見出し画像

人の心は物語を求める

エンタメが人の心を救う、とはよく言われること。エンタメというか、「物語」が人の心は大好きなんだと思う。
たしか萩尾望都さんの漫画で、タイトルは忘れたけれども、舞台…バレエだったかな…を好きで夢中で観ていた男性が、その気持ちを、「あ、物語が自分のところへ降りてきたって思う」と表現していた。少し言葉遣いは違うかも…でもそんなニュアンス。
すごく、よくわかります。
小説を読んだり映画を観たときの気分と同じ。強く心に響いてきたとき、これは私の心へまっすぐ降りてきた物語って感じる。生きていく希望に感じる。
自分の心とシンクロしてると感じるものに、人は支えられている。昨日映画「LOVE LIFE」感想で、人間は誰しも生涯、孤独の心からは離れられないことを書いた。どんなに大切な人であろうと、人の心は一人ずつひとつずつ…個別のもの。
けれども人の心と心の間には共鳴しあえる瞬間があって、その心はエンタメにも詰まってる。
昔、「清水の次郎長」の講談話について調べたことがある。昭和初期のきな臭い時代、人々はこの物語を講談で聞くことを楽しみにしていた。講談師が、この物語を話すのに飽きて他の演目をやろうとしたけれど、聴衆はそれを嫌がったという。
この逸話、けっこう好きです。人々が切望していた清水の次郎長の物語。何度聞いても心に浸みてくる、それが現実の辛い状況に耐えられる心を作ってくれる。
同じことが、全てのことにいえる。
生活の中で、多くの嬉しいことや辛いことがある。それは、単なる「ひとつの行為」や「ある時間の出来事」にとどまらず、自分自身の物語として、様々に装飾されていく。好意を持っている人…恋人じゃなくても…が自分にとって嬉しいことをしてくれれば、自分と相手とのよき関係性について思いを巡らし幸せな気持ちになる。
反対に、嫌なことがあったときも、人はあれこれ“物語”を創ってしまうもの。そういうときは、物語が発展しないよう、この「行為」「出来事」は嫌だったな、はいおしまい、と意志的に、気持ちを完結させる。
でないと、嫌な物語がどんどん膨らみ心を侵食してしまうから。
明確にストーリーがあるものでなくても、歌とか人物…歌手とか俳優とか…に入れ込むのだって、自分の心を幸せな物語で埋めるため、それで心を支えて生きるため。
心は、物語を栄養にしているのです。心にいいもの、をたくさん摂取したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?