手です。そして、この不倫相手を殺害した一連の事件に関わったのが、あなたの奥さんと、そして息子さんです」

「そんなばかなことが・・・」

「不審死の直後、我々が被害者宅の現場検証に入った際、部屋の中には子供の存在を匂わせるものは何もなかった。お二人が持ち去り、捨てたんです」

「どうして・・・そんな・・・え?妻が・・・あの子が・・・」

「あなたはSに会ったこともない。キャッシュカードの残高を知ったのは、Sが死んでからですね」

「息子が、大量のプラモデルを買っていて。アルバイトでそんなに稼げるものかと、試しにキャッシュカードを調べました」

「残高はゼロだった」

「はい・・・・・」

「ちなみにあなたの奥様と息子さんは、すでにこちらで身柄を確保しています。あなたが知ることになるのも時間の問題だと思い、お話しさせていただきました」

7月15日の土曜日、17時。

相模原のスーパーのエリアマネージャーSは、マッチングアプリ内で自身を30代の経営者と偽り、いるはずのない20代の女性看護師と待ち合わせをしていた。
メールでやり取りをしていたので、顔や声はわからない。だが、相手から、小花柄の膝丈ワンピースに白いショルダーバッグを持って、ビーチの展望デッキ付近にいるとのことだった。
待ち合わせ場所へ向かうと、そこにはどう見ても10代くらいの少女が立っていた。
メールをしてみる。

”今着きました。手を上げてくれますか?”

すると、返信がすぐに来た。

”ちょっと仕事で肩を痛めてしまって。小花柄のワンピース着てます!”

”小花柄のワンピースを着た女性が複数名います。何色のワンピースですか?”

周りには小花柄のワンピースを着た女性はいない。その少女だけだ。
美人局の類だろうか、騙されていることをそれとなく察知したSは、さすがに少女に手を出す趣味はなかったので、うまく言いくるめてマッチングを解消しようとした。

だがSは騙されたことに腹を立てていた。ここでこの少女に掴みかかっても、捕まるのは自分だ。

だがここで引くのは自分のプライドが許さなかった。相手の鼻をへし折ってやりたかった。

Sは少女に話しかける。

「すいません、知り合いのお嬢さんに似ていて。イノワ商事の酒井さんの娘さんでは?」

少女はポカンとしていた。

「失礼。あまりにも似ていたもので。ところで、あまり大人を舐めるなよ。お前みたいなガキでも人生やり直せる保証はないからな」

周りには聞こえないよう、小声で話す。少女は変わらず男を訝しげに見上げていた。

そんな折、横街の妻から連絡が入った。

”例の件、協力するからパート終わり次第向かいます”

Sは歓喜した。アプリで女を漁って寂しさを紛らわせる日々も、これで終わる。
自分が愛した女と、愛した女が産んだ子供と、少しだけ遅い家族での生活を続けるのだ。そのためには、邪魔者を消さなければならない。仕方のない犠牲だ。

”わかった。部屋で待ってる”

と返信し、漁港に停めていた駐車場から車を急いで発進させた。
Sはその4時間後、自分の考案した方法により浴槽で殺害された。

「奥さんはあの日、出かけていたんですね」

剛田の言葉に、横街は力なく頷く。

「ええ。パート先の同僚と飲みに行くと、電車で出かけました」

「だから、あなたが夜遅くまで帰ってこなくとも連絡を入れることはなかった」

横街の妻は、同僚と飲みに行くと旦那には数日前から言っておき、7月15日のあの日、不倫相手を殺害しようと茅ヶ崎へ電車で向かった。
息子は一足先に、大学のサークルの集まりがあると父には予め告げておき、大学の講義終わりにそのまま茅ヶ崎へと向かっていた。

そんなこととはつゆ知らず、横街もまた茅ヶ崎へひとり男を探しに出かけたのだった。

「そして息子を引き連れ、不倫相手の元を訪れた。殺害後、男の車を息子が運転し、ヘッドランドのテトラポットから海へ遺体を流した」

「ヘッドランド・・・」

「見晴らしはいいですが、毎年海難事故も多発している場所です。事故に見せかけやすいと踏んだのでしょう」

「では私が漁港で見かけた時から、車は自宅マンションへ移動していたんですね・・・」

「そういうことです。あなたはそもそも、被害者の自宅マンションすらご存知なかった。知っているのは奥さんのスマホから盗み見た茅ヶ崎の海沿いに住んでいることと、Sの顔写真だけ。だから付近を探し続けるしかなかった」

