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現代語訳 論語と算盤 - 感想・引用

著者プロフィール: 渋沢栄一
1840(天保11)~1931(昭和6)年。実業家。約470社もの企業の創立・発展に貢献。また経済団体を組織し、商業学校を創設するなど実業界の社会的向上に努めた。

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書) Kindle版

今回の記事は、日本実業界の父と呼ばれた渋沢栄一が生涯を通じて貫いた経営哲学に関する本です。

この記事では、本の要約をするのではなく、輪読会を行うにあたり、私が読んだ感想や本からの学び、一部引用を紹介するものです。輪読会用のメモなので、一般的な記事のようにきちんと整理されているわけではないのでご了承ください。

感想

  • 改めて読み直してみると、生き方や精神修養の面など、学ぶことが非常に多かった。

  • 第五水準のリーダーが書かれている。

  • 論語をもう一度読み直さないといけないなと思った。

  • 線を引いたところ、Noteを残したところは、前回とほとんど同じだが、深く理解できているのではないかと思った。

  • 前にこの回で確かKohei君が聞いていたが、志をどうやって立てるかというのが先のことを考える上でキーだなと思った。

  • また、論語の引用ももちろん多いが、家康の行動や考え方をすごく強く反映していると気づいた。

  • 競争のところ、悪い競争と良い競争の話がやはり引っかかるなと。自分が良い競争をしていても、相手が悪い競争をしていたらなど。

  • 志が間違っていても、表面が良い人を助ける、心が大きい。

  • 道徳の教え方、今は誰が教えているの?学校がそれを担当する場所になって、道徳教育に採点みたいなのを採用しているが、これはおかしいと思う。

  • お金に関する良識ももっと広まっていて欲しい。

引用

いかに自分が苦労して築いた富だ、といったところで、その富が自分一人のものだと思うのは、大きな間違いなのだ。要するに、人はただ一人では何もできない存在だ。国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が上げられ、安全に生きていくことができる。もし国家社会がなかったなら、誰も満足にこの世の中で生きていくことなど不可能だろう。これを思えば、富を手にすればするほど、社会から助けてもらっていることになる。

道徳の根本に関していうなら、昔の聖人や賢人の説いた道徳というものは、科学の進歩によって物事が変化するようには、おそらく変化しないに違いないと思うのである。

  • 同じ解釈。根本的なものは変わらないと思う。根本的な物事をどのように実行していくかということが変わるだけだと思う。

  • 冒頭にあった、論理の解釈力が上がって道徳を維持できるという点も賛成はできない。どれだけ人間の知能が上がったとしても、論理は欲望や喜怒哀楽などの感情の力に勝てないし、どちらがベースに近い観念なのかを理解する必要がある。

  • こうして考えてみると、論語などの心を鍛えるみたいな、論理より深いところから人間を教育していくというのはとても理にかなっていると思う。

適材が適所で働き、その結果として、なんらかの成績をあげることは、その人が国家社会に貢献する本当の道である。

「人の一生は、重い荷物を背負って、遠い道のりを歩んでいくようなもの、急いではならない。不自由なのが当たり前だと思っていれば、足りないことなどない。心に欲望が芽ばえたなら、自分が苦しんでいた時を思い出すことだ。耐え忍ぶことこそ、無事に長らえるための基本、怒りは自分にとって敵だと思わなければならない。勝つことばかり知っていて、うまく負けることを知らなければ、そのマイナス面はやがて自分の身に及ぶ。自分を責めて、他人を責めるな。足りない方が、やりすぎよりまだましなのだ」

  • これが一番響いた。

「一個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきだ」という考え方を、事業を行ううえでの見識としてきたのだ。そのうえで、多くの人や社会全体の利益になるためには、その事業が着実に成長し、繁盛していくよう常に心がけなければならない。

「人を治める者は人々から養われる存在」と武士たちは信じ、ここから、「人に食べさせてもらうからには、その人のために命を投げ出す」「人の楽しみをみずからの楽しみにする者は、人の憂いをみずからの憂いにする」といった行動が、彼らの果たすべき義務だと考えてもいた

  • この考えは非常に大事。人を治めるからだけでなく、地球に生かされているから、食べ物や環境を大事にするというのも付け加えたい。

「天」というのは、これらの宗教家の考えているように、人格や身体を持っていたり、祈禱によって幸福や不幸を人の運命に加えるようなものではないとわたしは考えている。天からくだされる運命は、本人が知りもせず悟りもしない間に自然と行われていくものなのだ。「天」とは手品師のように不可思議な奇蹟などを行うものではもちろんない。

学問の力を知りたければ、こう考えればよい。賢者も愚者も、生まれたては同じようなもの。しかし、学問をしないことによってたどり着く先が異なってしまう。

成功や失敗というのは、結局、心をこめて努力した人の身体に残るカスのようなものなのだ。

  • こうありたいなと思った。NHKの会長が、「そしてそれをあげましょう」と言っていたのを思い出した。

疑問

  • 適材適所というのはどう判断すべきものか?

    • 上の人が適正をみるのが合理的な判断だと思うが、自分の権勢のために自分を採用している人はどう対処する?

  • 大きな志の立て方とは?前にKohei君が言っていたことでもある。

  • 良い競争はそうだが、相手が悪い競争の時は?自分がそれにどうしても勝たないと負けてしまう場合などについて。

この記事で掲載した引用は、Glaspの機能を使ってエクスポートしています。Kindleのハイライトをエクスポートすることに興味がある方は、以下の記事をご覧ください。

また、この本のトップハイライトは以下のリンクよりご覧ください。

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