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【この曲がすごい】マニアック解説第1弾!マーラー交響曲第7番 ホ短調

 この記事はこちらの動画を基にしています。

 このシリーズでは知名度や歴史的な重要性に関わらず、私がすごい!と思っている曲、要するに大好きな曲を紹介していきます。
 第1弾はマーラー交響曲第7番ホ短調です。以前から方々で申し上げている通り、とにかく私が大好きな曲です。しかし、マーラーの交響曲の中では比較的マイナーというか、マニア受けする難しい曲というイメージがあるようです。
 では、一体どこがすごいのかこれから探っていきたいと思います!

マーラー交響曲第7番ってどんな曲?


 まずはこの曲の概要について簡単に説明しておきたいと思います。
 この曲は1904-05年(44-45歳)に作曲されました。この頃はウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)で芸術監督を勤め、次女が誕生するなど公私ともに絶頂期で非常に脂がのっている時期でした。
 副題として「夜の歌」と呼ばれることがありますが、これは第2・4楽章が"Nachtmusik"つまり「夜の音楽」と名付けられていることに由来します。なので、全体を通して必ずしも「夜の歌」というニュアンスを持っているわけではないことにご注意ください。
 それから、特殊楽器が多数登場することもこの曲の特徴の一つです。例えば、第1楽章ではテナー・ホルンが、第4楽章ではマンドリンとギターが、その他にもカウベル、鐘、ルーテ(鞭)が登場します。

ここがすごい①第1楽章


 それでは、具体的にどこがすごいのか、順を追ってみていきましょう。
 
 まず、第1楽章は過去作の効果的な応用が散りばめられています。

 序奏ではテナー・ホルンが付点リズム(ターンタタ、ターンタタ…)で主題を提示します。このリズムはバロック時代のフランス風序曲によるもので、古い様式を用いて重苦しい葬送行進曲のような雰囲気を演出しています。また、後にマーラーはバッハの管弦楽組曲を編曲していることから、このあたりの音楽に非常に関心が強かったようです。
 テナー・ホルンは小型のチューバのような形をしていますが、トロンボーンに近いマウスピースを持ったホルンで、トロンボーン奏者によって演奏されるそうです。

テナー・ホルン


 展開部にはハープの分散和音によって導かれるロマンティックな部分があります。これはワーグナーの「ワルキューレ」第1幕で主人公のジークムントとジークリンデが愛し合う場面の引用と言われています。この二人は実は兄妹で、後に悲劇的な破滅を迎えることになります。
 その愛の音楽の頂点で序奏の重苦しい音楽が帰って来て再現部となります。ここではテナー・ホルンではなく、トロンボーンがマーラー自身の交響曲第3番第1楽章を引用します。

 このように第1楽章では過去の作品を応用しながら、強烈な「死」や「崩壊」のイメージが刻印されているのです。


ここがすごい②中間楽章


 中間楽章は軽快なのにまったく明るくないのが特徴です。

 第2楽章はこだまのようなホルンの呼びかけが印象的な序奏から始まります。これが盛り上がり頂点で一気になだれ落ちるときに長調から短調へ移行する和音が非常に不吉です。この和音は再現部とコーダでも再登場します。ちなみにこれは第6番で用いられた和音です。
 また、最後は銅鑼(死を象徴する楽器)が静かに鳴り響き終わります。

 第3楽章は「死の舞踏」の系譜にあるグロテスクなワルツです。
 「死の舞踏」とは死の恐怖を前に人々が踊り狂うという中世の詩が起源で、死んでしまえば身分や貧富の差もなく無に帰するという死生観が元になっています。これをモチーフにした美術がヨーロッパで多く作られ、その背景にはペストの流行があったと言われています。

ミヒャエル・ヴォルゲームト『死の舞踏』


 ギクシャクしたリズムや急変するテンポの合間に木管が合いの手を入れますが、そこには"Kreischend"つまり「金切り声を上げるように」と指示がされています。ここは当時としては非常にモダンな表現だと言えます。

 第4楽章はマンドリンやギターが活躍し、セレナーデ(夜に恋人へ窓辺で愛を囁く歌)の雰囲気が感じられます。しかし、この楽章はクラリネットで終わりますが、そこには"erstarbend"つまり「死に絶えるように」と指示されているのです。これはマーラーが「死後の世界」へ入っていくことを象徴的に表現する場面でよく用いています。例えば、「大地の歌」や第9番のラスト、また第2番第4楽章や第4番第3楽章です。

 このように中間楽章は行進曲・ワルツ・セレナーデと軽い曲調でありながら、まったく明るくなく、魑魅魍魎が跋扈するような不気味さを持っています。


ここがすごい③第5楽章


 前の楽章が「死に絶えるように」終わったので、フィナーレの第5楽章は「死後の世界」を描いたものだと捉えることができます。では暗い世界かというと、むしろその逆で唐突過ぎるくらい明るいのです。

 序奏は派手なティンパニのソロに導かれたファンファーレです。これは「暗から明へ」のパロディでしょうか?
 金管で演奏される主題は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の引用と言われており、重厚なポリフォニーと健康的な明るさが持ち味です。その後、様々な要素がごった煮的に入り乱れては、金管の主題が何度も繰り返されるという風に曲は展開していきます。
 そして、最後に現れるのが第1楽章の主題です。これはブルックナーの交響曲第5番をはじめ、多くの先例がある非常に伝統的な手法です。しかし、この主題が長調に転調して肯定的な雰囲気になるということはなく、何とも言えない後味の悪さを残すことになります。

まとめ


 つまり、マーラー交響曲第7番とは、あらゆる要素が有機的に結び付き、最後の明るい結末へ向かうそれまでのクラシック音楽の伝統を拒否するアヴァンギャルドな音楽なのです。こうしたグロテスクな音による遊戯から、私はヒエロニムス・ボスの絵画を連想します。

ヒエロニムス・ボス『快楽の園』


 特に有名なのは「快楽の園」です。大きな画面に様々な寓意がひしめき合い、中でも地獄の描写が生き生きとしていることから、謎めいた作品として議論の的となっています。

 いかがでしたでしょうか?
 ぜひみなさんもマーラーの交響曲第7番を聴いてみてください。!



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