俯く正だったが、ふと顔を上げて剛田に縋るような声で尋ねる。

「そもそも、どうやって妻と息子が犯人だと・・・?証拠は何かあるんでしょうか・・・」

剛田はファイルから2枚の紙を取り出し、横街に見せる。

「1枚目、被害者宅のマンションロビーの防犯カメラです。まず1人目のパーカーを着た男性、フードを被っています。そして2人目の帽子を被った小柄な女性。どちらも顔は見えません。ただ、歩容鑑定なら人物を識別できるんですよ」

「ほようかんてい・・・」

力なく呟く横街に、剛田は紙に印刷された写真を指差しながら丁寧に説明する。

「いわゆる歩き方ですね。2,3歩程あれば、人物を特定するのは容易なんですよ」

横街の妻と息子の歩き方を、剛田は人知れず動画で残していた。
そして山野は防犯カメラに映る顔の判別がつかない人物たちを洗い出す。
剛田が残していた動画と防犯カメラを照らし合わせ、見事に横街の妻と息子が一致したのだ。
項垂れる横街に、剛田は同情の目を向けるが、まだ話しておきたいことは幾つかある。



「積木さんの話に移りましょうか。彼女を見つけたのも、その時ですね」

「ええ。漁港に、Sの車が停まっていました。そして車からビーチに歩いていくのを追いかけたんです」

「そして、Sが積木さんに話しかけているところを見かけたんですね?」

「はい」

「どちらで?」

「ビーチの展望デッキです」

「Sが離れた後、あなたはそれを追いかけたんですね」

「ええ、結局見失ってしまいましたが」

「そして積木弥子さんに、Sについて聞こうと戻ったんですね?」

「はい。再び展望デッキに戻りました」

「だが、結局少女も見つからなかったというわけですね」

「ええ、そしてビーチを何往復かするうち、その時の少女が階段に座り込んでいるのを見かけました」

「それが、積木弥子さんだった」

「はい。ですがこんな中年男が声をかけたらアウトだと思い、どうしようか遠巻きに眺めていました」

「そうこうしているうちに、彼女は腰を上げた」

「はい。22時半頃でしょうか。夜も遅かったので無事に帰れたか不安ではありましたが、彼女が座っていたところに何かあるのか、興味本位で近づいてみました」

「そして、ボタンを見つけた」

「はい。彼女が着ていたワンピースと同じ柄のボタンが落ちていました」

「大事に今まで持っていたのは?」

「弥子ちゃんがあの男となんらかのトラブルを起こして死なせてしまったのかもしれないと、勝手に勘違いしたんです」

「なぜそのような勘違いを?」

「ブログです」

「積木さんの」

「はい。7月15日の夜、ブログが更新されていました。海に行ったと。ピンクのワンピースの写真を添えて」

「こちらの写真ですね?」

「ええ、はいそうです。写真を最初見ても、なんの写真だかわかりませんでした」

「かなりアップで模様だけが映るように撮られていますからね」

「綺麗な花柄が印象的だったので、すぐにワンピースの写真だと気づきました。ブログには朝焼けが見られないと書いてあったので、太平洋側の海、もしかしてあの茅ヶ崎のビーチにいた少女ではないかと」

「そして7月20日の報道を目にした」

「はい。まさかSが溺死したなんて、そんな都合のいい話があるわけはないと思ったんですが」

「その後の積木さんのブログを見て、彼女の犯行だと勘違いしたんですね」

「7月20日のブログには『私が殺した』なんて書かれていましたから・・・」

「あなたは積木さんと加藤美優さんの共同SNSアカウントを知らず、このブログが彼女への贖罪ブログだと知らなかった」

「はい。Sを殺してしまったことへの懺悔だとばかり」

「ブログの存在は、もっと以前から知っていたんですか?」

「いえ、ほとんど直前です。6月末、私はうつ病と診断されました。妻の不倫が原因です。だが家族には黙っていた。仕事にも行っていました。ただ、スマホで自殺の方法を模索していたんです。楽に死ねる方法はないかと」

