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土日は基本休みです

 ローカル局に派遣されている私の仕事のOAD(オン・エア・ディレクター)ですが、土日は放送枠が少ない為に基本的にお休みです。 

何か大きな発生モノがあった場合に特別編成されると出勤になります。例えば、時節柄台風接近による緊急特番や大雨、選挙などの場合です。 

そんな時は、それこそ俗に「祭り」と呼ばれるほどのてんやわんやの嵐になります。 

そして残念なことに、一人で担当しているので、その「祭り」とまで呼ばれる仕事は一人で担うことになり、同じ仕事のやりがいも喜びも分かち合う人がいません。 

なんて残念なんだろうと思い、先日も社長面談では一言申しあげたところです。「後継を育てたい」と。 

私はTVの仕事をするに当たって、実はOADがやりたかったという訳ではありません。 

まだ社会の右も左も分からない新入社員で、自分が何に向いているかは経験豊富な先輩たちが見てくれているものだと、それによる採用だと思っていたから、就けられた仕事に価値を見出し一生懸命取り組んだ。 

ただ、制作をやりたいという淡い希望は持っていた。最初からOADだった訳ではなく、初めは番組の編集、次に主調整室、そして中継の音声マン、それからOADだった。OADはかれこれ15年になるだろうか。会社人生の半分を過ぎてしまった。 

 異動の度に勉強する事はたくさん有り、正直とても難義した。もともと文系だったので電気の回路などはチンプンカンプン。資格が無いから給料も低いと言われ…(異動しておいてそれは無かろう?)悔しいから勉強をしてチンプンカンプンの試験を2度チャレジしてどうにか同僚と肩を並べた。 

そこで頑張ってしまったから次の異動も技術系だった、TV音声。実はTVの技術系は、カメラマンが花形である中なかなか音声も素晴らしかった。文系出身の私は音声には比較的入りやすかったかもしれない。今思えば…今思えばである。

 苦しかった…。物凄く…。マイクの型番から機材から覚えて廻った。ひとつと聞き逃さぬように、先輩に食っ付いて廻り、お昼休みのランチから仕事が終わった後の飲み会も…。読む雑誌やブログも、TV音声のモノを見つけて先輩からコピーしてメモって… 

もちろん間には、教えを請うて叱られたり説教されたり罵倒されたり…罵倒はされたままでは終わらなかったが(笑)喰い付いてモノ申して憤慨した事もしばしばだった。 

 それは男社会だったからだ。最初の1年以外はほぼ男性だけの職場に「初の女性大抜擢!」などと今思えばおだてられての異動だった。今思えばである。本来は「大抜擢?!」である。 

そんな中で、頑張ってしまう自分がいた。ある意味会社は見ていたのかもしれないし、まさに大抜擢だったのかもしれないけど…。そうやって頑張る奴だと… 
どうだろうか? 

ただひとつだけ言える事がある。TV音声の研修に当時砧のNHKの研修所へ行った時に、今でも忘れない憧れの昆布先生(だったと思う)から日本のTV音声の底上げをやりたいのだと言われた。

それには大いに共感したし、その言葉に心を動かされた。「TV音声、キー局だろうとローカルだろうと同じでなければならない」 

そしてもうお一人、こちらは名前を忘れたが、年配の物静かな先生が(顔は思い出すのだが…)、「皆さんに最初に言っておきたい事がある。TV音声は、人が一生を掛けるに値する仕事だと言うことを覚えておいて欲しい」

その先生は静かに「一生を掛けるに値する仕事だと」と2度繰り返した。

このお二人の言葉が無かったら、私は多分続けていなかっただろうと思う。 
その言葉は深く心を掴んだ。私はその誇りを持って、携わる局のフェーダーを握っていた。

幸せ者だと思ったし、今でもそれはそう思っている。

 ただ、結局自分は頑張ったが、後ろに誰も繋がらなかった。どの職場も女性は増えなかった。少し増えた事もあったけど、辞めてしまったり減らされたり…何にもならなかったとの思いもあるが、結構厳しいところを自分でも良くやってきたんだなと一人、自分だけでも褒めてあげている(笑)。でなければ救われない。 

少し長くなったけれど、休みなので今までを振り返ってみた。 
そこまで頑張っても今また後がいないのが本当に気ががりで、残念でならない。 

そんな事を振り返る休日… 
休みの日なのに(笑) 
読んで下さりありがとうございます❤️
2021.10.2 

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