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回顧録と未来録

noteを書くのは4ヶ月ぶりだ。
前回の記事を上げてから今日までの間に、色々と考えや生き方が変化したので書き残そうと思う。

家庭

家族とは相変わらずで、弟とは絶縁状態のまま。
母とはつかず離れずの関係性を保っている。

妹はもともと私達に関心がないし、こちらも「元気なら別にいいや」という感じで、連絡は取っていない。必要なことだけ伝え合うのみ。
妹はシングルマザーだから、我が子以上に心を砕くものなんてなくてもいいと思う。自分と子供が生きていくだけで精一杯だろう。
彼女の場合、放っておいても自分の力でどうにかやっていける人間だと分かっているから無駄に心配していない。決して仲の良い姉妹ではないが、憎み合っていないだけマシだと思う。甥が健やかに育てば、それだけで良い。

仕事

最も大きく変わったのは仕事について。

結論から言うと、30年近く誰かに雇われて続けてきた生活に終止符を打つことにした。
現在、施設の相談職とライター業を掛け持ちしているが、相談職を退いてライティングを専業にすると決めた。

このポストは10月だけれど、実際は8月に腹を決めていた。
8月は職場でコロナ感染の嵐が巻き起こり、相談員業務がてんやわんやだった。現場よりは落ち着いていたかもしれないけれど、それでも入所者さんのご家族に電話で謝罪したり詰られたり労われたり…とにかく、1日にあれだけ多くの人と電話で話したのは数年ぶりのような気がした。

感染が落ち着き、入院していた人達が再入所を果たしたタイミングで退職届を出した。

実は退職「届」を出すのは人生初。
これまでは毎回退職「願」を出していた。
そこには「仕事を辞めるなんて申し訳ない」という気持ちが潜んでいたのだろう。しかしこの時、私には「残りの人生を『書く』ことに捧げるんだろうな」と確信めいたものがあった。

私のいる場所はここじゃない。
失敗してもいいから、行動を起こしたい。

とにかく、1日も早く環境を変えたかった。働き方や共に働く人も。

この焦燥と決意がどこに結びつくのか、正直今は分からない。
食べていけなくてパートを掛け持ち、なんて未来に辿り着くかもしれない。
それでも、他の誰の言葉よりも自分の心の声に忠実でいられる今、私は幸せだし自由だ。

私の文章力や想像力、構成力なんて他のライターさんから見ればまだ赤ん坊のようなものかもしれない。
けれどそれだけ伸びしろがあると思っているし、この1年でご依頼くださったクライアント様方からのお声はお世辞ではないと信じたい。

私は昔から夢見ていた「文章の仕事」を掴めるところまで来たのだ。
ここで踏み出さないなんて選択肢はない、今動かなければ、年老いたときに絶対後悔するだろうと思った。

今はWeb上でのライターだけれど、いつか紙の本に関わってみたいし書く仕事から派生する別の仕事にも挑戦してみたい。

仲間

夏から秋にかけて、ライター仲間との別れがあった。
コミュニティからの卒業だ。
このコミュニティがなければ今の私はなかった。
私に1から技術とマインドを叩き込んでくれた場所。夢を肯定してくれた場所だった。

ラジオ配信の経験もさせていただき、自分の声や喋りに対する感想がこんなに嬉しくありがたいものだと知った。
単独でパソコンのマイクに向かい話すのは、最初こそむず痒かったが思いのほか性に合っていたようで、2回も話すとあとは楽しいだけだった。
歯並びや顔の巨大なシミがコンプレックスなので顔出しはし辛いが、その内どこかのプラットフォームで話してみようかなと思っている。

偶然の出会いから1年以上お付き合いしてきたけれど、このコミュニティには本当に感謝しかない。

ファッション

先程仕事について述べたが、実はこの大きな変化は自問自答ファッションあきやあさみさんなくしてはあり得なかった。

これは2021年の記事。今から3年近く前だ。

この頃の私は自分が何を着たいのか分かっているようで分かっていなかったような気がする。服は合っても選べない、毎日迷う状態だった。
しかし制服化してしまえば枚数を減らせるし、何よりお気に入りだけを着続けられるのが素晴らしい。