「そして、積木弥子さんのブログがヒットした」

「はい。”楽に死ねる””ダム”などと調べると、彼女のブログが出てきました。趣味は読書で、椎野楓太郎が好きと。渋い趣味だなと興味本位で覗くと、読書感想文が貼られていました」

「彼女の身代わりになろうとしたんですね」

「どん底にもなれない、暗闇の中で行き止まっていたままの私の人生は、Sの死によって解放された気がした。積木さんには感謝しても仕切れない。だから、彼女が罪の意識を感じることなんて何もないと思った。だからダムへ行って、私の犯行にすればいいと伝えようとした。遺書には妻と息子に『お前たちのせいで私は死ぬ』と、そう伝えてやりたかった」

「Sについての犯行を隠したのも、これは真実を知った自分の仕業だと、家族に対しての仕打ちだと、奥さんと息子さんにだけわかるようにしたわけですか」

「そうです。それがまさか親友への贖罪のための自殺だとは」

「ダムへ行き、白藤夢人と福雪茜と合流し、積木弥子を見つけた。そして4名で自殺理由を打ち明け合う。そこで、積木弥子さんの本当の自殺理由を知ったわけですね」

「すごいですね、刑事さん。まるでその場にいたかのようです」

「推理小説の読みすぎでしょうかね」



「では、その高校生たちも」

警察署の自販機でコーヒーを啜る山野が、隣のベンチに腰掛ける剛田に険しい顔を向けた。

「ああ、自分たちが騙した男が死んでいるとは、思ってもみないだろうな」

「彼女たちは相手が30代だと思っていますからね。55歳の男が死んだところで、気にもかけない」

剛田は多美口ダム行方不明事件を追っていた際、もちろん積木弥子と加藤美優の関連性を探すため、加藤美優の友人たちにも事情を聞きに行った。
強面な剛田に高校生たちはたじろいだが、隣の若い山野の柔和な笑顔を見てすっかり気を許した様子だった。

「積木さんと面識は?」

彼女たちは口を揃えて『積木さんとは面識がない』と言う。

「加藤美優さんは積木さんにいじめられていたの?」

と尋ねると、

「いじめられてたよ!絶対そう。だっていつも泣きそうな顔してたから。それで遺書を見て、積木さんがいじめてたって確信した」

子供たちは純粋だ。
見たもの、集めた情報を元に、自分たちの感情を決めていく。
それゆえに、間違っていることも正当化してしまおうとする自己防衛が働くこともある。

剛田はコーヒーを一口啜る。

「ただ、積木弥子という罪のない少女を貶めようとしたことに変わりはない」

純粋な子供だからこそ、今のうちに正しい道をなるべく提示していかなければならない。導くのではない。正しいことは何か、自分自身で考えていく力を身につけなければならない。

「無論、Sの話は伏せた上で、この複数名には事情を聞いている。立派な詐称罪だからな」



「彼女を説得して、君に救われた人間がここにいると、伝えたかった。ただ一番は、彼女がこのダムに来ないことを祈っていましたが」

「だが、彼女は来てしまった」

剛田の言葉に、横街は力なく笑う。

「ええ。しかも、彼女を殺そうとしている人たちも集まってしまった」

「それが、白藤と福雪だったわけですね」

「はい。最初は2人とも遺書まで用意していたので、本当に偶然ここで自殺希望者が遭遇してしまったと思っていました」

「どこで2人の殺意に気づいたんですか?」

「夢人君については、タブレットの検索履歴です。ダムでみんなで輪になって話す中、彼がタブレットを出して、自分もこういう検索をしていたよと見せてきた。彼は私の隣にいたので、思わずタブレットが目に入った。彼が”自殺”と検索窓に打ち込むと、そのまま予測検索で”女子高生””好きなもの””ヒ素”などと出てきた。茜さんと弥子ちゃんは気付いていない様子でした」

「それは穏やかではないですね。では白雪茜については?」

「弥子ちゃんが、亡くなった親友とのSNSアカウントを見せてくれました。それを見た瞬間、茜さんの顔色が変わった気がして。そして明らかに口数が減りました。昔から妻の顔色を窺って生活してきたので、そういった女性の機微に敏感になっていたのかと思います」

