子育て期間が終了したパパの子育て論(自論)
先日の投稿で子育てが終了したことをポツリとつぶやいた。数人の目に触れているので調子に乗って「子育て論」なるものを思い出してみた。
子供に依存しない生活
子供に依存しないことは常に心掛けてきた。つまり生活を子供中心に据えないという考えだ。その前にそもそも「仕事は人生の目的ではなく、手段である」という考え方の人間なので、生活は自分の趣味(興味のあるもの)が中心に生きてきた。となると、子育てを趣味としていなかったので、必然的に生活の中心ではなく、ドーナツの輪っか部分であったのだろう。説明するのは難しいかもれないが、子供を愛してないという話ではない。自分の興味に合う部分の時だけ子供の世話をして、それ以外は知らんぷりというのでもない。ほどよい距離を保つというのが一番聞こえのいいフレーズだろう。
放任主義ではないの?と質問されると、こういう風に例えたい。
私は羊飼い。でも羊のお尻を追ったり、毛刈りをすることは苦手、得意な人(この場合は妻なんだろう)に任せて、牧羊犬の散歩や、毛刈りをするときの首を抑える役目は進んでやる。メインの仕事は牧場の周囲に張り巡らした狼の新入を許さない柵の補修点検だ。羊が目覚める前、寝静まった夜に一人で黙々と作業する。作業する道具選びは完全に自分の趣味だ。ナイスな電動工具や、柵まで移動するトラクター選びはカタログから熟読する。
こんな羊飼いであったんだろう。
親の背中を見て育て
だから、自然と子供たちが選んだボーイフレンドは私に似ているそうだ。顔はともかく指向や思考がなんとなく似ているそうだ。子供たちがそうつぶやいたときに少し嬉しく感じるのだ。
子供たちに合わせない生活の大半は、私の趣味に費やしてきた。小さいかった子供たちは、その趣味にくっついてきた。一緒にやろうなんて言ったことはない。して欲しいと思ったことすらなかった。なのに、バイクの後ろに乗りたがり、私の一眼レフを欲しがり、テレビゲームを私にプレイさせて眺めていた。
いつかは巣立つその日
初めて子供を抱いたとき、忘れもしない1996年11月19日の早朝。チキンの丸焼きくらいサイズの赤ん坊(どんな例えだよ)を、両掌に載せて涙した。なぜなら、いつかは巣立ってしまうのがわかってしまったから。なんだか借り物のような、私ではない何か、でも大切にしないといけない、そんな複雑な気持ち。
25年かけてゆっくりとその日を迎えたので、覚悟は当の昔にしている。
だから悲しくはない。
神様が与えてくれた大切な命をこれまで無事に育てあげたことは、自分にとって大きな自信だ。そろそろ他人に子育て論を展開したところで責められはしないだろう。今子育て真っ最中の世代の方も、ぜひその境地を迎えられる日を楽しみに。
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