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仕事人間が産休に入ってはじめにしたこと

こんにちは。

もう、記憶力の衰えが半端ない。保育園のノートに前の日の晩ご飯を書き込もうとして、「昨日、なに食べさせたっけ?」と筆が止まる。すっかり忘れてしまう前に、娘が生まれる前のことを書いておこうと思います。

わたしは、いわゆる仕事人間だった。結婚してからも、夫の理解を得て、仕事街道まっしぐらな感じで走り回っていたから、妊活も仕事の区切りと年齢を考えてギリギリのタイミングになったほど。

幸運にも赤ちゃんを授かり、仕事の引き継ぎを終えて、産休に入ったときの戸惑いは、いまも覚えている。仕事人間が「仕事」から解放されると、染みついていた「目的意識」をどこに向けたらいいのか分からなくなる。まさに「定年後のお父さん」って、こんな感じなんだろうと思った。

はっきり言って、何をすればいいのか分からず、そんな自分に不安を覚えていた。

周りからは、“仕事のこと忘れてゆっくりしてね”とか、“生まれるまで自分だけの時間を楽しんでね”とか、優しい言葉をかけてもらった。わたしも、それを真に受けて、休暇に入ったら何をしようか、赤ちゃんを迎える準備だけじゃなく、自分のためにも何かしようと思いを巡らせるものの、いまいち心踊るものがなかった。

休暇初日。夫を会社へ送り出し、とりあえず里帰りの準備をはじめようとしたとき。ふと、「何をしようか」と考えること自体の必要性を疑った。何をすべきか考えることこそ、仕事で染みついた「目的意識」そのものだ。することがないなら、そのことを受け入れてみよう、そう思った。

何をするか考えるのをやめて窓の外に目をやると、ベランダに明るく日が射していた。その瞬間、やりたいことが見つかった。

『よし、洗濯しよう』。

これまで、洗濯は仕事から帰って夜中にするものだった。日が上って目が覚め、朝ご飯をたべて掃除、洗濯して買物へ。お昼を食べて昼寝して、散歩に出掛けて晩ご飯をつくる。そして、日が沈んだら、お風呂に入って眠る。考えなくても、毎日は過ぎていくし、日々の営みのひとつひとつが「生きる」ことだと気がついた。

その後、結局すぐには仕事モードが抜けきらず、たとえば「保育園リストの作成」みたいなタスクを自分に与えたりしていたのだけど、「することがない」ことへの漠然とした不安は消えた気がした。

とはいえ、何もせずに1日を終えてしまったときの「やっちまった」感は否めない。それは、仕事人間というより、貧乏性なのではないかと薄々勘づいてるっていう、つまらない話です。


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