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カウンセリングを受けた訳【後編】

苦悩

私は人生で初めての彼氏らしき存在と、数年の間友情を育んできた存在を同時に自ら手離した。

以来彼とは全く連絡を取っていない。もう私の事はすっかり忘れて幸せな人生を歩んでいるだろう。そうあって欲しいと思う。図々しいかも知れないけれど。

別れた時、彼が言った言葉が『絶対トラウマを克服して』だった。
こんなにいい人を裏切って傷付けて、それでも涙一つでない自分は人の心が無いのかも知れないと思った。
彼を失ったことに、後悔や虚しさ、喪失感が無かったと言えば嘘になる。
でもそれを分かった上で一人になる事を決めたのだから、これからはこの問題を避けることなく、自分が今どんな状態であるのかを認識していこう。そして今後自分が本当はどうなりたいのか、その為にどうすべきなのかを考えなくてはと、少し焦りのような気持ちがあった。多分周りが結婚ラッシュで、さもなくば仕事や恋愛が波に乗って居いる人が多かったからだろう。
田舎町だから、妙齢の女性は結婚していて当然、という風潮も影響していただろう。
実際30代は、かなり迷走していたと思う。
子供時代の家庭環境が荒んでいたから、私は自分の家庭を作ろうとは考えていなかった。一人の時間が何よりも大切な自分に子育てが出来るとも思えなかったし、何せ弟妹が10歳近くも下なので、保育園のお迎えとか参観日とか、お弁当作りとか寝かしつけとか、とりあえず子育てのお手伝い的な事は経験済みだ。それで痛感していた。私に母親は無理だと。
子供は好きです。特に赤ちゃん。もう癒される。大好き。
でも私が自分で生み育てるなんて、そんな大変な事が出来るはずない。
母が私達を育て上げるのにどれ程苦労したかを知っているから、それを自分が出来るなんて微塵も思えなかったのだ。

それなのに、何となく『結婚したいと思った方が良いのかも知れない』と変に追い詰められた時期があった。恐らく年齢的なものもあるし、友人達が結婚願望を口にしているのをよく聞かされていたからかも知れない。
『結婚したがるのが普通なのか。だったらそうならなくちゃ』と、今思えば何故そんな事を考えていたのかと呆れてしまうのだが、この時の私は何となく、家庭を持ちたい女性を演じようとしていたのだ。だから婚活っぽいこともしてみたのだが……もう根っから性に合わないんだなと痛感して終わった。期間にして1年弱。自分にこんなにも不向きなものがあったんだと勉強になった。

この頃に分かったことは、他にもある。
まず、私は恋愛的な意味で他人を愛したことがない。これは結構衝撃的だった。
小学生あたりでほのかな初恋くらいは経験していそうなものだが、学生時代に男の子とどう関わったかと言えば、甘酸っぱい思い出とは程遠い。ゲームや漫画の貸し借り、宿題の見せ合い、キューピッド役みたいな事もした気がする。それなりに交流はあったはずなのだが、どの男の子にもそういう意味で惹かれたことはなかった。
一緒にいて楽しい、と感じていた気持ちは、同性の友人に対するそれと全く変わりなく、恋愛においてよくある独占欲だとか嫉妬だとか、そういうドロドロした感情とは無縁だったのだ。

走るのが早くてシュッとしていたあの子にも、大人っぽくて寡黙だったあの子にも、優しくて控えめだったあの子にも…ああ、誰にもときめいたことがない。この頃、激しく二次元に心を奪われていたことを差し引いても、これはなかなかだなと自分でも分かっていた。

社会に出てからも変化はなく、仕事で何人もの男性と関わってきたが全くそういった気持ちになったことがない。
ただ、俳優だとか漫画のキャラクターだとかに『かっこいいな』とはよく感じていたので、全くときめきを知らないという事もないらしい。ただこれは恋愛感情とは似て非なるものだから、やっぱり自分には他人を深く想う感情が欠落しているのかも知れないと感じていた。

