縁とか運とか、そういう話
こんにちは。
わたしは、特に信心深いわけでもなく、キリスト教の学校で育ったけれど、初詣は神社にいっちゃう感じの日本人にありがちな路線を歩んできた者です。自分が窮地に立たされたり、どうしても叶えたい願いがあれば、神様仏様お代官様にまで手を合わせる煩悩を発揮します。
でも、これまでの人生を振り返ると、「よくもまあ、縁とか運とかに助けられてきたよね」って思う。さすがに、他人と比較したことはないものの、「あんた、神様仏様お代官様にいくらお金積んだの?」ってくらい、人生における縁とか運とかの露出頻度が高いように感じている。
ほんと、ありがたい話です。まじで。
もちろん、すべて思い通りにコトが運ぶわけではなく、縁とか運とかに恵まれなかったこともたくさんある。でも、その結果すらも、たぶん縁とか運とかだったのだと、あとから振り返って思える気がしている。
たとえば、仕事のこと。就職活動をしていた当時は、それこそ真剣なフリをしていたけれど、実は特にやりたいこともなく、周りのみんなの真似をして、「学生の次に属する身分」を探していただけだった。いま思えば、恥ずかしいくらいに、流れに流されていただけの若者。
それでも、なんとか就職できた。
流れついた先で、目標ができたり、壁にぶち当たったり。転職しようとしたら、上司が入院してそれどころではなくなったり。いよいよ辞めようと思ったら、新しい仕事が舞い込んできて楽しくなったり。
要するに、「わたし、これでいいのかな」と立ち止まるたび、次の流れがやってきて、あれよあれよと流されてきたのだ。そこには、きっと自分の意思があったはずだし、自分で選んできた道だという自覚だってある。でも、時には、縁とか運とか、そういうものを大切にしてみるのもアリだと思う。
昨日の帰り、無性に食べたくなった『まるごとバナナ』が、スーパーで半額になっていたことだって、まさに運(ラッキー♪)。ごちそうさまでした。
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