受講から3年弱。
私の手持ちの服はかなり減って、今では3セットで通年過ごしている。もちろん気温の変化があるから、部屋着やアウターは違うけれど。

こうした外側の変化ももちろん大きなことなのだが、自問自答ファッション講座の凄さをまさに今体感中だ。

講座終了後、あきやさんから私だけのレポートをいただいた。
そこに書かれていた私のコンセプト。当時は「いやいや、照れくさいな…」と嬉しくもあり気恥ずかしくもあり、だった。
こうなれると素敵だろうな。そう思うだけに留まっていた。

しかし、現在私はこのコンセプトにものすごく近い場所にいる。

受講時の生活を続けていたら、まず辿り着いていない。そんな場所に、今私は立っている。
「やはりあきやさんはエスパーなのでは…?」と思わざるを得ない。
コンセプトを変えてもいいらしいけれど、まだ変えたい気持ちは起こらないし今以上に自分にふさわしいコンセプトが見つからない。
それを掘り起こすためにこれからの人生はあるのだ、きっと。


この3年で心が死にかけた瞬間がたくさんあった。明日の朝日を見なくてもいい、と自棄になった日もある。
そういう時は、自分がいなくなったあと面倒じゃないように、身の回り物を片付けた。「死ぬ時に何を着ていたいかな」と考えながら。

https://note.com/kei_kei_43/n/n106c9647d934

こちらは今年のお正月に書いた記事。私のメンタルがボロボロで、家族に対しての怒りと憎しみがすごいことになっていた時のものだ。
(有料なので「こんなこと書いてたんだな」くらいに思ってもらえたら…!)

死をタブー視する気も神聖化する気もない。
息が止まり、心臓が止まり、骸になる。その過程を私は身内を通して見ているから。

この息の根が止まるとき、どうでもいい服を着ていたくない。今でもそう思っている。この思いを持って新しい服を買いたい。
普段も、やがて迎えるその時も、好きな服に包まれた自分でありたい。自分らしい自分でありたい。

実はまだ、これだ!と脳天を撃ち抜かれるほど衝撃を受ける服には出会っていない。
それでも、着ていて心地良かったり自分に似合っていると感じられるものだけを着ているから大きな不満はなく過ごしている。

実は来年の4月、フリーランスになって身軽になれる!とばかりに東京旅行を決行する。
今、その時のバッグをどうするかで自問自答の真っ最中。
最近ハマっているNotionで、思わず欲しいものリストを作るくらいには考えこんでいる。

ほぼ黒リュック

バッグは黒リュック、靴も黒、ブルー系の上下にジャケット。こんな風に決めているけれど、まだ数か月先だから気が変わるかもしれない。
しかしこの旅行で、実に35年ぶりにリュックを背負ってみたい。この点は揺るがないだろう。

本業・副業で毎日10~12時間パソコンを使っている。だから首肩背中を常に痛めているし、身体の歪みもある。
自分の右肩が不自然に上がり、右半身に突っ張り感があるのも自覚している。利き手の右を酷使しているから、自然と右半身の症状が強くなるのだ。

せめて毎日使うバッグを変えてみよう。そう考えて「じゃあ旅行もリュックで行こうかな」と思い立ったのは最近のことだ。

・毎日使える
・旅にも使える
・容量多め
・自分の私服に合う
・スポーティー過ぎるものは避ける

これらの条件にあうリュック探しをしている。上に貼ったNotionの画像は、忘れないための覚書。肩こり軽減のために検討しているキーボードも一緒に載せている。

私の服装ではカジュアル過ぎるとバランスが悪くなるから、デザインや素材選びも大事だろう。レザー系にするか、ビジネス寄りのデザインにするか。
いずれにしても、3月には購入しておきたい。日常使いでリュックに慣れておきたいのだ。

おわりに

ここまで読んでくださってありがとうございました。

まだ書いていないこともありますが、それはおいおい。
私の家族との確執は、きっとこの先長く消えることはないでしょう。

しかし、私は今こうして自分らしく生きていくための道を切り開いています。たくさんの方々の応援のお陰で。

これからもここで泣き言を書くかもしれません。
もしかしたら異様なテンションで、とりとめなく好きなことばかり言ってしまうかもしれません。

ですが、ようやっとここまで来れた。発信する元気が戻ってきた。そう思うことにしました。

職場での揉め事もあり、最終出勤日までは心が休まらない日々が続きますが、少なくとも1年前よりずっと元気です。
来年は、お世話になった方々に会いに行く年にしたいと思います。

今年もお世話になりました。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。



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