ドラマや映画、アニメや漫画、それらの中にほぼ必ずと言っていいほど盛り込まれる恋愛要素。私はそこに感情移入はしたことがない。だってそんな、焦がれるような想いは知らないのだ。
一応長く生きているから、『こういう気持ちなんだろうな』『なるほど、こういう風に捉えるんだな』みたいな推測は出来る。だが、自己投影は出来ない。
だから登場人物と一緒になって感情が動かされる、というのとはまた違う。
『え、もっと冷静になればいいのに』『何でここで走って逃げるかな、追及してやればいいのに』と、ついつい冷めた見方をしてしまう。
例えばラブストーリーの大作を観たとして、私が焦点を当てるのは主人公達の恋愛模様ではなく周囲の人間模様だったりする。友人や家族の主人公達への想いを描くシーンの方がよほど共感できるのだ。
こういう感じ方は、勿論全く無くはないのだろうが、多数派でもない。
友愛、家族愛、隣人愛は分かる。兄弟愛だって勿論分かる。
恋愛だけは、どうしても分からない。あるいは逃げているのか。
こうして30代にして、『自分はどうやら恋愛感情が無いかも知れないようだ』と自覚するに至った。

30代後半になると、仕事の事でかなり病んでしまっており、とてもじゃないけれどトラウマが云々とか恋愛がどうのとか言ってる場合じゃなくなった。生きる、ただその事だけがこなさなければならないミッションだった。

とにかく仕事、仕事。
今にして思えば、何故あんな会社の奴隷になっていたのか。何故あんな上司の言う事に素直に従っていたのか。仕事を振られて『頼りにされてる』と錯覚してしまったのか。
あらゆる事を考えられなくなり、言い返す事も出来なくなり、運転中に死ぬことが頭をよぎった時、ようやく自分が一線を超えようとしていたことに気付く。
心療内科に通い、休職した数ヶ月。この期間に私は久方ぶりに思考の波に身を委ねることになる。

熟考

休職期間中、職場の人からはたった一度を除いては全く連絡がなかった。
母は仕事をしない私を持て余しているようだったし、弟妹は…まあ私の擦り切れ加減を見ていたから特に何も言わなかった。
働いていない負い目はあったし、毎日のように自責の念に駆られていたけれど、仕事で精神が消耗しない分考えることが出来た。

自分のような子供や女性を守れる仕事がしたいな。
でもお祖父ちゃんやお祖母ちゃん、母さんも放ってどこにも行けない。
長女なのだから、弟妹に押し付けて家から逃げるわけにはいかない。
女が一人で安定した収入を得て暮らすには――
ああ、とにかく今度長く働くなら、人を支える、いや守る仕事がいい。
だって私はあの頃、守ってくれるはずの人に守ってもらえなかった。あんな失望感を味わう子供がいていいはずがない。
力に捻じ伏せられる女性。夜、安心して眠るどころかいつ危害が及ぶか怯えながらじっと息を潜め、朝を待つ他ない子供。
そんな事がまかり通るなんてこと、あっていい訳がない。
一人でもそうした人を救えたら。
生きることに苦しさを覚える人に、少しでも道を示すことが出来たら。

まとまりがないようでいて、どうやら私の思考の軸は子供時代の体験のようだった。

ああ、私は子供の頃の自分をどうにかして自分自身の手で救済したいんだ。でも既にすっかり歳を取ってしまったから、救済の相手を他の子供や女性達にしているんだな。そんな風に考えた。
アダルトチルドレンという言葉が浮かぶ。性的虐待という言葉に虫唾が走る。

あんな事がなかったら、人生が大きく変わっていたんじゃないだろうか。
そもそも、母があんな男を選ばなければこんな風になってなかった。
娘の私よりもあの男を一旦は信じた母を、やはり心から許せない。
一生私はこんな風に、誰かを恨みながら生きていくんだろうか。なんて虚しいんだろう。

そもそも、前に思っていたように、人を愛せないのは私が生まれ持った特性なんじゃないだろうか?情が薄いから、あんなことがあっても道を踏み外さなかったんじゃないか?だったら、別に今のままの自分でいいんじゃないのか?

