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インナーチャイルドと私

先日、とある占い師さんの元で鑑定とセラピーを受けてきた。

私は今年、出来れば秋には仕事を変えたいと思っている。
社会福祉士取得の動機が、『女性や子供の支援をしたい』というもので、今はかけ離れた高齢者分野にいる。
色々考えて、動くなら今しかないと感じ、実際今は面接の結果待ち。同時進行で他にも良さそうな所を探す毎日だ。

それはさておき、今回はセラピーの話。

鑑定する相手によってセラピーの内容が異なるということで、どういう手法で行われたのかは割愛するが、私の場合はインナーチャイルドに会うというものだった。

こういった事に関して、全く無知だった訳ではない。そういうセラピーが存在していて、どういう目的であるのかも、おぼろげながらに分かっているつもりだ。

占い師さんの言葉に沿って、状況を思い描き、それが実際の光景であるかのような感覚に陥る。幼い頃の自分と向き合い、その言葉を受け止め、大人の自分自身がそれを抱きしめ癒す。

結果から言って、私にはそれがうまく出来なかった。

とは言え、良くない終わり方とは思っていない。

確かに私は子供の自分と対峙したけれど、それはまるで舞台袖から役者の芝居を見ているような感覚で、しかも幼い私は大人の私に何を訴えるでもなかった。

私が一番嫌いだった服装で、泣くでも叫ぶでもなく、どこか諦めた風でベッドに腰掛けて『つまらない』という顔をしていた。その間にも、セラピーは続いていて、舞台袖の私の耳に占い師さんの声は届き続けている。

けれども、私は言われるままに幼い自分を抱き締めることも、共に遊ぶこともなかった。ただそこにいて、10歳くらいの自分の見下ろしながら、『ああ、本当につまらない人生だった』とぼんやり考えていたのだ。

これは占い師さんに正直に伝えたのだけれど、私は今の自分とインナーチャイルドとの間に、大きな精神的な違いを感じられなかった。これは私が未だに大人になれていないのか、子供の頃から子供ではなかったのか。

後者であると、占い師さんは即座に答えた。

我が事であるにも関わらず、私は『何て不幸な子供』と他人事のように考えた。

物心ついた時から、私は周囲の大人達は自分を守ってくれないと思っていて、特に母に対しては、義父からの性的虐待を打ち明けた時から完全に『この人は私を助けてくれない人』と分かっていた。

弟妹が生まれた時はまだ小学生で、それでも長女としての役割を何となく自覚していて、だから大人達には甘えた記憶がない。
甘えたいとも思わなかったし、甘え方も知らない。
それが子供という存在にとってどれほど不憫で悲しい事なのか、分かったのは随分大人になってからだ。

40代後半になった私は、今でも他人に頼ったり甘えたりといったことは避けてきた。やり方が分からないというのもあるけれど、本当にもう駄目だと感じた時だけヘルプを出すようにしている。

きっとこれからも、私は幼い頃のまま、こうやって可愛げもなく生きていくのだと思う。

でも、それが一体何だというのか。

小さな自分が、その未熟な心と脳で懸命に導き出した『大人を当てにしない』という答え。それは確かに大人にとっては癪に障る、あるいは無力感に包まれてしまう考えなのだろうけれど、だからこそ私は今、こうして子供達の助けになれる大人でありたいと思うことが出来ている。

子供が子供らしくいられない世の中なんてクソだ。

大人の為に、子供がその選択肢を削られて可能性を潰されるなんて虚しい。
大人の為に、心を殺されて生き方を変えられるなんてあってはならない。

私の言う事は、はたして綺麗事だろうか。
それとも、言葉にするまでもないほど当たり前の事だろうか。

前者だとしたら大人の世界は悲しい。
後者だとしたら、何故今も不幸な子供達が存在するのだろう。

昔、早く大人になりたかった。でもいざ大人になってみれば、子供の頃の生きにくさを抱えたまま身体だけが大きくなって、中身はさほどあの頃と変わりない。

考える事はごくシンプルだ。

泣きたい時に泣けない、救われるべき時に救われない世の中なんてクソ食らえ。

あの時守られなかった私が、大人になった今守る側に行きたいと思うのは自然の成り行きのような気がしている。

インナーチャイルドと対峙して、私は彼女を抱き締められなかったけれど、それでも小さな自分の目は、はっきりと『自分の足で生きていく』と言っていた。
もはや誰かの庇護は必要ないと。

それは、守られるよりも守る人でありたいのだと遠い昔から決めていたからなのだ。

ただそれだけの事なのだ。


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