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同時代に生きる仲間と思いたい

機会があったら積極的に昔語りしたい…のですが、“鬱陶しいと思われない程度に”っていうのは結構難しそうです。
ある友人が、ただの世間話のつもりで、「数十年前の職場では女性の立場が弱かった」という話をしたところ、若い女性がすごい剣幕で、セクハラパワハラは許されない!と非難を始め、取り付く島がなかったとのこと。“セクハラパワハラを見過ごし受け入れてきた(あなた達)先輩女性が悪い”と、責められているようにも感じたようです。“どうして、(あなた達は)黙っていたのか、黙っていることに罪がある”…はい…多いと思います、ちくりとする人。
この話を聞いて、まずは友人に同情した。失礼千万礼儀を欠く。怒りの爆発は、それができる相手だったから。人事権握り給与決定の権力を持つような相手には、言わないくせに。
がもしかしたら、とはっとした。その女性は、それまでもさんざん先輩女性から「昔は女は大変だったんだ今はいいねえ」ニュアンスのこと、言われていたのかも。“私達はいかに理不尽に耐えてきたか“の得意げな嫌味にうんざりしてたのかも。だから過剰反応したのかもしれない。私の友人には、そんな上から目線気持ちはなかったにしても。
…と、想像してみた。
でもね、人に恥をかかせるようなこと…後輩から大声で罵られる…は、してはいけないことですよ、やはり。自制してほしかった。あとで穏やかに、不満を伝えることもできたはず。罵ってかまわない相手かそうでないかを、瞬時に判断して行動したことでしょ、と思ってしまう。それって生きた時代に関わらず、個人の品性の問題だから。
こういう話を知ると、昔話をすることにひるんでしまうけど、私も嫌な思いしたくないけど、若者のご機嫌を損ねないことばかりに気を遣う大人、にはなりたくないな。
生きやすい世の中であってほしい、というのは、万人の願い。それがすべての人について100%かなえられる、という世はありえない、それでも良い方向へと前進を続けている。ある面では後退しても、別の1面では少し改善されたりしてね。
“民主主義は風船を膨らませるようなもの”と読んだことがあります。吹くのをやめてしまったら、たちまちしぼんでしまう危ういもの。
今、私たちは堂々と“セクハラやパワハラが悪い”といえる時代、それをしぼませないようにすることは、ひとり一人の意識にかかっている。
どんなに年齢は違っても、同時代に生きる仲間として、お互いを思いやりたい。
女性に分断が生まれることを望む人の、思うつぼにはしたくないなと感じます。

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