毎日同じような事をぐるぐる考えている内に、休職期間の終わりが近付いていた。
復職するかと聞かれて、即座にノーと答えた。
もうあの会社で働く自分を想像できない。しかも私は次にやりたい事を見付けてしまった。
その後、すぐさま働かないと金銭的に非常にまずい状態だった為短期の仕事をしたり(ここで経理の仕事は壊滅的に出来ない事が分かる)、近場の会社に飛び込んだりもしたが、結果的には今の仕事への繋ぎのようになってしまった。アルバイトさえ大してしたことのない私が、数ヶ月で正社員を辞めるなどちょっとした事件だった。この職歴も隠さず履歴書に書いた事を誰か誉めて欲しい。

30代の終盤に今の介護職に就き、慌ただしく日々が過ぎた。
介護福祉士を取得し、放送大学を卒業し、更に通信制の専門学校。約6年の間本当に目まぐるしくて、自分の内面を見つめ直すことが随分疎かになってしまっていた。内省の時間すら仕事と勉強に支配されていたのだ。

そんな日々の中でも、やはり折に触れ陰鬱な気分に苛まれることはあった。
何となく『もういいや』で済ませてきたが、多分こうしてスルーし続けているといつまで経っても自分は過去から抜け出せないし、義父を忘れることはないのだろう。今でも殺したいとさえ思う相手だ。そんな奴の為に死ぬまで苛まれるなんてごめんだ。
とは言え、カウンセリングを受けようにも時間が無いし、時間が取れなければ継続も出来ない。

私一人の頭の中で鬱々としていても、答えは出ない。

想いを吐き出す場所としてTwitterを使った。それまでも結構愚痴や怒りを吐き出してきたのだが、過去についても折に触れ呟いてきた。
文字にすることは当時の気持ち悪さや憎しみをリアルにした。一方で、昔よりも冷静に、どこか別の場所から自分を見つめられている気もした。
けれど一向に気持ちは晴れなくて、死ぬまで恨んで憎んで、でも弟妹や母の手前、その気持ちをひた隠しにして生きていくんだろうな。私の人生、我慢ばかりだ。なんて随分悲観的にもなっていた。
そうこうしている内に祖父が亡くなり、数ヶ月には祖母も逝ってしまった。

幸運だったのは、私がこの時、仕事もそうだが勉強で大変忙しかったという事だ。働きながら学生もやる、というのはとても無謀な挑戦に感じられたけれども、身内を亡くした喪失感は忙しさが埋めてくれた。
そうしてまた仕事と勉強に明け暮れる日々が続き、社会福祉士国家試験がいよいよ目の前に迫ってきたある日、オンラインカウンセリングのcotreeを知った。

決別

今はネットでカウンセリングが受けられるのか。これは、私が必要としているものだ。
直感を信じて、国家試験終了後に申し込みをした。一ヶ月限定、オンラインで対面のものではなく、メッセージをやり取りする書くカウンセリング。その中で、随分赤裸々に書いた。もうこれでもかというくらいに。
女性のカウンセラーさんという事もあって、恥ずかしさや抵抗感はそこまででもなく、進めば進むほど、冷静に自分の過去や現在を見直すことが出来るようになっていくのが嬉しかった。勿論性被害の事がメインだったのだが、お話していく内に自分の目指す仕事がやはり過去の自分を救済する為であり、身動きの取れない人を助けたい気持ちに繋がっているのだとはっきり認識することが出来た。
また、数年病院で働いていく内に、子供や女性だけでなく、高齢者や障がい者、貧困者と、幅広く関わりたい気持ちに変わってきたことも分かった。それが人生の使命なのだろうとも。
過去の体験が未来の仕事に結び付く、これは不本意であるようで必要な事だったのだろうと思う。
やりたい仕事は沢山あったけれど、きっとこうなる運命だったのだろうとも思うのだ。収まるところに収まったような感覚がある。

もう一つ、整理出来たことがある。私が他人に愛情を感じない、あるいは感じにくい点についてだ。
前述した通り、家族や友人に対する愛情はある。それは分かる。そうでなければ、きっと私は早々に家族を捨てて、どこか遠い場所で気ままに暮らしていただろう。それは今でもとても魅力的に思えるけれど、生憎それを選択肢として据える気はもうない。少なくともこの瞬間は。
私の、この『恋愛感情が湧かない、理解しかねる』という性質について、自分なりに色々調べていた時期がある。
行き当たったのは、無性愛者という単語。
他者に恋愛感情を抱かず、また性的欲求も抱かないという定義を持つらしい。性的欲求を抱かないものとしては非性愛者というものがあるが……こういった人々は恋愛感情は持つらしい。私には当てはまらないな、と感じた。
とすると、やはり私は無性愛者なのだろうか。
こんな事をカウンセラーさんにぶつけた。以下は私の文章だ。

