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私の不妊治療の略歴

こんにちは!
keiです。

人生予期せぬことは
誰にでも起きるものです。


がんになったこともそうです。
予期していなかったのは不妊治療。
そして流産、死産もそうです。


今日は私の不妊治療の略歴を
書いていきたいと思います。


子供を意識するきっかけとなった化学流産

2014年に結婚し、半年ほど経った頃、
生理にしては早い不正出血がありました。
「妊娠すると着床出血することがある」
と聞いていたので、
もしかしたら?と思い、
妊娠検査薬を試したところ、
はっきりと陽性が出ました。


この頃、
子供はいつかできればいいな、
くらいにしか考えていなかった私。


でも、お腹に命が宿っていると思うと、
母性がちょっとだけ芽生えたのか
大切にしたいという気持ち、
幸せを感じたのを覚えています。


そして産婦人科を受診しましたが、
まだ早すぎて見えない、
また後日来るようにと言われました。


その後、暫くして出血が始まりました。
重い生理というには、多すぎる出血。
子宮と腰のあたりがものすごく痛くて、
立っているのも辛かったです。
出血は2週間ほど続いたと思います。


産婦人科で確認してもらいましたが、
赤ちゃんは確認できず、
自然と流れてしまったのだろうと
言われました。


この経験がきっかけで
「赤ちゃんが欲しい」と思うようになったのです。


たった数週間しか
お腹にいなかったけれども、
母になるという感覚を
少しだけ味わえたことが、
妊娠に対する気持ちを高めたのだと思います。


不妊治療開始から出産まで



不妊治療時代の考察


2015年から
認知症のお義父さんの同居介護をしていました。


そんな生活と並行しながら不妊治療を受け、
初めての体外受精のクリニックでは
移植キャンセルが続きました。


やっと妊娠できたと思ったら流産。
次の妊娠こそは大丈夫と思ったら
安定期を過ぎた後の流産。


生きた赤ちゃんは産めないのに
陣痛を起こし出産しなくてはいけない。

子供はいないのにボロボロの産後の体。

すぐやってくる火葬。

退院後も変わらない
お義父さんと夫との三人暮らし。

数か月空けて、
体外受精で妊娠するもまた流産。


当時の私は、
自分が不幸だと思ってしまいました。


自分を不幸だと思っている状況も苦しかった。
自分を責め、
周りは子育てをしているのに
なぜ私は介護をしているの?と
自分が選んで決めた生活なのに
惨めさを感じていました。

神様はどれだけ私を苦しめるのか、
どうして?どうして?
とどこにもいきようのない苦しみ、
悲しみ、怒りのようなものを感じていたと思います。


まとめ


今回は私の不妊治療時代を、
過去のブログや医療の領収書などを
掘り起こしてまとめてみました。

当時は気づきませんでしたが、
振り返ると、
なんとか自分を守りながら
生きてきたように思います。


自分を守るために、
手放したこと、変えたことたくさんありました。


不妊治療は
出口の見えないトンネルと
よく例えられますが、まさにその通りでした。


妊娠できるかも分からないし、
無事に出産できるかも分からない。
不妊治療や流産を経験して、
物事をみる目が変わったように思います。


これから
不妊治療、介護、流産(死産)のことを
思い起こして書いていこうと思います。


どなたかの助けになれますように。


今日もお読みいただきありがとうございます♡



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