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20年以上ぶりにブリッジした結果

こんにちは。

公園で逆上がりを頑張っている子どもと、それを応援するパパさんがいて、いつか娘にもそんな時がくるのかなぁと想像していたら、意外に早く、そういう時がきました。

みなさま、『ブリッジ』をご存知だろうか。そう、誰が考えたのか知らないけれど、仰向けに寝転がって、両手両足で体を支え、お腹を持ち上げて橋みたいな形になるやつ。

小学校の頃なんか組体操のひとつの技になってた気がするし、中学の頃には調子にのって、立った状態から後ろに反り下がって手をつく技を覚えたり、それがまだまだ出来るぜ!って高校の部活の合間にも自慢しあったりしていた記憶がある。

その記憶が不幸のはじまり。夫もわたしも、おそらく、20年以上はブリッジの現役から遠ざかっている。けれど、記憶だけが鮮明であるからこそ、自分が思う以上に体が衰えていることを知らない。

家で娘と戯れていたら、たまたまブリッジみたいな格好になった。それをみて、夫が「娘ちゃん、ブリッジできそうやな!」と声をかけた。「ブリッジ?」とその存在を知らない娘が問いかける。

「コレコレ、こういうヤツやで!」と、やってみせようとする夫が第一犠牲者。

まったくブリッジの形になっていない。足で支えて腰とお腹を浮かせるものの、腕が伸ばせず頭が持ち上がっていない。「いや、ぜんぜん出来てへんやん!」とツッコむわたし。すると、娘が「ママやって」と。

夫に次ぐ犠牲者がもう一人。

あれ?おかしいな、まったくブリッジの形にならない。足で支えて腰とお腹を浮かせるものの、腕が伸ばせず頭が持ち上がらない。「な、ぜんぜんでけへんやろ」と悲しそうに共感を求める夫。


明らかに、わたしたちは老いていた。


その現実を、まさか娘との遊びの延長線上に現れた『ブリッジ』を通じて叩きつけられるとは思いもよらず、わたしは、どうしてもブリッジをやり遂げたいという気持ちにかられた。

そして、夫が「無理すんなって、無理やって」と諭すのも聞かず、どうしてもと懇願して、上から腰を持ち上げてもらい、やっとのことでブリッジの形をつくった。もう「娘よ、これが母のブリッジぞ」と叫ぶような必死の形相で。


その結果、翌日、腕がバキバキの筋肉痛。


一方、娘は、夫に腰を支えてもらって軽々とブリッジを体得し、キャッキャと喜んで見せてくれる。2歳の若さに憧れるアラフォーの母は、今日も青汁を飲んで、がんばっている。

みなさま、久しぶりのブリッジには、どうぞお気をつけください。やはり“人は老いる”。それが私の最近学んだことです。


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