無性愛者という言葉を知ったのはここ数年のことですが、他人に恋愛感情を抱かないという定義の一つが自分に当てはまるのではと考えました。
何度かお付き合いまでに至ったことはあるものの、何となく流れでとか、「いい加減に乗り越えなくては」という、ある種の使命感のようなものがありました。勿論相手の方々に問題はなく、むしろ大変好ましい人格の持ち主だったと思います。
ただ、無性愛者の定義の中には『性的に惹かれない』というものもあります。
私の場合、性的被害から現在のようになっている可能性も非常に高く、もともとの性的嗜好が無性愛と断定するのは早計な気がしています。
もし本当に無性愛者であるならば、過去の出来事にここまで縛られず、自分の性的嗜好を受け入れてもっと楽に生きている気がします。パートナーを持たず、好きな事をしながら安定した暮らしを営んでいる自分はとても理想的なはずなので。

後半の文章が、自分で書いていてハッとした部分だ。
私が本当に無性愛者であったとしたら、何故息苦しさを感じるのだろう?
だって今、人生で一番波に乗っているのだ。
一番自由だろうし、一番充実している。だけれども、『あんな事がなかったら』と思い巡らせてみたり、性的な事に対して壁を作ってしまう自分を情けなく感じたりもする。
本当は、誰かを愛したかったし愛されたかったんじゃないのか?だからこんなに義父が憎くてたまらなく、母の事もまだ完全に許せないんじゃないのか?
恐らく、ずっとそう思ってきたのだ。
終盤には、こんな事も書いた。

私に必要なのは、自分の中の狭い世界だけであれこれ考えるのではなく、もっと広く他者と関わって色んな価値観を学ぶことなのかも知れません。
多分墓場まで持っていく想いが沢山ありますが、それを飲み込んで生きると決めた以上は自分からは言ってはいけない事なのだと思います。
当時と比べると、随分自分の機嫌の取り方が分かってきたというか、感情の逃し方も上手になってきたのかなという気がします。やっとここまで来れたかなと…。
誰に対しても友愛以上の愛情を持てないことも、女性や子供を虐げる人間が許せないということも、私にとっては何かしらの意味があると思って、そのことに向き合いながら今後も生きていくんだろうなと思います。

結論を言うと、私は過去からの解放を求めるのではなく、辛い体験をもひっくるめた自分を生きると決めた。

解放されようとして無理に誰かと添おうとするのも、ステレオタイプに惑わされて自分を異常だとか、女性として欠陥があるとか、そんな風に思うのもやめた。
他人がどう思おうと、これが私だ。
私はこうして、忌まわしい過去を語ることが出来る。それも感情に溺れることなく、あんな事があったとしても自分に非がないのだとはっきり言い切ることが出来る。
弟妹を変わらず想って、母に対するわだかまりだって飲み込んでいける。それはもう、口にしてはならないとすっかり分かってしまっているから。
私は自ら定めた目標に向かってひたむきに進むことが出来る。そして達成することが出来る。
周りの女性のように、誰かに恋して時に涙するような、そんな人生ではなかったけれど、人生の使命を見付けることが出来た。
人を支える、守る、導く。そういう仕事に身を捧げたいと。そう願って進む道を見付け、切り開いてきた。それはきっと、誰もが出来る事じゃない。

全て、私が私として生きてきたから得られたのだ。
そしてこれから先も、私が私として全て内包して生き続けて、その中で葛藤し、時に絶望したとしても、自分自身の中にある軸がそこにどっしりと据えられていれば、いつだって原点に立ち返って前に向かっていけるのだ。

きっとこの先、私はまた過去にうなされて目覚める時があるのだろう。
過剰に警戒して、人を傷つけてしまう瞬間があるのだろう。
それでも、もう無理に自分の在り方を変えようとする事だけはしないでおこうと思う。それはこれまでの人生を生き抜いてきた私への、最大の侮辱だから。

いつか死ぬ時、『悪くない人生だった』と思えたら、私の勝ちだ。
誰が何と言おうと。

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