「お金」という「指標」について、問い直したいこと。
これからこのテーマについては複数回、また多岐にわたって投稿していくことになると思います。
今回の視点は、
尺度の異なる社会の価値を
単一の数字指標で
はかる
ということについて。
そんなことは果たして可能なのか、また望ましいのか、ということについて問い直したいですね。
例えば経済上の価値は、「有形価値」と「無形価値」に分類したりします。前者はお米そのもの、後者はお米に付随する「ブランドイメージ」などでしょうか。
しかしこの「お米そのもの」と「ブランドイメージ」という異なる尺度の価値を、単一の数字指標であるお金で測ることはできるのか?そして、それは良いことなのか?
他にも、「必要性」や「高度技術性」といった視点で様々な商品・サービスの経済的な価値を眺めた時に、それらをごちゃまぜにして評価することにどうも違和感をおぼえるのです。
食べ物の生産は誰しもが生きていくために不可欠な「必要性」が高い仕事にもかかわらず、比較的簡単なので安い(お金に換算したときの評価は低い)、一方ディズニーランドというエンターテイメントサービスは、高度な技術が求められるので、必要性は限りなくゼロに近いが、お金という指標では高く評価される。
しかしこの「食物生産」と「ディズニーランド」果たして、同一の数字指標で評価していいのでしょうか?
今日はここまで。
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