「DMは見なかったんでしょうか」

「そうなんです。弥子ちゃんが『こうやってアカウントを見てる人たちから直接連絡来たりもするよ』とDMを見せてくれました」

「福雪茜の様子は?」

「震えていました。ただ、夢人君は女子高生のやり取りに興味津々で、当の弥子ちゃんは『知らない人からも連絡来るから怖いけどね』と、それに思い当たるようなメッセージを探していました」

「なるほど。それで察したと」

「はい。茜さん自ら、高校生らしい青春というようなメッセージを送ってきたアカウントをタップして、それをじっと見ていました」

「福雪茜の恋人は女癖が悪かったそうですから。どんなやりとりをしていたか気になったのでしょう」

「では、私の勘は当たっていたんですね」

「ええ。横街さんが共同生活を提案していただいたおかげで、積木さんは殺されずに済んだ」

「ダムにずっと同じ車が停まっている。この通報したのは、あなたですね。横街さん」

剛田の言葉に、横街は力なく笑う。

「渾身の演技だったんですが。やはりわかってしまいますよね」

近隣住民に聞き込みをすると、ダムの近辺には家どころか畑も田んぼもない。
そもそも真夜中に車や軽トラの往来はない場所だという。

「あなたはまず、白藤と福雪の殺意に気付き、なんとか自分たちを見つけてもらおうとした。隙を見て、あなたは一度車に戻った。例えばそう、遺書を持ってくるフリをして」

「ええ。白藤くんと福雪さんは面識がなかった。2人が共謀して私のいない間に積木さんを手にかける可能性は低い。なので一度車の中で通報しました。ですがいくら待っても警察は来なかった。仕方なく共同生活を提案し、まずはその場を切り抜けることを考えました」

「茅ヶ崎の不審死ですが、他殺の線が浮上し近隣の警察管内は皆そちらで手一杯でした。不審車両に時間を割く余裕がなかった」

剛田は「言い訳ですが」と付け加える。

「その後、ダム管理の施設員が朝方にあなたの車を見て再度通報してくださいました。あなたが車をその場に残してくれたおかげです」

「ええ、咄嗟の判断でした」

「あの場に車が残っていなければ、集団自殺の信憑性も薄くなる。だから遺書を車に置き、あえて徒歩で下山した」

横街は諦めたように、背もたれに体を預け、天を仰ぐ。覚悟を決めたように、大きな深呼吸をする。

「では、積木さんの姿を目撃したと私が通報したのも、もうご存知なのですね」

横街の問いに、剛田は静かに頷く。

「ええ。共同生活をする中で、Sの死が彼女による犯行ではないと知り、積木さんが少しずつ元気を取り戻したことで、彼女を警察に保護してもらおうとした。同時に、白藤と福雪、そして自らを犠牲にし、逮捕される道を選んだ」


事件から3ヶ月が経った。
積木弥子は日課として、朝の通学前に新聞を開き、ニュースを観て、横街正の正体が明かされることを待っていた。

まだ誰も知らない。
白藤夢人と、本を読んでいたという福雪茜ですら、横街正の正体を知らずにいた。

だが弥子は知っていた。
中学生の頃に新聞の端に小さく載っていた顔写真を覚えていたのだ。
冴えない眼鏡をかけた痩せ型のどこにでもいるおじさん。
だが、弥子にとっては誰よりも尊敬する人物だったのだ。
新聞に記された”サラリーマンと二足の草鞋”という見出しと、ぎこちなく微笑むその中年男性の顔を、弥子は脳裏に焼き付けていた。

ダムで横街正と会った瞬間から、弥子はとっくに死ぬつもりなどなくなっていた。目の前に憧れの人物がいる。彼の話をもっと聞いてみたい。
3ヶ月間という短い期間ではあったが、弥子にとってはこれから先の人生の中でも一番を譲れない記憶となった。



『緊急速報です。作家の椎野楓太郎、本名、横街 正が多美口ダムでの行方不明事件に関与しているとして任意で事情を聞くと、先ほど相模原警察署が発表しましたーーーー』





















































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