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無年金の人も見捨てるわけにはいかない

…というと、「それって年金料支払ってこなかった人だよね?自業自得でしょ!」って怒りの声が聞こえてきそう。
世には、そういう人がけっこう大勢いる…と、知るようになったのはいつだったか。そして、つい最近までは、無年金でもそれなりに生活できていた人が多かったような…親族の収入があったか、貯金がけっこうあったのかもしれないし。無年金で生活困窮の老人、という話は、あまり聞かなかったし、表に出ていなかったと思う。
20年前ぐらい前は、働き盛りの確定申告者で、年金料払ってない人は珍しくなかった印象がある。「自分は年金払ってない」と気楽に話す人がけっこういた。経済的に苦しくてつい年金料が後回しになるんだろうなあ、って察せられる人もいたけれど、十分収入があっても、「これから先、どんな世になっているかわからないんだし(=制度も変わって高齢化も進むから払い損になるというニュアンス)」と言う人もいた。自分の老後に現実味がまだなく、また、日本経済が著しく傾くことはないだろうという見込みを持っていたのです。
現在は、年金料払ってない(払ってなかった)と大きな声で話す人はいなくなったが、潜在的には多いはず。そして、それぞれに焦って生存戦略考えているかと。
そう、こんなはずではなかった、の世代なのです、私たち。それなりに真面目に働いていれば安心して暮らせる老後があるんだろうな…そう漠然と思ってた。まさか、死ぬまで働け時代が到来するとは…。若者から、甘すぎる!とお叱りを受けようとも。
西村佳哲さんのTwitterを通じて、伊藤ガビンさんのnote「こんにちは老害ですー老害の側から考える老害」を知りました。よくぞ言ってくれた!って感じ。なかでも…人生百年時代と突然言われておろおろする50代60代の心情について。 “そこに見えていた人生のゴールテープを持った係員が猛ダッシュで遠ざかり始めた”…うんうん!
1960年代生まれの世代って、親は戦前生まれ。親は子供たちがのびのび暮らすことを喜び、そんな親に私たちも安心し甘えてきた。ここにきて、自分の老後について、考え方を変えざるえなくなった。下の世代に迷惑かけちゃいけないとも思う。
が、かといって、暢気だった、たとえばこれから無年金生活に突入するような人を(十分な額の年金でなくても)、野垂れ死しろと放ったらかしにはできない。それは大きな社会不安を生んでいく。どんな人間も、最低限の生きる権利が守られなくては。
夢見ていた悠々自適な老後は、お金持ちのみの特権になってしまった。多くの人に、基本生涯現役、の精神が求められる時代なのです。

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