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Femme Fataleを聴いて考えたヒプマイのジェンダー観

⚠️前書き

 これから私が書くことは、決して現在進行形でヒプノシスマイクを楽しんでいる人に対する批判ではない。しかし、もしこの記事を読んで自分が攻撃されたと感じるのであれば、できるだけ早く読むことを中断するのをお勧めする。



 
 ヒプノシスマイク(以下ヒプマイ)の女性キャラクターの曲が出たと聞いて、久方ぶりにヒプマイの曲を聴いた。結論から言うと、とてもかっこいい曲だと思った。あの世界線においてこれまで男性に虐げられてきたであろう女性キャラクターたちが、自らの女性らしさを放棄せずに堂々と「乙女の意のままに進む」意志を表明したことには大きな意義があると思う。また、Femme Fataleの作り手であるReolさんの「作品内の必要悪である女性たちに愛情を注ぎたい」という思いも非常に好感が持てた。

 先ほど「久方ぶりに」ヒプマイの曲を聴いたと書いたが、実は私もかれこれ1年半ほど前までヒプマイのファンだった。なぜヒプマイを追いかけるのをやめてしまったのか、理由はいろいろあるが今回中央区の女性たちの楽曲を聴いて、自分の考えに整理がついたのでまとめておきたい。

 私がヒプマイに対して抱く違和感を一言でいうと、「作り手側のジェンダーに対するおざなりな認識が透けて見える」ことに他ならない。元々ヒプマイの世界観には女尊男卑が謳われているが、実際のところ非常に強烈な男尊女卑の世界だ。女性のみが政権を握り、男性は10倍もの税金を課せられ居住の制限を受けるというのはいかにも派手な女尊男卑の演出ではあるが、作品全体に女性を蔑むような空気感が蔓延しているように私は思う。具体例は枚挙にいとまがないが、

・医者、弁護士、独歩の上司など社会的地位の高い職についている男性が多い一方で、ウェイトレスや看護師などあくまで「サポート」する立場にある女性しか登場しない。
・一郎の二郎に対する「カマくせぇこと言ってんじゃねえ」発言
 →言い換えればいわゆる女性らしさを出す男性への否定。所謂「ホモソにどっぷり」感。
・「金・権力・女に酒」
 →モノと同列に女性が挙げられているのはいただけない。

 誤解のないように言っておくが、私は女尊男卑も男尊女卑も支持しない。しかし、作中の女尊男卑設定が受け入れられるのは自分が女性であるからではなく、それがきちんとそういう意図で表現されているからだ。逆に言えば上記で述べた男尊女卑を思わせる演出はそれを狙ったものではないように感じられるからこそ、受け入れ難かった。これらの物語上における意図されていない男尊女卑の演出は、作り手の認識が「政治と税金と居住の制限があれば女尊男卑の社会が完成する」という程度のものしかないということを露呈しているように感じる。
 YouTube上のFemme Fataleのコメント欄を見てほしい。これまで女性であることを理由に理不尽な思いをしてきた女性たちが思いを語るコメントが数多く見られる。男尊女卑とは単に制度上の問題ではない。コメントを読めば社会全体に蔓延る女性に対する圧力や女性らしさを見下す空気感など見えないものを多く含むものだとわかるだろう。こういったことが作り手側に悉く拾い上げられていないからこそ、女尊男卑に見せかけた男尊女卑といったような地獄絵図が誕生したように思う。

 そしてキャラクターたちは作り手によって命を吹き込まれる。どんなに配慮してもそのセリフや行動は作り手の思想や認識を少なからず反映する。キャラクターたちの中にミソジニーの思想が散見されるのは、彼らがジェンダーに対する見識が不足している作り手によって生み出されたものだから当然のことのように思う。メタ的な話ではあるが、結局のところキャラクターは自分の意志で動くことができない。
 ヒプマイに登場するメインキャラクターの男性たちは女尊男卑の社会を壊そうとしている。それは結構なことだ。しかし、彼らは作中でいう所謂「女尊男卑」の社会において根強く残る男性の特権や自らの中にあるミソジニーの思想に気が付いているのだろうか。彼らが目指す社会とは元の男尊女卑の社会なのか、それとも別の新しい何かなのか。恐らく作り手側の認識が変わらない限り、本当の平等に帰結する可能性は期待できないと思っている。あの世界観において中央区の女性が支配するまでの男尊女卑であっただろう世の中こそを平等と認識し、元の世界に戻そうと立ち上がったのが男性キャラたちであるならば、グロテスクすぎて見ていられない。だから私は追いかけるのをやめた。

 もっとも、男尊女卑や女尊男卑といった問題は作中のストーリーで示されているように男vs.女といったような単純な二項対立ではない。ただ近年ヒプマイのようなコンテンツはとにかく流行り廃りが激しいので、話を単純にわかりやすくするためにそうせざるを得なかったのかもしれない。しかし、それを差し引いても現代においてジェンダー問題は、作品を作る側の人々がこのような粗い認識で取り扱うのは非常に危険だと思う。


 思ったことを書き連ねただけなので、これと言って気の利いたまとめは思いつかない。しかし、いくらフィクションや創作物といえども、どうしても作り手の思想や見識は少なからず反映されてしまう。反映されること自体の是非はさておいて。そこをしっかり認識したうえで慎重にコンテンツを楽しんだり、自ら創作したりする姿勢を持つべきだということは自分への教訓として覚えておきたいところだ。

※話の本筋からずれてしまうため分かりやすく「女性らしさ」と表現したが、かなり乱暴なカテゴライズであったことを反省している。

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