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昔語りをしようよ

昭和37年、1962年3月生まれです。今頃(2021年)になって、生まれたときって、まだ戦争が終わってから17年足らずしか経ってなかったんだーって驚く。昭和20年(1945)以降は、全世界的に、戦争からの復興期。私も、生まれたときから景気上向きの時代だったし…というと明るいイメージが先行してしまい様々な誤解を与えそうで抵抗あるけど、少なくとも未来は今より明るいと考える傾向は強かったように感じる。戦争はすでに遠い遠い過去のことって感覚だったけど…そう、戦後そんなに経っていなかったんだよ!
戦争の話…ときにひそひそと話されていたこともあったな…中国から引き上げのときに子供を捨ててきたとか…戦地でずいぶんひどいことをしたとか…。シベリア抑留エッセイの自費出版本がうちにもあった。“トイレは大地に掘られた長い溝で用を済ませる(大便?)、自分の目の前には人の尻が見えていた”って話を強烈に覚えてる。
もっともっと、戦争含め昔の話を聞いておけばよかったと思うけれども、当時はそのことに積極的ではなかった。それでも日常的に、絶えず繰り返し戦争の話を耳にしていた。
1960年生まれの生育過程では、まだ周りに、戦争体験者が大勢いたのです。社会全体に「戦争は二度と嫌、絶対にしてはいけない」というコンセンサスがあった。誰も否定できない絶対的に正しいこととして、社会に根付いていたように思う。

同居していた明治生まれの祖母。繰り返し話していたのは、19歳のときに母親が亡くなったのががすごく悲しかったということ。選挙カーが通るたびに、政党関係なく手を振っていた。「ばさ(おばあさんのこと・自分を指して)でも1票やからな」と選挙には必ず行き選挙会場では深々と礼をしていた。
こんなことがうれしくて、こんなことが辛くて…その感覚に時代による違いはほとんどない。ただ、時代によって、「あたりまえとされていたこと」にはずいぶん変化がある。それは聞かないとわからない。
人の心は外からはわからず、喜びも悲しみも本当の本当のところは、その人だけのもの。自分の心の中にだけ納めておきたいこともあるけれど。でも、還暦を迎えたら、なるべく、いろんなことを意識的に語るようにしようよ、って思う。言葉にしないと、消えてしまうことがたくさんあるから。
時はどんどん過ぎて、人はみんないつかはいなくなる。でも、語ったことは、誰かの心に宿り何かを感じさせる。それは、ささやかでも、何かの言動につながって、まだ見ぬ未来の人たちへも伝わっていく。

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